ナガは、妙鬼を伴って家に戻っていた。タノトの帰りを待って、今後のことを話しておきたかった。タノトはナガの帰りを心待ちにしているはずである。一方、タニノメは、都の貴人がひょっとして茅野に泊まることになるかもしれないと気を回し、寝所を手配していた。葛城山の麓には小角の開いた道場があり宿泊設備も整っている。そこは、周辺の村人が運営する場所である。ナガの家は貴人が泊まるにはあまりにも粗末な家だった。

「かあちゃん、いろいろと済まないな。」

 タニノメはナガが一人前の口を利くようになったことが嬉しかった。タノトの息子にナガという阿呆がいるが、ほかの兄弟はしっかりものじゃ、そのように言われ続けてきたのである。今は、目つきも顔つきも別人のように引き締まっている。

 タノトが帰ってきた。

「とうちゃん、心配かけたな。」

 ナガは戸口に走り出た。タノトの返事はなかった。村人四人が長い棒を担いでおり、その棒には菰に巻かれた重そうなものを結わえ付けられてあった。ナガは言葉を失った。

「土砂が急に崩れてなあ。タノトと、ほかに五人が生き埋めになった。」

 タノトを運んできた村の衆はそれだけ言ってすすり泣いた。

 かつてのぼんやりとしたナガの頭に、辛抱強く物の道理を刻みつけようとした父だった。今のナガを見、少しでも話せばどれだけ喜ぶか分からなかった。タニノメは菰の包みを見てへたり込んでしまった。ナガは泣きたかった、ところがなぜか涙が出てこない。

「俺は、何と言っていいのか分からない。」

 妙鬼は菰の中に少しでも命の気配が残っていないかを探った。しかし、大量の土に埋まった体は、土圧のためにあらゆる内蔵器官が破裂していた。 

「ナガ、あたしにもどうしようもないよ。」

「ああ。俺にも分かる。」

 村の衆は、明朝、死んだ者たちを再び水越に運んで土葬すると話した。それは、小角の発案らしかった。一通りの悔やみを言って村の衆は帰っていった。

「さみしいなあ。」

 ナガはそれだけ言うと、菰の縄を解きはじめた。

 

 巨大な流星が都の方角に向かって長い緑色の尾を引いた。

「不吉な。」

 広足は、空を見上げて呟いた。色の付いた流星は珍しい。不吉な大流星は、広足の決意をより揺るぎないものに変えた。

 暗い山道から僧形の人影が現れた。 

「浄智様か。」

 淨智は、広足の目がかすかに緑色に光っているのを見た。その目の光りに異常なものを感じた。

「どうなされた。」

「何も。」

 淨智は、探湯について相談しに来たのである。広足か浄智かいずれが行うかを決めておかねばならない。

 広足は意外なことを口にした。

「淨智様、私は山を下ります。」

「はて、どういう事ですかな。広足殿が山を下れば工事は混乱する。第一、何をなさるのか。」

「御上人はやはり間違っていると思うのです。今日の事故で六人もの犠牲者を出してしまった。師は、その六人の遺体を人柱として埋めると言われた。私は納得がいかない。人柱などを用いることは、御上人が最も嫌っていたはずではありませんか。探湯によって神意を尋ねるよりも、私は自分の考えに従う。」

 淨智には広足のかすかに緑色に光る目だけが見えている。

「探湯を怖れておられるのか。」

「私は自分などどうなってもよい。工事を差し止め、山の神の真意に照らして物事を運ぶべしと考えるだけです。」

「師に反逆すると公言するものを、見過ごすわけにはまいりませんな。」

 広足は、仏の淨智の別の顔を見る思いがした。

 広足は反射的に懐の独鈷をつかんだ。

「独鈷から手を離しなされ。」

 いつのまにか淨智の全身からひえびえとした気配が漂い、広足を取り囲んでいる。広足は全身に刃物を突き付けられている気がした。殺気というよりも澄みきった冷たさを感じるのである。

 広足の独鈷は単なる法具ではない。刀剣と同じ製法で鍛え上げられた異形の短剣である。古代の修験者はいかなる賊をも打ち負かす武術に通じていた。しかも広足はその独鈷に、ある種の通力をのせることが出来る。

 淨智を倒してでも行く、広足は懐の独鈷を柔らかく握った。その方が動きが柔軟になり、すばやくなる。

 淨智と広足の間の空気が音を立てるほどに張りつめた。

「やめましょう。」

 浄智は急に気を抜いた。広足を包んでいた刃物のような気配が消えていく。

「広足殿は本気のようだ。私が戦って勝てる相手でもない。」

 広足は独鈷から手を離した。

 広足は一言主神と交わり、その意志を知ったことをすでに淨智に話してある。

「浄智様、私は御上人の導きによって山の神の声を聞くことができるようになった。師は私にとって山の神と同格に位置するお方だ。しかし、今の御上人には山の神の声が聞こえなくなったと考える他ありません。」

