木場潮かき・小赤壁海岸(昭和60年・昭和53年)


    ソース提供:還暦QPON


木 場 屋 台

(1)木場祭典委員会役員構成
(2)木場屋台運行表
(3)狭間(さま)彫刻
  (平成7年屋台新調)
狭間の彩色/露盤修理/高欄掛を新調(17年秋祭り)

(4)屋台の原型は木場から
(5)お迎え提灯 (6)太鼓打ちの執念 (7)村の中のまつり (8)女からみた灘まつり
(9)忌引祓い (10)木場町民の祭りに寄せる気持ち (11)弁当と怪我は自分持ち (12)播磨名所めぐり
 (大幟り道中歌:節は伊勢音頭)
(13)播磨名所めぐり大幟り道中歌
(約22分:約24Mb)

(14)伝承木場の祭り

(16)祝い膳

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 ヨーイヤッサー エーンヤッサー

3台の神輿が荒々しくぶつけあい

豪華・絢爛・勇壮な7つの屋台 の練合わせ

姫路・播州を代表する 「灘のけんか祭り」
  (平成7年10月新調の木場屋台)  



 この祭りは、3台の神輿を荒々しくぶつけ合う特異な神事によって、天下の奇祭だとか、
全国の数ある「けんか祭り」の中でも最大規模の祭りであると言われ、
戦前から播磨を代表する祭りとして知られています。
 祭りは、約1,000年以上も前の遠い昔から始まった歴史の古い祭りであります。

 また、神宮皇后の三韓征伐の凱旋時、この灘地区に立ち寄り、船についたゴイナ(カキ)を
落としたとの故事により、荒々しくする程、神様がお喜びになるとのことで、神輿同士を激しく
ぶつけあうところから「灘のけんか祭り」という異名がついています。



   屋台は、各地区1台づつ保有し、豪華・絢爛な祭り
  毎年、金物のメッキをしたり太鼓の皮の張り替えをおこ
  ないます。
   また、旧七ケ村は、競って、衣装の新調をしたり屋台
  を新調したりします。
   私の地区の屋台も平成7年に23年ぶりに新調しました。
  その間にも、衣装の新調を何度かおこなっています。
  先代及び先々代の屋台は、姫路市の近隣の地区に売却し
  先代は、今も健在です。

  「姫路・灘のけんか祭り」は、姫路市の浜手に位置す
  る灘地区旧七ケ村における豪華・絢爛の松原八幡神宮
  の秋季例祭で、10月14日・15日執り行われるこの祭り
  は、小学校4校区・中学校1校があり、すべて臨時休校
  をします。

  もちろん、幼稚園・保育園も休校するほか地元企業は、
  すべて、休業します。

  (開店しているのは、官公庁・銀行などだけですが、
  地区の全員が、祭りに参加するため休業状態となります。)

祭典役員時の仲間(左端が私) 平成7年10月
         


 一番、困るのが、神戸・大阪等地域外に勤めている人々で、
 2日間の休暇願いに対し、会社に説明してもなかなか理解が
 得られにくいことてあります。
 私も、祭典役員をしていた時期は、10日13日〜10月16日
 の4日間は、何があろうと休暇をとった次第であります。

 とにかく、祭りが終わったら来年の祭りの準備にとりかかり、
 「正月や盆はこなくても祭りだけはくる。この祭りのため
 に1年間一生懸命働き、地元出身者は、祭りになれば
 必ず帰ってくるといわれています。」
というのも、お腹の中
 にいる時から、祭りの太鼓を聞いているのですから。
 特に、10月になれば、老若男女をとわず皆んながそわそわ
 し、血わき肉が踊り祭り一色になるのです。

新調した屋台蔵と屋台(両方で約1億?千万円)


(1)木場祭典委員会役員構成(平成21年)

(2)木場屋台運行表(平成21年)

(3)狭間(さま)彫刻(平成7年屋台新調)
狭間の彩色/露盤修理/高欄掛を新調
((17年秋祭り)

(4)屋台の原型は木場から

(5)お迎え提灯

(6)太鼓打ちの執念

(7)村の中のまつり

(8)女からみた灘まつり

(9)忌引祓い

(10)木場町民の祭りに寄せる気持ち

(11)弁当と怪我は自分持ち

(12)播磨名所めぐり(大幟り道中歌:節は伊勢音頭)

