| 六は義覚のもとに走った。 博打場での一件以来、何かと義覚に近寄って使い走りのようなことをしている。六は無頼で無学だったが機敏で世間智に長けていた。 「一大事だ、義覚様に取り次いでくれ。」 義覚は勤行の最中であった。一定時間は外に出ることは出来ない。若い修行僧が六を押しとどめ、外で待つようにいった。 「うるせえ、一刻の猶予もねえんだ。」 六は、修行僧を押し倒し本堂に走り込んだ。広い本堂には、多くの僧が集まっていた。義覚と義元の逗留を聞きつけて多数の僧侶が参集していたのである。義覚は一番前に座っていた。 「偉そうな坊さんばかりじゃねえか、」 いくら何でも、ここで喚き立てるのはまずいだろう、六はそう考え、一番後ろに座っている僧の背中に近づいていって、そっと衣の袖を引っぱった。 「義覚様に、火急の用事がありまして、どうしてもお伝えしたいことがあります。」 「そうか、ではちょっと待っておれ。」 用事を頼まれた僧は、親切にもそっと立ち上がって義覚の所まで歩いてゆき、義覚に何かを伝えた。その僧は、そのまま前の方の席に座った。 義覚は立ち上がる素振りを見せなかった。 「何をやってやがるんだ。」 六は苛ついた。また一番うしろの僧に同じことを頼んだ。 「おつとめが終わるまでは動けんのだ。そんなに急ぐのなら、かまわんからお主が前まで行って伝えよ。」 まったく妙なところだぜ、六は心の中で毒づきながら僧侶の間をすり抜けて義覚の横にしゃがんだ。 「義覚様、一大事です。小角様、召し取りとなりました。それから、虫麻呂が殺られました。」 義覚の顔がこわばった。 「まことか。」 「へえ、虫麻呂の方は頭に剣が突き刺さったそうです。今の内に何か義覚様の方でなさることがあれば、と思いまして。」 義覚は言葉に詰まった。虫麻呂については、まったく予知していなかった事態であった。虫麻呂を訴え、それがうまく行くだろうと予感していた矢先のことであった。 六は義覚の指示を待っていた。 「よく知らせてくれた。」 「へえ。」 六は、感情をいっさい表に現さずに応えた。勤行の最中であったが、義覚はそっと立ち上がって合掌をし、外に出た。 「六、虫麻呂は誰に狙われたのかわかるか。」 「聞くところによると、恐ろしく腕の立つ若い男が暴れたらしいんで。いきなり現れて、五人ばかりの首をかっさばいて空に飛んでいったと聞いております。誰か心当たりはございませんか。」 「まったくない。空を飛行する術など、御上人しか使えまい。」 義覚の後を追って義元も外に出てきた。 「おい、おつとめの最中に外に出るとは何事だ。」 義元は義覚と六が勤行の作法をないがしろにしたことに非難の表情を隠さなかった。義元は僧侶としての作法にはうるさい。 「まずいことになったぞ。」 義元は義覚から事情を聞いて顔色を変えた。 「どういうことだ。義覚よ、お主は何を見ていたのだ。」 「何とも言いようがない。まったく先が読めなくなった。」 義覚は、苦い顔で言った。義元は気を取り直して、これからの事態に備える必要を説いた。 「われらは目論見は破れた、出直しだ。すぐに葛城に戻ろう。師が捕らわれたとなれば、山伏が駆けつけてくるぞ。血の気の多い者たちだ、どんなことになるかわからん。」 「先読みして策を練ったが、何も得る所がなかった。六、聞いての通りだ。何かわかったら今後は道場に来てくれ。」 「へえ。」 義元の言ったとおり、小角逮捕の知らせはすぐに山中の修験者にも伝わった。修験者どうしの様々な伝達手段によって大和周辺の山岳修行者のほとんどが、半日とたたないうちにこの知らせを受け取った。 修験者たちは一様に葛城の道場を目指した。役小角は彼らの精神的な指導者であり、組織の大頭目でもあった。また、道場は聖地であった。 ナガは早々と道場に移動し、建物の脇にある小さな築山に腰掛けて、集まってくる人々を見ていた。葛城の道場にはぞくぞくと修験者が集まってきた。 「ずいぶん人が集まってきたものだな。すごい熱気だ。」 「ナガ、御主、何を考えているのだ。そろそろしゃべったらどうだ。」 善鬼がナガの傍らに立って尋ねた。 「言っただろう、捕らわれた人々を取り戻すんだ。」 「いったい何人ほど連れて行かれたのだろう。」 ナガは最後に小角の姿を見た時の映像を頭の中に思い描いた、その中に小角以外の人々の姿が映っている。それを数え上げる。 「一、五、二十、三十七、ふん、全部で六十三人だな。」 「ほう、大した記憶力だ。