村の衆との宴は楽しいうちに終わった。身内の者も近所の村人たちもナガに起こった不思議な出来事を意外にすんなりと受け入れた。変わり映えのしない日常に、ぱっと咲いた花のような鮮やかさを誰もが求めているせいかもしれない。

 ナガと妙鬼は、奴婢たちを一足先に帰し、身軽な服装に着替えて小角とタノトに会うために山に入った。水越峠は近い。工事の進められている峠の頂上付近に近づくと、土を運ぶ掛け声や、仕事の疲れを和らげる数え歌が聞こえてきた。ナガはタノトの姿を探した。もっこを担ぎ汗みずくで働く人々で現場はごった返している。なかなか見つけだすことが出来ない。顔見知りも見つからないためひょっとすると山の反対側にいるのかも知れなかった。

「これじゃあ、どこにいるか分からないぞ。」

 ナガは妙鬼に言った。

「おまえの父親を見つけるのはあきらめた方が良さそうだな。でも、小角ならそこにいるよ。」

 妙鬼が指さした所は、百歩ばかり先だったが、小角には遠くからでもわかる異質な存在感があった。小柄な体に白い髭が遠目にもよく見える。それよりも、体全体から放射する雰囲気が常人とは全く異なっている。

「行ってみよう。」

 ナガは軽い興奮を覚えた。削られた山肌に作られた仮設道を、行き交う人夫を避けながら小走りで通る。小角が見覚えのある大男を怒鳴りつけていた。周囲の騒がしさにもかかわらず、二人の声はすぐそばで話しているほどに、びりびりとよく通ってくる。その大男はナガが神の岩で出会った鬼であった。ただ、その頭には角がない。見た感じもずっと人間らしく見える。悪相の山法師といった風だ。

「義元と義覚はどこにいる。」

「はあ、時折戻ってきて工事の進み具合を確認していかれます。」

「五人選んだ頭目の二人までが、不在とはどういうことか。」

「私がお二人の代わりを務めるように言われております。」

「お主にはお主の仕事があるではないか。次に戻った折りには二人をすぐに呼べ。儂が直々に言い聞かせる。」

「承知。」

 ナガが近づくと大男は驚いた顔をした。

「おや、おまえは、このあいだ見かけた小僧じゃないか。」

「妙鬼に助けられた。」 

「ほう、運のいい奴だ。拾った命だ、せいぜい長生きしろ。」

 妙鬼もやってきた。小角と善鬼を見ても、そ知らぬ顔をしている。善鬼もまた妙鬼を無視して現場の見回りに戻っていった。

 小角はナガを一目見て、白くなった眉をひそめ、目をみはった。

 ナガは小角に対して丁重なお辞儀をした。小角は近在の村で最も尊崇されている人物なのである。

「くだらぬ挨拶などは要らぬ。顔を見せよ。」

 小角は何かを振り払うような仕草をしながらナガに近寄った。それは不作法な年寄りという悪印象をナガに与えた。

「お主、名は。」

 ナガは小角に見つめられ、その眼光に気圧された。

「俺の名は、ナガ。茅野のタノトの息子だよ。」

「茅野の田乃人は知っている。薬草を採りに近隣の山野を歩き回っておる。」

 ナガは心の奥まで見透かされる気がした。それほど小角の視線は強かった。

「それにしても、お主、尋常ではないな。」

「俺、そんなに変かい。」

 小角は白眉を少し開いて答えた。

「変ではない。むしろ、素直でまともじゃ。気が天を突いておる。」

 ナガは自分の値打ちを予想外に高くつけられた気がした。

「俺には全然そんな自覚はないんだ。」

「ここから、都を見てみよ。お主になら見えよう。山川の悪気がぬらぬらと漂い始めている。」

 小角は都の方角を指し示した。峠から緑に覆われた平野部が見え、その中心に都の風景が見える。しかし、ナガには何の異常も認められなかった。普段と変わらず平穏に見える。

「俺には何も変わったふうには見えない。」

「普段からよく見ておかなければ、分からぬかも知れん。都に疫病がはびこり、夜盗どもがのさばる頃になれば、お主の目にもそれが見えるようになるだろう。しかし、そうなってからでは遅い。儂はこれまで蓄えたあらゆる力を尽くしてこれに当たる。」

 小角は初対面のナガに向かって力強く語った。強力なダイナモが回転し、周囲に磁力を生み出すように小角の持つ求心力はナガを惹き付け始めた。

「よどんだ水はすぐに腐る。水に流れが必要なように、人の集まる所には清浄な気を流し込んでやらねばならぬ。この工事は山を伝う気の流れを良くして都の悪気を払うための仕組みを作り出す。何としても、やり遂げねばならん。」