(13)播磨名所めぐり(大幟り道中歌 (約22分:約24Mb)
  46.11.4 「NHKふるさとの歌まつり」放送のため収録
    ・名田辰次氏・木谷隆雄氏

(14)伝承木場の祭り

(15)祝い膳




(17)このページの先頭へ

(18)灘まつり先頭へ

 



(1)木場祭典委員会役員構成(平成21年)

総代      顧問      祭典委員長   副総代     区長      副祭典委員長  自治会会計   祭典会計    交渉委員長   交渉委員    警備委員長   警備委員    交通対策委員長 交通対策委員  幟委員長    取締 幟責任者  進行委員長   取締 進行責任者 取締 進行委員  取締 棒端責任者 取締 棒端委員  取締 練子責任者 取締 練子委員  取締 太鼓責任者 取締 太鼓委員  取締 救護責任者 取締 救護委員 
1名 3名 1名 1名 3名 2名 1名 1名 1名 3名 1名 4名 1名 3名 1名 1名 1名 1名 2名 1名 2名 1名 4名 1名 1名 1名 6名

 

(2)木場屋台運行表(平成21年)

  ●10月1日(木)   祭典事務所開き−−祭典事務所 大木庭(オオキバ)公民館

  ●10月12日(月) 太鼓大ならし(屋台蔵)19:30頃〜

  ●10月13日(火) 屋台・幟の屋台蔵から大木場へ移動
     (屋台の移動は、平成10年から実施)
    
 19時30分 
・大木場練り子
・大木場公民館
    
 19時45分
・屋台練り出し
・屋台蔵
    
  西の町公民館
    
  中西町公民館
    
  東の町公民館
    
 21時00分
・大木場公民館

 

●10月14日(水) 9時30分練り上げ・12時10分宮入
    
 9時30分
・練り上げ
・大木場公民館
    
  東の町公民館
    
  中西町公民館
    
 10時30分
 ・屋 台 蔵    ←見どころ
    
  西の町公民館
    
   旧屋台蔵    ←見どころ
    
   三ツ橋前     ←見どころ
    
   農 協 前
    
 山陽電車・八家駅前(やか)  ←見どころ (八家屋台と練り合わせ)
    
  旧宇佐崎村
    
 旧中村(花屋の角)  ←見どころ
    
 12時10分 
 ・宮 入 り     ←見どころ
    
 各村の屋台の宮入
 宮中・宮前の屋台の練り合わせ ←見どころ

 

●10月15日(木) 7時30分練り上げ・9時40分宮入
    
 7時30分 
・練り上げ
・大木場公民館
    

  東の町公民館
    
  中西町公民館
    
  屋 台 蔵
 8時00分 
・出立ち式/練り上げ   ←見どころ
    
  西の町公民館
    
   旧屋台蔵     ←見どころ
    
   三ツ橋前     ←見どころ
    
   前七反町
    
  旧宇佐崎村
    
  旧中村(花屋の角)  ←見どころ
  9時40分
 ・宮 入 り      ←見どころ
    
 各村の屋台の宮入
 宮中・宮前の屋台の練り合わせ ←見どころ

 





昭和63年(1985)潮かき

昭和63年(1985)潮かき

昭和63年(1985)潮かき


昭和63年(1985)潮かき    昭和53年(1978)潮かき    昭和53年(1978)八家川河川敷き  昭和53年(1978)東の町公民館前


●10月15日  弁当の受付(平成14年より打ち切り)

7時00分〜8時00分
・木場体育館前



(3)狭間の彩色/露盤修理/高欄掛を新調(17年秋祭り)
    (写真をクリックすると拡大されます。)

写真をクリックすると拡大表示します。

お祓い  10月1日(土)11:30分〜(木場・屋台蔵)

お披露目 10月2日(日)、10月8日(土)、10月9日(日)

 いずれも9:00〜17:00 木場大木庭(おおきば)公民館にて



狭間(さま)彫刻(平成7年屋台新調)

  ●制 作/平成 7年・小河昭典氏(竜野市揖保町在住)の作品
  ●彩 色/平成17年・砂川弘征氏(姫路市在住)の作品
  ●配 置/
   正面:「播磨名所巡覧図絵(はりまめいしょじゅんらんずえ)より、木場(向山より木庭山方面を望む)の図」
   後: 「新田義貞奮戦藤島の場」(にったよしさだふんせんふじしま)
   左右:「神功皇后平産の場」(じんぐうこうごうへいさん)
      「赤松弾正対氷山遠江守勇戦の場」(あかまつだんじょうたいながやまおおみのかみゆうせん)