それで、どうやる。」 「俺は、領地と城を守るために戦いに明け暮れていたことがある。たとえば、侵略に対して報復する、すると、相手はさらに強く出てくる。そんなことを繰り返しているうちに、疲れ切った所を予想外の敵に襲われる。つまり、武力だけではだめなんだ。もつれ込んだ隣国関係は、いやらしいものだ。謀略とめくらましを使う。その基本は言葉は武器だということだ。あっけないぐらいに強敵が崩れ去ることもある。」 「かけひきはどこでも行われていることではないか。」 「俺に言わせれば、東洋人はだいたいにおいて純朴だ。俺がロンウォールでやったことを、ここのみんなに話したら明日からだれも口をきいてくれなくなるぜ。偽善、陽動、暗示、そんなものを駆使するすべを子供の頃から教え込まれて、二十歳前には一端の謀略家になるんだ。」 霊眼を持つ修験者は、眉間に霊光を放つ若者が鬼と声高に話しこんでいるのを否が応にも目にすることになった。ナガと善鬼は一番目立つ場所に陣取っている。道場に来た者は自然と引き寄せられるように築山のまわりに集まってくる。 「刑部省の役人は、妖惑の罪と言っていた。小角様の人気からすれば妬む者も少なからずいるだろうが、刑部省にしてもいちいち妬み嫉みを取り上げるほど愚かじゃないだろう。誰か相応のものが訴え出たに違いない。」 「大した洞察力だ。実は、御主にことさらに言っていなかったことがあるのだ。私はその者の名を知っている。誰だかわかるか。」 今や築山のまわりには、修験者が群をなして集まっている。善鬼の言葉は、周囲の緊張を一気に高めた。 「善鬼様、その不埒者は誰でございますか。」 善鬼は修験者の質問を無視してナガの反応を待った。ナガは人差し指を顎にあて、なぞなぞを楽しむような仕草で考えた。 ナガと善鬼の掛け合いを血走った目で見ている者がいた。 「それは、おれだ!」 人の群の中で大声を上げた者がいた。広足であった。白皙の青年僧の面影はなかった、やつれ果て、目だけが狂的な光を帯びている。修験者たちはまず驚き、ついで激した。縛り上げろという声より先に、広足はがんじがらめの状態にされ、築山の前に連れてこられた。 「広足殿、ここまで来い。」 善鬼は広足を築山の上に上がらせた。修験者たちの憎悪が広足に集中した。 ナガは広足をみた。 この男はまるで殉教者だ、ナガの目には広足がそのように映った。 「わざわざ名乗り出るのだから、それなりの覚悟があるのだろう。」 広足は何も語ろうとしなかった。目だけが異様な光を放っている。ナガは立ち上がって、修験者たちに呼びかけた。 「これで事情はすべて飲み込めた。力を貸してくれる者はその場に座って俺の話を聞いてくれ。」 善鬼が大げさなそぶりでナガの前に座り込んだ。また、妙鬼が物陰から飛び出してきてナガの前に座った。 修験者たちは、小角に代わる指導者を求めていた。これは宗教的な集団にありがちな傾向である。ナガはそれを利用した。 「俺は朝廷にいくさを仕掛ける。間違いを正して無実の人を取り戻したい。ただし、俺は血を流すことは好まない。剣を使わずに刑部省から小角様を連れて帰りたいと思う。」 ナガは精一杯の大声で話した。修験者たちは、どうにも現実的でない話のように思った。ナガは続けた。 「その方法は難しくない。みんなは都を中心にいろいろな場所で、小角様がこれまで実際にやってきたことを声高に話してほしい。絶対にやってはいけないことがある。無実を訴えてはいけない。刑部省を非難してもいけない、ただ、生き神様が捕らわれてしまい、非常に残念で悲しいのだという話をすればいいんだ。」 集まった修験者たちは訝った。とてもそんなことで朝命が改められるとは思えなかったのだ。 「大丈夫だ。しばらくはそれだけを続けてくれ。必ず、変化が起こる。」 善鬼が銅鑼のような声で後押しした。 「すぐに、やれぃ。」 善鬼の声には逆らえなかった。座っていた修験者は立ち上がり都に向かった。道場の周囲は、ごったがえした。次々とやってくる仲間に、早速ナガと善鬼の話をする者もいる。しかし、まだ何も聞いていない者も数多くいるのだ。 「いい感触だ。」 ナガは善鬼に言った。 「面白い手を使う。」 善鬼は、にやりとした。 「私にも何か手伝うことはないか。」 広足であった。やつれ果てた姿だったが、眼光は鋭い。ナガは広足をしげしげと見た。 「あんたは何が得意なんだい。」 「法力には、いささかの自信がある。」 「広足殿は、独鈷を使った金縛りの術が得意だ。」 