 固い決意を、自分自身にも言い聞かせるような口ぶりだった。

「俺はこれから都に住むことになっているんだ。」

「何とな。」

 妙鬼はナガに関することになると口を挟まずにはいられなくなった。

「ナガはあたしと都で暮らすんだ。邪魔しないでおくれ。」

「ナガを好いているのか。それはそれでよい。それならば、なおさらここに留まれ。おまえには悪気など何でもないだろうが、儂はこの若者の気運をみすみす汚したくはない。」

 強く諭されて妙鬼は言い返す言葉を失った。小角の気持ちが張りつめていることも感じた。妙鬼が、このような小角を見るのは久しぶりのことだった。

 小角たちの所に白皙の青年僧と小太りの僧が連れだってやってきた。ナガは、両人ともが思い詰めた顔つきであることに気がつき、後ろにすこし退いた。

「御上人。是非とも広足殿の意見をご再考ください。」

「お主までが、世迷い言を繰り返すのか。」

 広足は一言主神と交わりその意志を知ったと小角に話した。しかし、小角はまるで相手にしなかった。山野の女怪に迷ったものと軽く一蹴したのである。浄智は広足から相談を受け、調停役をかって出た。広足も浄智も必死の形相になっている。師の方針に異を唱えるのにはそれだけの覚悟が要った。

「私も一言主神の姿を見たのです、しかし私は広足殿ほどの健脚はなし、夜目も利かず追いつくことは諦めました。今となっては、這ってでもついてゆくべきだったと思うばかりです。」

「どうせよというのか。」

 小角は言葉に怒気を込めた。ナガは居たたまれなくなってきた。青年僧は眉間に皺をつくり、顔色が青ざめている。

「くがたちを行ってください。」

 浄智は、考えた末の結論を出した。

「探湯じゃと。」

「是非に。」

 小角は広足と浄智を交互に見つめた。

「それだけの覚悟があるのならば、よかろう。広足がやるか、それともお主か。」

「私と広足殿でやります。」

 探湯は煮えたぎった大釜に手を差し入れて神意を問う儀式である。是か否か、二手に分かれて正反対の質問をし、手を熱湯に浸すのである。手が爛れてしまわなければ神意に沿うものとされる。特に修験者の行う探湯は厳しく、長時間手を浸ける。火傷で、指や手首を失ってしまうことさえある。 

「神意は儂と共にある。是を問う役は儂自身が行う。否を問う役は二人で決めよ。」

「分かりました。広足殿、それで宜しいな。」

 広足は唇を硬く結んで頷いた。

「では、明朝探湯を行う。二人とも持ち場に戻るがいい。」

 ナガは広足の緊張した顔つきを見ていて、あのように思い詰めた心情になれることが羨ましくなった。自分の信じる何かに賭ける、そのような対象が今のナガにはない。 

 広足と浄智はそれでも一応の回答を得ることが出来たと納得した様子だった。

 小角は西の空を見つめた。山々の間から河内の国が広がっているのが見える。夏の西日が照る空は青白くかすんでいた。

 ナガは、目の前の小柄な後ろ姿を見ていた。ふと気がつくと、人影の輪郭だけを残して背景の空の色が見えている。ナガはひやりとした。見てはいけないものを見た気がした。妙鬼もまた同じような不安を覚えた。小角が空に溶けて消えてしまう気がした。

「小角、様子が変だぞ。」

 老人は振り返った。

「今朝、東の空に龍神菩薩の影を見た。若い頃に同じものが見えたことがある、儂はその影を追って箕面の山にこもった。近いうちに伊勢か、あるいはもっと遠くまで行くことになるかもしれぬ。」