●播州木場風景之図

写真をクリックすると拡大表示します。   <向山から見た三ツ橋と木庭山(きにわやま)の眺望>

   木場の地に現在のように人が住み着き、集落を形成したのはいつの時代からでしょうか。

   木庭山(きにわやま)には古墳が点在しているので、山で狩猟し、海や川では魚貝類を捕って、

   古代のときから生活したものと想像されます。

   今回の彫刻は、往時の三ツ橋を中心とした木庭山を眺めた景観を木彫にしてみました。

   古書に
「播州名所巡覧図絵」(文化元年1804年)刊行本があり、その挿絵中に

   木場の三ツ橋や、木場港、塩田風景をうかがうことができます。

   木場の歴史と伝統を象徴し、後世に伝えるべき作品として制作しました。

 

  ●神宮皇后応神天皇平産之場

写真をクリックすると拡大表示します。   <武内宿裲に抱かれている応神天皇と手をかざして軍船を迎える神宮皇后>

   皇后は御出発の前、香椎の海べに出で、御髪を解き海水にて洗いたまひて、男の如くみずらという

   髪のふうにゆい、人々に向かいたまいて、
「われ今かりに男のすがたになり軍をひきい、

   神々の御たすけと汝等の力とにより西国を討ちしたがへん」
と仰せられしに、武内宿裲をはじめ

   家臣一同つつしみて
「仰せにしたがうべし」と答えられました。

   やがて、皇后は西国から帰還し、九州筑紫の国で
誉田天皇(応神天皇)を生み、

   翌年カゴサカ・オシクマの二王の反乱をおさめた後に皇太后となられました

 

 

  ●新田義貞奮戦藤島之場

写真をクリックすると拡大表示します。    <新田義貞の藤島城燈明寺畷にての奮戦の場>

   南北朝時代の歴史は、鎌倉末期から室町時代にまたがって、武家・公家・社寺

   勢力を大きくゆるがしました。

   南朝の大忠臣であった新田義貞は、上野国(こうずけのくに)で挙兵し、相つぐ

   合戦で北条軍を破って怒濤のように進撃して鎌倉幕府を滅亡させました。

   その後、足利尊氏との交戦により、湊川合戦で楠木正成は大敗し壮烈な最後をと

   げましたが、新田義貞は北陸へのがれ、越前金ケ崎城に立て籠り、再起をまちま

   した。しかし尊氏は義貞の追撃の手をゆるめず、藤島城で苦戦している味方の凶

   報を聞いた新田義貞は、賊をほろぼさんと愛馬を走らせ藤島城へ向かう燈明寺畷

   の畦道を駿走する途中、細川出羽守の率いる敵軍と遭遇しました。

   双方激しい弓矢の戦いとなり新田義貞は愛馬とともに奮戦しました。

 

 

  ●赤松弾正氏範対長山遠江守勇戦之場

写真をクリックすると拡大表示します。    <馬上にて、赤松弾正氏範と長山遠江守の合戦>

   応仁の乱(1470年頃)は、ここ播磨の地にも甚大な影響をもたらしま 

   した。すなわち、山名一族との赤松氏の度重なる合戦であり、その兵火に

   よってここ松原八幡宮の建造物の殆どが焼け落ちたのです。

   この事件より先、赤松弾正氏範(元徳2年生)は赤松則村(法名 円心)

   の四男として生まれ、志方城主となり、南朝に属し足利氏と戦いました。

   赤松弾正氏範と長山遠江守との合戦での扮装は、あらい皮の鎧をまとい、 

   龍頭の甲をかぶる勇壮なもので、五尺丈の太刀を振るい、長山遠江守の持

   つ、刃の長さ八寸の大斫斧(まさかり)を相手に互いに馬上で奮戦しました。

 

高欄掛(こうらんかけ)
●制 作/平成17年・絹常(きぬつね)商店(加東郡社町)の作品
●配 置/正面:「隠岐次郎佐衛門の鷲退治」
        (おき じろうざえもん わしたいじ)
●図 柄/
 後:「西塔鬼若丸の鯉退治」(さいとうおにわかまる こいたいじ)
 左右:「鎮西八郎の龍退治」(ちんぜいはちろう りゅうたいじ)
    「加藤清正の虎退治」(かとうきよまさ とらたいじ)
写真をクリックすると拡大表示します。 写真をクリックすると拡大表示します。
  写真をクリックすると拡大表示します。 写真をクリックすると拡大表示します。


