黒田官兵衛・長政と24騎  福岡市博物館所蔵:文責 本山一城氏


藩祖 黒田官兵衛孝高(如水)(1546〜1604) 初代 黒田筑前守長政(1587〜1615)
01黒田官兵衛孝高(如水) 姫路城内で生まれる。播磨国の生まれ。如水と号した。豊臣日でよしの軍師として諸役に従軍、天下統一事業に貢献し、豊前国六郡を領する。秀吉没後は嫡子長政とともに家康に接近して、福岡藩発展への基盤を築いた。 02黒田筑前守長政 姫路城内で生まれる。黒田孝高の長男。幼名は松寿丸。通称は吉兵衛。諱は織田信長の偏諱か。キリシタン大名。幼少の頃は織田家の人質として近江長浜城で過ごす。

井上九郎右衛門(1554〜1634) 黒田修理亮(1561〜1612)
03井上九郎右衛門 松原の生まれ。黒田家に仕え重用された。豊後国石垣合戦では一騎打ちをして注目された。筑前黒崎城代で二万石を領し、周坊守と号した。長男は徳川家旗本となっている。 04黒田修理亮 姫路生まれの官兵衛の弟。秀吉の直参をへて羽柴秀長に仕え、黒田家に戻る。筑前国宗像郡津屋崎の要害で一万二千石を領す。晩年は、養心と号した。

黒田兵庫助(1554〜1596) 黒田図書助(1564〜1609)
05黒田兵庫助 姫路生まれ。官兵衛の弟で町之坪城主。思慮深く実直で柔和。羽柴秀吉直参をへて黒田家に戻り、豊前国高森城代一万石を領した。後に病身となり和泉国堺で没すた。 06黒田図書助 姫路生まれ。官兵衛の弟。羽柴秀長に仕えて後、黒田家に戻る。筑前国秋月で一万二千石を領す。熱心なクリスチャンであったことが特に有名。洗礼名はミゲル。

栗山四郎右衛門(1551〜1631) 久野四兵衛(1545〜1592)
07栗山四郎右衛門 官兵衛の一番家老。姫路の地侍の子で、自ら黒田家を選んで出仕した。その功績は甚大。豊前国では一ツ戸城代。筑前入国後は左右良城代二万石を領した。晩年は備後守と号す。 08久野四兵衛 もとは小野市の金釣瓶城主。播磨時代の黒田家筆頭家老。土地区画の名人で博多復興と名護屋城築城で手腕を発揮。豊前国で五千石を領す。朝鮮国で戦死した。

母里太兵衛(1558〜1615) 後藤又兵衛(1560〜1615)
09母里太兵衛 妻鹿の生まれで母方の姓を継いだ。福島正則と酒宴の賭けで『日本号の槍』を手に入れたことは特に有名。筑前入国後、鷹取城代一万八千石を領す。晩年は毛利但馬守。 10後藤又兵衛 南山田の生まれ。父を早く失い、黒田家で養育された。筑前入国後、大隈城代一万六千石。官兵衛の死後、息子長政と不仲になって大坂の陣で死ぬ。退出前は隠岐守。

黒田三左衛門(1571〜1656) 野村太郎兵衛(1560〜1597)
11黒田三左衛門 伊丹の生まれ。父は荒木村重家臣。巨漢で怪力の持ち主。花鳥風月を愛して学問にもすぐれ、絵心ももちあわせていた。筑前入国後一万六千石を領して美作守と号した。 12野村太郎兵衛 姫路の生まれ。父曽我大隈守は西城戸の地侍。兄母里太兵衛に似て勇猛。九州役では長政の窮地を救い、首五つを取った。豊前国中津で三千石を領したが早死にした。

吉田六郎太夫(1547〜1623) 桐山孫兵衛(1554〜1625)
13吉田六郎太夫 八代宮前の地侍。親が黒田家に仕えた。本人は青山で行った首供養が特に有名。吉田姓は赤松の名門から貰った。筑前入国後三千五百石を領し、壱岐守と号した。 14桐山孫兵衛 姫路の生まれ。阿保の戦いで初陣。筑前国で六千石を領し、晩年は丹波守を号した。犬猿の仲だった母里太兵衛と協力して冷水峠を開通させたことが有名。

小河伝右衛門(1554〜1593) 菅六之助(1567〜1625)
15小河伝右衛門 姫路小川の生まれ。兄は御着城主小寺政職の家老小河三河守。黒田家家臣となって豊前国で五千石。朝鮮国で小西行長を救い、秀吉から一万石を拝領するも帰国途中に没した。 16菅六之助 新宮町市野保の生まれ。当地が黒田家の領地となって黒田家に出仕え。宮本武蔵の父新免無二の門人で、虎を切り殺したことで有名。筑前入国後三千石を領して和泉守と号す。

三宅山太夫(1552〜1623) 野口左助(1559〜1643)
17三宅山太夫 姫路三宅の生まれ。もともとは摂州宮家情趣の一族。度胸があって使者をよく勤める。筑前国では水軍を一括して任されている。三千六百石を領して若狭守と号した。 18野口左助 野口念仏、教信寺僧侶の子。姓は出身地から採った。母里太兵衛の義弟で勇猛果厳。築城技術にも長けていた。筑前入国後三千石を領した。

益田与助(1542〜1611) 竹森新右衛門(1560〜1621)
19益田与助 台所の水汲み出身。益田姓は毛利の家臣にあやかった。力持ちで足軽の扱いに長け、自信も勇猛で謙虚。難点は文字の読み書きができなかったことという。 20竹森新右衛門 姫路大野の日岡八幡宮司の子。戦火に焼かれ黒田家の旗奉行となる。神社の焼け跡が竹林と化していたため竹森と改姓した。筑前入国後二千石を領し石見守と号した。

林太郎右衛門(1569〜1629) 原弥左衛門(1557〜1639)
21林太郎右衛門 武田家家臣松本一族の出。林は母方の姓。軽井沢の生まれ。槍の達人で虎を突き殺したり、朝鮮孤児の少女を養育したことで有名。筑前入国後二千石を領し、掃部亮と号した。 22原弥左衛門 筑前の名族原田氏の支流。父は香春岳城主。戦乱で領地を失い、秀吉の九州出兵の先駆けとなる。黒田家に仕えて姓を原とした。筑前入国後二千石を領し、伊予守と号した。

衣笠久右衛門(1552〜1631) 堀平右衛門(1557〜1636)
23衣笠久右衛門 端谷城主衣笠範景の弟、若くして黒田家に仕える。小寺氏とのパイプ役ともなる。筑前入国後三千石を領して因幡守と号す。甥の高橋伊豆守は黒田長政に殉死した。 24堀平右衛門 明石の生まれ。従卒出身であったが士分に抜擢された。朝鮮国晋州城の壕ぎわ堀ぎわで高名したため、この名を用いる。物凄い頑固者。筑前国秋月で五千石を領した。

毛屋主水(1554〜1628) 井口兵助(1565〜1621)
25毛屋主水 近江国の生まれ。転々と主家を換えて渡り奉公していたが、黒田家で定着した。三木城攻めで蒲生氏郷を救う。筑前入国後七百石を領し、武蔵守と号した。 26井口兵助 井口氏は竜野近郊の栄城主。兵助はその分家で、母は広峰宮司の娘。勇猛で朱具足と朱柄の槍を許された。筑前入国後二千石を領して村田出羽守と号した。



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