「いや、さらに深いお考えがあるのかもしれん。急がず慎重に対応すべきことだ。」

「結論を先延ばしするだけではだめです。今しがた大きな星が都の方に流れた。これほど不吉なことはない。」

 広足は星を読む。淨智は広足の表情に悲壮な決意を見た。

「止めても無駄のようですな。では、心おきなく。」

 広足は淨智に一礼し、東に向かった。淨智は広足の後ろ姿を見送りながらこれから起こる騒動を予感した。

 広足にとって、最も話の分かる浄智でさえ小角の言葉には盲目となる。広足は山道を下りながらこれから為すべきことを考えた。彼を含めた五百人を越える修行者と、その大頭目である小角に対して広足がいかなる手段をもって方針転換を迫ることができるのか。

 広足の頭のなかには、すでに一つの謀りごとが形づくられていた。

 死ぬまで恥を背負うことになる。 

 広足の心は重かった。広足は小角を制するために朝廷を動かすことを考えていた。内側から動かないのであれば、外部からの力を利用するしかない。

 これ以外に御上人の動きを封じる手段はない、と広足は思った。

 その手段とは、讒言である。広足の一族は貴族でも豪族でもなかったが、役人となった者が多く広足自身も写経所に勤めていたことがある。朝廷の体質はよく知っていた。役人の体質に嫌気がさして優婆塞となった広足にとって、朝廷を利用することは手近な方法ではあったが、同時に最も忌むべきものだった。

 このころ朝廷では藤原不比等が台頭しはじめており、役人の風紀も乱れていた。どう見ても無実の者が濡れ衣を着せられ葬られることが多くなった。真実の追求よりも朝廷の権威を内外に示し、不穏な分子を排除することが目的だった。勢力を持った者で積極的に朝廷への恭順の意志を示さない者は常に謀反の疑いをかけられた。また朝廷が土地を取り上げたことのある豪族なども敵対視された。例えば賀茂氏は葛城の土着の豪族であり、ほとんどの土地を奪われてしまっていたのだが、かの一族は常に監視されている状況にあった。そしてまさに役君小角は賀茂氏の一族なのである。天武天皇の時代に山林修行を禁じる勅令が出されたことがある。山林修行者はある面で世捨て人であり、朝廷の支配の外にある。これを権力の内側に引き戻そうとするための勅令だった。しかし、その後も山林修行者は増え続けた。ひとつには小角のような行者の登場もその一因となっている。これまで小角があからさまに朝廷から謀反の疑いをかけられずにすんだのは、朝廷内にも小角を慕う者が多く、また民衆の間においての人気が非常に高かったせいである。

 修行者のなかでも一目置かれる存在である広足が朝廷に訴えれば、「謀反」の一言を付け加えることで朝廷は必ず調査に乗りだしてくる。そうなれば、小角と数多くの弟子たちはもはや目立った行動をとることは出来なくなる。 

 これが広足の考えた筋書きだった。

 この筋書きで広足が得るものはない。失う物は山ほどある。師を失い、修行者仲間を失う。信望も失う。荒くれ修験者は広足をつけねらい、遅かれ早かれ広足をつるし上げることになるだろう。また、小角を慕う者の全てが広足を憎み、罵ることだろう。近在の百姓は小角に米作の加持を頼み、安産の祈祷を願いにやってくる。小角は出来る限り彼らの願いを聞き入れていた。小角はまさに生き神様だった。広足は民衆からも蔑まれる存在になるのだ。

 広足は考え抜いてこの結論に達した。

 青年、物部連広足は信念に生き、社会において死ぬことを選んだ。

 

 夜になって、義元と義覚が工事現場に戻ってきた。

 義覚は早速、善鬼を呼びつけて工事の進捗状況を確認した。

「進んだか。」

 義覚は意外そうな表情で善鬼に言った。

「順調ですな。今日、近在の村人が六人死にましたが、その際、大量の土砂が一気に動いて大きな手間が省けた。土師連博麻殿の土を扱う術によるところも大きいのですが、山が勝手に動いたようにも見えましたな。」

「村人が死んだか。」

「御上人は死んだ者を峠に埋めるとおっしゃった。人柱としてね。」

「人柱か。」

 義元が顔をしかめた。

「現場の注意をおろそかにしていたのではないのか。」

 義覚が言った。

「やむを得ぬ犠牲でしょうな。」

 善鬼は、やるべきことは全てやっているという気持ちを言葉に込めていた。これは暗に二人を非難しているのだ。工事責任者でありながら、時々しか顔を見せないのはまったく不遜である、善鬼の目がそう語っていた。