露盤(ろばん)
●制 作/平成7年・改修/平成17年
    小河昭典氏(竜野市揖保町在住)の作品
●彩 色/砂川弘征氏(姫路市在住)の作品
  (狭問と共に)国史図絵等を参照し、金・銀を中心とした
  絢欄豪華で、柵部の人物・動物等の配色を工夫し、練り子の
  気持ちを鼓舞する思いを込めて仕上げられました。

●配 置/前後:「阿畔の唐獅子」(あうん からじし)
      左右:「阿畔の仁王様」(あうん  におうさま)
写真をクリックすると拡大表示します。 写真をクリックすると拡大表示します。




(4)屋台の原型は木場から

  「木場港」 と刺繍された秋風にはためく幟。

  他の地区のように
「旧○○村」 と書かないわけは、7村でただひとつ。(灘まつりは、旧7ケ村で構成)

  船どころとして、栄えた歴史をもつところからきている。

   「妻鹿(めが)3百、木場5百という言葉があったほど、ほかの地域に比べて
  人口が多く、経済も豊かなところでしたな。
  天然の良港に加えて、塩田もあり、だんな衆が、かなり祭りに入れ上げとって
  やったみたいですなあ。」


  誰に聞いても同じような言葉がかえってくる。

  文明3年、再建された八幡宮の竣工祭りに寄進された米200俵を、氏子たちが、お旅山まで

 かついで登ったことが、今日の祭式の起源ととなったといわれる。

  屋台のもとを生みだした木場を、八幡宮から御旅神社への神事渡御で、屋台のトップに進めることを、

 誇りに感じる土地の人たちである。

  宝暦8年に祭りのことを取り決めた 「八幡宮御神事御規式定」には、

  「神輿(屋台)は総じて行進の後方に置く。この行進順序も古いものを先にする。
  すなわち、1番に木場村、その次に松原村、中村という順であって、新たに出た
  屋台は、その次とする。」


 と明記されている。

  


(5)お迎え提灯

   「木場港」 と刺繍された幟は、西の町の若い衆が持つものと定まっている。

  これは、宮相撲の盛んだったころに、相撲部屋が西の町にあって、ここの若い者がもつことに

  なっていたので、いまもこの伝統を引き継ぐ。

   10月に入り、幟作りが始まると町内は、にわかに活気がみなぎってくる。

  厳しい目で選ばれた竹の根元に木を打ち込み、ドン金をはめて麻ロープを巻き、次第に幟としての形を

  整えていく。緑のシデを差し込む頭作り、横竹の取り付けなどの作業は、取り締まりの指導で幟持ちが

  担当し、
”使い” と称する中学3年生が手伝う。

    元服の儀式にも似た感激に
      武者ぶるいするお迎え提灯


   「口説(くどき)」 の練習にも熱が入る。 「播磨名所」 や歌舞伎の物語の 「鈴木主人(もんど)」

  道中歌として、屋台の巡行時の歩くテンポに合わせて歌われる。

   木場の顔ともいうべき幟の後ろに
お迎え提灯 が、20本続くが、実はこの提灯こそが、木場のもっとも

  誇りとするところである。

  神功皇后が三韓征伐凱旋の時、木場の村人たちが、
船提灯 を捧げもってお出迎えしたという古事に

  のっとったもので、このお迎え提灯は、木場だけである。

  お迎え提灯を持つのは、中学3年生と定められている。(近年、少子化により2年生・1年生も持っている)