 ナガの頭の中に、明瞭な記憶が蘇った。それは本を手にとって読んでいる感じさえした。

「天武天皇三年、賀茂役君小角七百七十里の遠流、、。」

 ナガの言葉に小角と妙鬼は目を見開いた。小角は、ナガが未来の事実を語っていることを直観的に悟った。

「この儂が島流しになるというのか。」

 小角の呆然とした表情は、女鬼のショックを大きくした。

「ナガ、それは本当のことかい。もっとよく思い出しておくれ。遠流なんてあんまりな話じゃないか。」

 女鬼はナガの肩をつかんで揺さぶった。これはかえって逆効果だった。ナガがどこかで読んだ史書の記憶は、頭の揺れによって再び記憶の襞の中に落ちていった。

「確か、黄色い表紙の本なんだ。また、思い出すときまで待ってくれ。」

「この役立たず。それなら、黙っていた方がましだよ。」

 ナガはむっときた、妙鬼が肩をつかんで揺さぶらなければ、もっと先まで記憶のページを繰れたかもしれない。

「あのなあ、おまえが俺を乱暴に揺すったから思い出せなくなったんだぞ。」  

「二人とも、やめよ。儂はナガの言葉が明確な予言であることを確信した。それが、不思議に思えただけじゃ。儂は遠流など少しも怖れはしない。」

 小角の意外な言葉に女鬼は口をつぐんだ。

「悪気は今も儂に被さってきておる。儂は安閑と修行三昧に浸ったことなど無い。山に暮らして気を練り、山を下りて加持を行う。常に悪気と戦っている。その方がはるかに厳しいことじゃ。」

 老人の気概はナガを打った。ここまで自分を駆り立てることがナガに出来るかといえば、とうてい無理な気がした。ナガにも何かを為したい気持ちが芽生え始めている。

 何かを為す。それは同時に、重苦しい義務感と空虚な自己満足を連想させた。ぼんやりとした頭でミナと戯れ、谷川で遊ぶことと正反対のものを意味する。

 ナガは、ふと富士山の姿を描いた。当然、葛城で生まれ育ったナガの記憶ではない。

「そうだ、不二山はあんたが開いたことになっている。」

「はっはっは。そうか、儂が、かの霊山を開くのか。いやいや、ナガよ、それ以上は言うな。先のことを全部聞いてしまうことは実につまらん。」

 小角は、ナガにいたく興味をそそられた。   

「ときに、ナガよ。御主は生まれ変わり、死に変わった記憶を持っているのか。」

「何かの機会にふっと思い出す。一度思い出したことは忘れないでいるから、時間とともにもっといろいろわかってくると思う。」

「年老いたときの思い出もあるのかね。」

「ある。死ぬ間際の記憶がいくつかまとまって戻ったことがある。だから、ある意味では俺はあんたより年寄りなんだ。あっ、小角様と呼ぶべきだね。」

「あんたでよい。で、死ぬのは怖かったか。」

「思いがけずに死んでしまうときは怖かった。でも、覚悟が決まっているときは、それほどでもない。」

 小角は長年、様々な人々から悩み事の相談を受けてきている。自然と聞き役に回り、相談相手となる。これは長い間に染みついた習慣だった。ナガは、何かの相談事にのってやろうとする小角の気持ちを感じ、心の奥に溜まっていた気持ちを打ち明けた。

「俺は、ぼんやりした小僧だった。毎日が文句なしに楽しかった。でも、今は、事あるごとに、何かをしないといけない、そんなふうに思ってしまう。様々な記憶がよみがえってくるにつれて、俺は何かに追い立てられる気がする。知恵の付くことが果たして良いことかどうかもわからなくなってきた。全部の記憶がいっぺんに戻ってきたら俺は耐えられないかも知れない。」

 小角は慈悲のこもった眼差しでナガを見た。

「儂は幼い頃より、神童と言われた。漢字や梵字も一目で覚え、人を驚かせた。それが、十二の時に家を出て山林修行に入ることになった。」

 大化二年、大化改新の詔がくだった年のことだった。同年三月に薄葬令が公布され、それまでの大規模な古墳の造営が禁止されることになった。これは賀茂郷に深刻な不況を招き寄せた。何年もかけて大規模な墳墓を造成することは、当時の土木建設業者に当たる職能グループに十分な報酬を約束していた。ところが薄葬令はそれらの職能集団を直撃する痛手を与えた。小角の一族はまさにその業者の筆頭だった。

「他にすることがなかったのだ。だが、修行に明け暮れるうちに自ら麒麟児たらんと欲するようになった。儂は正規の僧ではない、今でも優婆塞にすぎぬ。都の安寧のために祈り、人々の悩みを聞く、これが儂の務めと悟ったのは、それなりの自覚が生まれてからのことよ。鳥や獣をよく見るがいい。かれらが思いのほかよく遊ぶことがわかる。決して、一日中、餌を求めてうろついているのではないぞ。儂の場合は、水越峠の工事を弟子たちやその他の賛同者の協力によって取り組んでいる。人の役に立つと思ってやっているのだが、これも大がかりな土遊びと呼べなくもない。生きる糧を得るためのみに、自分を使うのが当たり前のことだと考えてしまうと、もう何も見えなくなる。楽しげな夢や人のために役立っているという張り合いがなければ、生きているのがうっとうしくなりはせぬか。」 