 義覚は善鬼のそうした視線を無視したが、義元は善鬼をなだめはじめた。

「善鬼よ、そう怒るな。それなりの理由があるのだ。それをいえば御主もきっと納得する。」

 善鬼のとがった耳がぴくぴくと動いた。善鬼の額に角が現れ始めている。

「聞きたいですね。この通り耳が動いて仕方がない。」

 善鬼は義覚たちの前では鬼であることを隠すことはない。

「うむ。今日はお主も交えて相談しようと思っていた。お主も知っているように、義覚は未来を見ることが出来る。義覚がいうにはこの工事の完成はあり得ないということだ。」

「うーん、順調なんですがね。何があるのかな。」

 善鬼は鉄の爪で顎をぼりぼりとかいた。

「さらに、聞いて驚くなよ。師は捕らわれて配流となる。」

「ほーお、そんなことが起こるのですか。しかし、どこに流されようとこの私がすぐに連れて帰ってきますから心配はいりません。」

 善鬼の反応があまりにあっけらかんとしているので、義元は言葉に詰まった。

「善鬼よ、一度配流になれば二度と故郷の土は踏めぬというのが慣習となっているのだ。おぬしが師を連れて帰ってきても日陰者として余生を過ごすことになってしまう。また、賀茂一族にも捕吏どもの手が伸びることになる。われらが一丸となって朝廷に敵対することも、また現実的ではない。」

 義覚が義元に代わって善鬼に説明した。

「人間とは不便なものですな。様々なしがらみにからめ取られて、まるで身動きが出来ない。一丸となって戦えばよいではないですか。それが嫌なら、もう少し穏やかな手もある。朝廷は一枚岩ではない。個々の人間、それも上層部の数人を適当に葬るか操るかすれば、先例を破ることも可能ではありませんかね。」

 義元は舌を巻いた。やっぱり、こやつは人間ではないな、とあらためて思った。

「われらに殺生はできぬ。そこで寝食を忘れ、このようなことを引き起こす原因を究明しようとした。護摩を焚いたり、瞑想にも取り組んだ。が、肝心なところが見えないのだ。何者かが関係しているのではないかと思うのだが、そのような者がどこに潜んでいるのか見当もつかん。そこで、御主の力を借りたいということになったのだ。」

 義元は、善鬼をじっと見据えて語った。

「面白いなあ。運命への干渉が可能かどうかを調べるわけですな。」

 善鬼は好奇心で胸がいっぱいになった。義覚は鬼が嬉しくてたまらぬ様子なのを見、頭に血が上った。

「遊びではないのだぞ!」

 義覚の一喝で鬼はにやにや笑いだけはやめた。

「ところで、御上人はこの事をご存じなのですかね。お二人が気を揉むのはわかりますが、私に相談するより御上人に直接申し上げた方が良いのではないですかな。」

 義覚は怒りをこらえ、諭すようにいった。

「先のことが見えるというのはな、苦しいことだぞ。穴に落ちるとわかっていながら進み続ける事の怖さがわかるか。やがてそこからはい出す姿を見つけておかねば、言わぬ方がましだ。」

「実に玄妙な話です。未来が明確に見えていて、不愉快な出来事ひとつ避けることができないのに、いったい何をするつもりなのですかね。面白いなあ。」

 善鬼はしきりに感心した。義覚は鬼の態度に怒りが高まっていった。唇を強くかみしめている。義元は割って入った。

「善鬼よ、御主は師の弟子ではない。それは私も義覚も知っている。しかし、情がなさすぎるのではないか。」

「鬼に情をを求めるのも妙ですがね、私は姿を消してどこまでも御上人についていく。もしも刑吏が御上人の首を落とそうとするようなら、この私がいかなる方法を用いても助けてみせますよ。」

「師を守ってくれるのか。」

 義覚は、鬼の目を見据えて尋ねた。

「くどいですな。」

 義覚は鬼の前に平伏し、地面に額をつけた。これはかつてないことだった。

「師のこと、くれぐれもお頼みいたす。」

「うーむ、天下の義覚様からそのように頼み事をされるのもなかなかに気持ちがいいものですな。」

「われらは、さらに手を考える。あとのことは頼む。」

 義元はそう言い残して善鬼のもとを去ろうとした。

「御上人がお二人を呼んでいましたよ。直々に言い聞かせると言っていた。現場を離れてはいかんと言うわけです。」

「まずいな。」

 義元は顔をしかめた。小角の命令は絶対だった。

「お小言を頂戴しに行くか。」

 義覚と義元は、小角のもとに行くことにした。かなりやりこめられることが予想された。

 

 

 

 

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