  昔、ちょうどこの年齢で、おこなわれた元服の儀式が、木場では、この提灯持ちなのかも知れない。

  祭りの日が近づくと、期待と不安で胸が高まる。

   「夢まで見た祭りに、1人前として参加できると思うと、カッーと血が上る。
   学校でも鼻が高い。うまいこと持てよいうて、みんな応援してくれる。」


  絢爛豪華な屋台の先頭をきって、お旅山広場に乗り込み、血湧き肉おどり武者ぶるいしたあの感激、

  あれほどの気持ちの高まりは、これから何十年と屋台をかつぎ、祭りに参加したとしても味わえないだろう。




(6)太鼓打ちの執念

   江戸時代の絵巻物を見ると、 木場の「ヤッサ(屋台)」 だけが、紅白の綱にねじて、これを幕にしている。

  船どころであるから綱作りはお手のもので、ここにも村の特徴が表れている。

  時の流れとともに 金糸 でねじた豪華なものになって、現在に至る。また、現在のような伊達縄の以前は、

  竹で籠のように編んだ芯にラシャ張りのものを用いていたが、昔も今も伊達縄の根元は高欄の外には
  ださない。

  ラシャ張りの伊達縄の以前は、房だけを吊り下げていたいた時代があり、そのまた前は、布を縄に

  編んでつけていた。これを 手縄(てなわ) といった。

   現在、木場だけが、 朱・緑・黄の3色の本絹別染 の布を縄に編まずにつけているが、これも木場の

  伝統といわれる。

   「船乗りが多かったせいか、男らしいあっさりした気風が、宮入りと楼門を
   くぐって、拝殿の前の”ヤァーサー”にも残っとりまんな。
   よその屋台は、何回も気勢をあげるが、木場は、1回きり。
   たった1回で、バチッと決める。くどくどしない。」


  木場の1つ太鼓 として、これも木場だけの特徴になっている。

    さらに、木場独特の太鼓の打ち方で屋台を練る ”木場の1台練り”も見もの。

  「ヨッサ、ヨイヤショウ」 相手なしの独断場で思う存分、木場の本領を発揮する。

   また、灘祭りの重要なポイントとなっている太鼓の打つテンポそのものが、木場は、違うということに

  すぐに気がつく。他の村に比べて、 テンポが速い のである。




(7)村の中のまつり

  ”木場の青ひで” という言葉が残っている。

  木場のシデ には、独特のニュアンスがあることを感じさせる言葉である。

  シデの青竹を斜めに切って、竹やりのようにしたものを木場の者たちは、持っていると、他の村の

  者たちから恐れられていたという。

  事実、木場は、喧嘩が強いと、一目を置かれていたようである。

  喧嘩に対するエピソードも、いくつかある。

  一見、気が荒く、喧嘩ばやいように思われる木場の人たちが、ほんとうは、人情深いことを

  感じさせるものに、 「村のなかの練り」 がある。

  これは、大木庭(おおきば)から東の町、中西町、西の町と4つの町を通って三ツ橋までパレードをして、

  村の人たちに見てもらおうというもの。

   「木場は、宮とだいぶ離れてまっしゃろ。宮まで、行きとうても行けん
   年寄りなんかがおってやから、宮でするのとおんなじことをして、
   自分たちの村の人たちに充分祭りを楽しんでもらおうと思うてやって
   いることです。」