 ナガは頷いた。

「いいことを聞いたよ。」

「そうか。」

「明日から俺も工事現場に出るよ。何か手伝えることがあるかもしれない。」

「よかろう。」

 ナガと妙鬼は、山を下りた。

「偉い爺さんだな。」

「偉いところがある、ぐらいに思っておいた方がいいよ。すぐにのぼせあがるのは、馬鹿の証拠さ。」

「俺には偉いところがない。」

「おまえには知恵があるじゃないか。」

「降って湧いた知恵だ。」

「それで十分じゃないか。」

「うん、それもそうだ。愚痴になる、この話はやめよう。」

「小角に富士の話をしていたが、美しい山だそうだね。」

 ナガは、富士の姿を頭の中に思い描くことができた。きわめて美しく整った形、周囲に同じような山がなく富士だけが圧倒的な質量を伴って一つだけ立っている姿は、大地の奇跡だと思った。

 登ってみようか、とナガは思った。記憶をたぐって、登ったことがあるような気分に浸るよりも、足を実際に使って登ってみるのだ。

 ナガの脳裏に険しい山肌を登ってゆく自分の姿が思い描かれ、ナガの意識は白日夢の中に入っていった。

 足が鉛のように重く、息が苦しい。自分の目の前に、先ほど出会った老人の後ろ姿があり、さらにその前には大男の鬼の背中が見えている。鬼は鼻歌まじりに歩きながら岩などの障害物を軽々と放り投げ、道を開いていた。

 俺は今、未来を見ているんだろうか、とナガは思った。鬼が放り投げた岩が、転がりながら落ちていき、ほかの岩にあたって砕ける音までが聞こえてくる。

「御上人、一休みしますか。」

 善鬼が尋ねた。

「まだまだ、儂はいっこうに平気だ。ナガ、御主はどうじゃ。」

「まだまだ、と言いたいが、一休みしたい。このまま無理して歩くと高山病にかかると思う。」

「では、一息入れよう。先は長い。旅はよいものだな。」

 老人はそう言って振り返った。白いひげが消え去って妙鬼の横顔がそこにあった。岩だらけの山肌は、緑に覆われた山林に戻った。

「いつか俺も旅をしよう。」

 ナガのひとりごとは妙鬼にも聞こえた。

「どこへ行きたいんだ?」

「あちこち。とりあえず、富士。」

「何だ、それぐらいならあたしが連れて行ってやるよ。すーっと空を飛んで行くんだ。一晩で行けると思うよ。」

「それはありがたいなあ。でも途中の景色も見たいから、歩いて行くんだ。それから富士を登る。」

「気の長い話だね。このあたしがもっと楽に連れて行ってやろうって言うのにさ。」

「なにしろ、俺の名はナガだからな。気も長いんだ。」

「では、麓まで歩いて帰るがいい。あたしは空を飛んで帰ることにする。」

 妙鬼はそう言い残して、地を蹴り空中に舞い上がった。

「俺も運んでくれよ。腹も空いてきたし、もう日が暮れる。意地悪するな。」

 ナガは宙を舞う女鬼に向かって叫んだ。

  女鬼はナガを見下ろしながらけらけらと笑った。

「おまえは高いところが平気な方か。」

 妙鬼がナガの少し上に浮かんだまま尋ねた。

「ああ、まったく平気だ。空を飛ぶ道具に乗って山を越えた記憶がある。」

「ふーん、シズメをつれて飛んだことがあるが、怖がってしまって可哀想なほどだった。」

「俺は大丈夫。」

「それじゃあ運んであげる。」

 妙鬼はナガの背中に手をあてた。ナガはふわりと宙に浮いた。

そのまま地面を離れていく。

「やや、何ともすごいことだな。浮いている。」

 山の斜面の木々を真上から見ながら、ナガは空を飛んでいた。風が心地よく、自分の真下を鳶がならんで飛んでいた。ゆったりと飛んでいる鳶の背中を間近で見るのは初めてだった。

「おい。」

 ナガは鳶に声をかけた。 

 鳶はナガの方を見上げて驚き、急に方向転換して逃げてしまった。ナガは、鳶のようすがおかしくて腹を抱えて笑った。

「ナガ、そんなに暴れると落ちるぞ。」

 ナガは空中から、平野部を見た。森が連なり、ところどころが切り拓かれていた。

「きれいだな、大きな木があちこちにある。上から見るとよくわかる。」

 ナガは心から空中散歩を楽しんだ。

 

 

 

 

         インデックスに戻る            次のページ