  と世話役は、説明する。





(8)女からみた灘まつり

  八木婦人会70年の歩み−−ふれあい・時を刻みて−−平成10年3月より

 デンヨッソイ ヨッサヨイヤーショー。灘まつりを見たアメリカ人の民族学者は 「これは本物の祭り。

身震いするような感動です。 日本を語るとき、茶道とこのけんか祭りをあげたい」
とさえいったと、

郷土史家の寺脇弘光先生の「灘まつりの歴史と民族」の中にありました。

 「♪ 嫁にやるなよ三つ橋こえて けんか太郎のあの木場村に!」祭り道中歌(くどき)にも唄われ、

「けんか祭り」と呼ばれる名の由来のとおり、 昔は、よくけんかがあったのでしょうか。

一見荒っぽく見える中にも整然と秩序が保たれている現代の祭り。

「宮前の練り合わせ」など一部ショー化されているといった声も聞こえますが、結構楽しく、

自分の村の屋台に声援しています。

 10月は、祭りの月(祝い月)で、1日の朝は、赤飯・鯛・コイモとワラビの煮物の祝い膳。神棚に灯明、

お神酒でいよいよ祭り。

男の祭りといわれながらも、この血の騒ぐ思いが、裏方で祭りを支える私たち女のバネになって慌ただしく

祭り準備にハッスルします。

 松原八幡神社でお守り札を受けてくるのも10月1日、愛しい男はんの安全を祈願し、着物の半衿に

縫い込み、腕くくりを整えるのも女(妻・彼女)の役目。

男たちの勇姿を思いうかべながら縫いあげます。

 家の掃除、障子の張り替え(最近の家は、ガラス戸が多く、ガラス戸を洗うことだけという家が多くなって

いる)、畳を入れ替えるなら祭りに・・・と、

10月の声を聞くと祭り準備に忙しい日が続きます。

 8〜10日頃には麹仕込んで甘酒づくり。

12日以降からは、俗にいう”金に糸目をつけへん(つけない)”といわれる祭り料理(接待料理)の豪勢な

買い物が始まります。

近くにスーパーができて、昔のことを思えば品揃えの苦労は減り、少しは楽をしていますが。

13日の夜、各家の軒先に御神灯の提灯に灯が入ると祭典行事が本番を迎えます。

14日(宵宮)、15日(本宮)の2日間は、朝風呂をたて、男たちは身を浄めます。

赤飯・鯛・コイモとワラビの煮物(1日と同様)で膳を囲み、御清酒(おみき)をすすめて出立を祝います。

無事を祈って男たちに腕くくり、清めの塩を撒くといざ出陣。

女たちもこの一瞬身震いするほど身が引き締まる思いがします。

夜、男たちが家に帰りつくと、安堵の気持ちもそこそこに、天気を気にしながらの15日の弁当の準備に

追われます。

祭り前に思いっきり奮発して集めた活きの魚類や山のダイヤ、マッタケ等はもちろん入ります。

お旅山の桟敷席で開く弁当つくりは、女の腕の見せどころということですが、特にお客を迎えた家では、

食事の準備や接待(お酒がつきもの・・・察してください。)などで、てんてこ舞が続きます。

鯛やコノシロの酢づめから、15日の弁当つくりまで料理こしらえは時間との戦いでもあります。

手抜きは一切無い。

正月にもなかった心意気のこもった御馳走を無事重箱に詰め終わる頃には、日付がかわり、本宮の朝を

迎えていることもあります。(最近は、料理を注文している人も増えました。)

灘祭りは、また、「灘のけんか祭り」とも呼ばれ、神輿を荒々しくぶっつけ合う神事、絢爛たる屋台練りを

見るとき、裸の男たちの逞しさを感じ胸が踊ります。

しかし、女たちにとっては、簡素化になったとはいえ、食事の支度やお客の接待等、肉体的・精神的に

疲れます。

また、出費もかさみ、金銭的にも頭の痛い季節ともいえます。

でも祭りは男の人や子ども達にとっては年に一度の心踊る大きな楽しみの1つなのです。

それを支え、盛り上げるのも女の人の役目だと思い、頑張らねばと思います。



(9)忌引祓い

===灘まつりにみる死霊禁忌と葬儀自粛====

「神聖な祭礼行事を無事に・・・・」

こんな思いが元ににあって、「けがれる」とされることには、祭り参加を自粛する

習慣があります。

つまり、10月にはいると葬儀に参列しない。

不幸があっても隠しておいて祭りが終わってから本葬を。

近親者にこの年不幸があった喪中期間中のものは、自粛する。

さらに、出産や生理の時も祭り関係のものはさわらない。

特に、女性はいろんなことに気遣いがありました。

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秋季例祭の氏子忌服期間 ==松原八幡神社氏子総代会申し合わせ事項H8年1月==

21世紀を間近に控え神仏分離から120余念を経た今日於いても、近親者の葬儀に会した者は、

特有の死穢思想に妨げられ、神前に出る事を忌み嫌う習性があり、祭典にさいしても古い因習から

抜け切れず、本人の意志よりも周りへの気遣いから積極的参加を弾る人達のために神社庁通達を

参考にして基本方針を呈示して参加者の精神的負担を軽減し、明朗で活気溢れた祭典行事の斎行を

願うものであります。

《親族》 (1)同居の2親等まで
(2)別居の2親等まで
(3) 同居する3親等以上
49日
35日
(1)の1/2程度
《姻族》 (4)同居の2親等まで
(5)別居の2親等まで
(6)同居する3親等以上
(7)別居の姻・親族3親等以上
(2)に準ずる
(2)の1/2程度
(5)に準ずる
(3)の1/2程度

毎年10月10日に特設祓所において該当者は神官より
合同忌抜き祓いを受けられる方策を総代会として考慮する。


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  @14年度の忌引き祓いのお知らせの内容
    家族・親戚その他この1年のうちで弔事のあった氏子の方で、秋祭りに参加される為
    忌引きのお祓いを希望される方は、10月1日より10までの午後に受け付けいたします。
    社家に申し込みをされたうえで神社境内にはいらずに北門にてお待ちください。
    手続きをすませたうえでお祓いをいたします。

  A15年度の忌引き祓いのお知らせの内容 (7村合同でお祓いをすることになった)
    弔事のあった氏子の方で、秋祭りに参加される為忌引きのお祓いを希望される方は、
    10月4日、5日の両日の午後1時に八幡神社北門にてお待ちください。
    神社境内にはいらずにお待ちください。
    手続きをすませたうえで、社殿にてお祓いいたします。
    今年は、7村合同にて行いますので時間に遅れないようにしてください。

  B平成15年葬儀模様
   ・10月4日東の町内で、ご不幸が発生。
     町内の公民館は、祭り準備がすすめられており、町内入り口には、鳥居も建てられていた。
     したがって、仏様は、一旦、自宅に帰ることができず、病院から直接、葬儀会場へ。
     そして、葬儀には、隣保の人が出て、手伝いをするのが慣習であるが、祭りに参加するので
     一切手伝いはなし。
     また、お通夜・当日とも町内の人は全員不参列。
     悔やみ・香典は、祭りの終わった16日にあらためて持参。

   ・弔事のあった家族が、和歌山の有名な神社へ観光のため行きたいのだが、どうでしょうかと
    現地の神社に問いあわせたところ、お祓いをしてきてくださいとのことだった。


  C平成19年忌服祓い連絡文
19年 忌引きのお祓い

19年 忌引きのお祓い




(10)木場町民の祭りに寄せる気持ち

     木場自治会会報11年10月1日より

●●●●●● 安全で楽しい祭りを! ●●●●●●

●「木場らしい勇壮な秋祭りを」 祭典委員長 筒井章七

 暑かった夏も過ぎ、秋風と共に今年も秋季例祭の準備に取りかかる時期になりました。

 今年は露盤の痛みがひどく(平成7年新調)、彩色せざるを得なくなり、連日連夜会合、

 やっと砂川漆店に注文をかける事ができました。

 風水陰陽を考慮し、獅子は白色と紫色、仁王様は鉄瓶色、牡丹は赤色と白色 に決まり

 ました。

 昨年度から祭典準備も(木場4町の公民館で分担作業をしていたのを体育館で)全町

 一体て共同作業をすすめていく事になり、何事もすぐ話し合いが出来、すぐ問題も解

 決できるようになり、大変良かったと思います。

 役員の皆様には、勤めを終えてから、夜遅くまで大変ご苦労をお掛けしますが、何卒

 よろしくお願い致します。

 7月には、木庭神社(きにわ)の夏祭りで、灘祭りが怪我人もなく無事に達成出来る

 ように役員一同祈願致たしました。

 (祭り衣装の)虫干しも晴天に恵まれ、完了致しました。

 他村にない
木場の伝統あるお迎え提灯 も、私の若い頃には(中学3年生の男子が、

 14日と15日と)1日交代でもっていましたが、今では少子化が進み練り子や提灯

 持ちが不足しています。

 その対策として、昨年度から屋台の蔵出しを13日の夜から行い、宵宮(14日)は

 大木場(おおきば)から練り出し、本宮(15日)は屋台蔵で出立ち式を行ってから

 出発します。

 木場は灘祭りの発祥地 としての誇りをもって、 良い祭りを満喫出来る様によろしくお

 願い致します。

 昨年度の幟の電飾、七福神の金具、露盤の仁王様など他村にない工夫など、そしてこ

 の度の露盤の彩色と7ケ村の注目の的になっているようです。

 指持ちの方々(45歳以上)、指手作りも大変な作業です。人生の先輩、祭りの先輩と

 して練り子を活気づけて応援してやってください。

 どうぞ祭りの当日怪我のない様、くれぐれも気を付けて楽しい祭りが出来るように願っています。


今年のまつり 中西町取締 川口精治

 今年も「灘まつり」が巡ってまいりました。

 私にとって今年の祭りは昨年までと比べて違った祭りになりそうてす。

 当地にお世話になって以来15年余、昨年までは、毎年祭りの外側から「高みの見物」

 といった風情で楽しんでおりましたが、今年は、初めての取り締まりということで祭

 りの内側から体験することになるのです。

 周到な準備と打ち合わせを経て、14日・15日に一気に盛り上がる祭り。

 心浮き立つような太鼓の音、屋台の練り合わせと練り子衆の熱気、林立する指手の揺

 れ動く様は、正に巨大なエネルギーの燃焼を思わせ、湧き上がる圧倒的なハワーを感

 じさせます。

 歴史と伝統に彩られた他に類を見ない、勇壮にして華麗な全国に誇る祭りだと思います。

 今年も老若男女打ちそろって大いに祭りを楽しみ、私も祭りの大きな渦のなかにどっ

 ぷりと浸ってみたいとおもいます。

 

●祭り 西の町 後藤孝規

 
祭り中心に1年が過ぎるこの灘地区にすむ僕は、小さい頃から祭りに参加することを

 ずっと夢見てきました。

 それが昨年やっと中学1年で実現しました。

 生まれて初めて憧れの提灯を持たせてもらい(お迎え提灯は、中学3年生が持つこと

 になるのだが、少子化のため繰り下げて持つ)感動と緊張で胸がいっぱいでした。

 初めてのことばかりで提灯は、思ったより重く、思うように大きな声も出ずうまく競 

 り合うこともできなかった。

 しかし、先輩達の声に支えられて、僕の声もだんだん大きくなって競り合いもうまくいった。

 いよいよまちにまった、15日の本宮、昨日の疲れも忘れてしまうくらい興奮してい

 た。

 広畑(お旅山練り場)に一歩足を踏み入れるたとたん、大勢の人と歓声に一瞬身体が

 ふるえた。頭の中がまっ白だった。

 祭りも、いよいよクライマックス、もう声も出なくなるまで必死で大声で頑張った、 

 長いようで短かかった祭りも無事終わった。

 今年は2年生、伝統ある木場の提灯を力強く、胸を張って昨年以上の灘祭りになるよ

 う、僕たち若い力で盛り上げてゆけたらと願っています。

 



(11)弁当と怪我は自分持ち=== お 願 い ===

当日は、相当混雑します。また、筋書きのないドラマが展開されます。
主催者及び関係団体は、一切責任を持ちません。
事故のないよう、各自、十分注意して楽しんでください。

灘のけんか祭りの気質 
怪我をするのは、本人の不注意!!  たとえ、最悪の状態が発生しようと中止はしません。

祭り参加者は、全員、神社で御守りを受け、腕くくりにして肌につけています。

祭り参加者は、両日とも朝風呂に入り身を清めます。

神輿の練番地区は、15日早朝、海で潮かきの儀をして、身を清めます。

八幡神社に入る時、祭り参加者及び屋台ともども潮かきの儀をして楼門をくぐります。



(12)播磨名所めぐり(大幟り道中歌:節は伊勢音頭)

  屋台が道中する時には、大幟持ちが道中歌(口説:くどき) をうたって、提灯持ちがこれを「囃す」

    
(13)大幟り道中歌  (約22分:約24Mb)


   1.播磨名所を ヨイヨイ
      巡りて見れば
      ア ヨーイセー トーコセ
      その名高砂 相生の松

      ソラ ヤートコセー ヨーイヤナ
      ソリャ アレワイイナ コレワイイナ
      ソリャ ヨーイ イトセ

   2.霜はおけども 葉は深緑り
      曽根の天神日笠の山よ

   3.松に千歳の 世に名を残す
      堅い誓いの石の宝殿は

   4.よそに聞えて 名も龍ェが花よ
      国も豊かな太平の世に

   5.深く寝入りし 手枕の松
      朝日輝く二見の浦よ

   6.二見かきとて名物ござる
      加古の河原に舟こぎ入れて

   7.音に聞こえて響きの灘よ
      印南大塩の浦々越えて

   8.八家の地蔵さんへ仏を頼む
      八家の地蔵さん何と云うて頼む

   9.とかく女はあわしまさまよ
      栗の松原神風強く

   10.塩屋垂水の磯伝いに行く
      枝は桜木花咲きそめて

   11.目おば明石の人丸様よ
       国の中国いさりの舟は

   12.はるか淡路の島かくれ行く
       20ト5番(25番)は清水寺の

   13.千手観音そのみたけさん
       法の花山春秋ごとに

   14.枝が栄えて谷間が茂る
       20ト7番(27番)札打ち書写の

   15.松の緑に咲く山おろし
       五穀成就をらせ給え

   16.神のお庭の広峰山は
       祈り増位のその山つづき

   17.男山から姫山見れば
       空に輝く白鷺の城(姫路城)

   18.皿は9つお菊の屋敷
       数を読むたびその情けなや

   19.恋の浜辺に立つ身のつらさ
       かちん染なる飾磨の浦よ

   20.室の明神小五月祭り
       年に二度咲く白藤の花

 ●さらばこれより本街道よ
   ヨイサ、ヨイサ、で囃子を頼む

 ●来る衆ござらぬ、この木場村に
   虎は愚か蛇鬼でも蛇でも

 ●嫁にやるなよ三ツ橋越えて
   喧嘩太郎のあの木場村へ

 ●頃は10月日は15日
   宮の拝殿祭りを祝う

 ●さらば下向(げこう)じゃ御帰り道よ
   ヨイサ、ヨイサ、で囃子を頼む






(14)伝承木場の祭り






(15)祝い膳






平成10年度祭典委員


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