善鬼の説明に、ナガは大きく頷いた。 「それなら、大事な役どころがある。」 「聞かせてくれ。私はすべてを失った。何かできることがあるのなら、全力でやってみせる。」 ナガは広足の目を見つめて語った。 「都に出て、思いきり派手な法力合戦をどんどんやってもらいたい。そして、容赦なく相手を打ち負かすんだ。通りがかりの人や疑ってかかる人にも術をかけるんだぜ。素人受けしそうな派手な術がいい。そうやって、都の有名人になることだ。あんたには嫌な役目だろうがね。」 「その言葉に従う。なぜとは聞くまい。この広足、御主の言葉に賭けるとしよう。」 「理由も言っておく。俺がやろうとしているのは、心理戦だ。都を大混乱に陥れてやる。」 広足は、ナガを見つめ、しばらくぶりに笑った。
「御主は面白い男だな。もう少し早く知り合っておれば、私もこのような落ちぶれた姿をさらすことなく話ができたものを、、、。」 広足は、下腹に意識を集中して、ぐっ、と気合いを込めた。広足をがんじがらめに縛りあげていた麻縄がばらばらに崩れて地面に落ちた。 「礼を言うぞ。」 広足は立ち上がり、あっと言う間に姿を消した。 「かなりの業師だ。期待できるぞ。」 ナガは広足の後ろ姿を見ながら善鬼に言った。 「あの男、ちょっとかわいそうだね。つらそうな顔だったが、何があったんだ。」 妙鬼が善鬼に尋ねた。 「広足殿は、山の化生に出会い、その言葉に従っただけだ。役人を相手に少々へまをやったということだろう。あれだけやつれているのを見れば、大体の想像はつく。」 義覚と義元が道場に到着すると、鬼を従えた見慣れぬ少年が次々とやってくる修験者に何かしら指示を与えているのが見えた。 「義元よ、あの若者は誰だ。」 「鬼も一緒だ。」 「勝手なことをしおる。」 「あの者の眉間の光が見えるか。」 「ああ、煌々と光っておるわ。」 ナガは、長身の二人の僧が大またでやってくるのを見た。 「おい、御主ここで何をしている。」 義覚はナガを睨み付けて言った。ナガは、この僧が義覚だろうと見当を付けた。やたらに、気の短そうな壮年の男である。目と口元に癇癪持ち特有の筋がある。 「あんたが義覚さんか、遅かったな。そこに座っていてくれ。」 ナガはそれだけ言うと、修験者たちとの話を続けた。 「小癪な小僧だ。」 義覚が築山に登ろうとするのを、義元が止めた。 「待て、われらは何かにつけて出遅れた。まず、この若者が何をしようと考えているのかを知る必要がある。」 義覚は渋々その場に座った。 「謀反を企てる動きなど少しもない、村人から何かを騙し取るようなこともない。それはここにいる者が一番よく知っている。今回の事件は朝廷の中に眠っていたうしろぐらいものが吹き出してきたに過ぎない。早い話が、見せしめにされたんだ。」 それならば、これからどうすればいいのですか、山伏たちが尋ねた。この山伏たちは、かなり遅れてやってきた一団であった。相当、山奥にまで入って修行していたようで、見た感じはまさに山賊といったところだ。遅れてやってくるものの方が全体的に見て迫力がある。ナガは大まかにグループを見極めてそれぞれに少しずつ違った役目を与えた。 「これから都で大暴れしてくれ。これまで蓄えた法力を存分に発揮してほしい。そして、小角様をあしざまに罵るんだ。それだけでいい。」 山伏たちは、大いにためらった。 「われらには、先達を罵ることなどできません。」 「すぐ慣れるさ。元締めがいなくなったと言いかえてもいいよ。とにかく暴れ回り、捕らえに来る役人を出し抜いて混乱を引き起こせばいい。」 山伏たちは頷いた。 「承知。」 善鬼が吠えた。 「行けぃ。」 義元は、ナガの顔を見つめ大いに感心していた。 「義覚よ、われらもあの若者に指示を仰ごう。」 「本気か。」 「ああ、われらが企んでいたことなど、あの若者のやることとはまるで比較にならない。」 「御主は、あの者の中に何かを見たのか。」 「いや、私には何も見えぬ。ただ、実にうまく人間を操るじゃないか。鬼を使って自分を御上人の後継者のように仕立てている。荒くれ法師どもがあの若者の言うことを素直に聞いている。あのようなことが御主にできるか。」 「いいや。できぬ。」 「あの若者の未来が見えるか。」 「見えぬ。」 「では話は決まった。」 義元は義覚を伴ってナガに近づき、話しかけた。 「われらにも、何かやることがあれば言ってくれ。」 「あんたたちは、何ができるんだい。」 「うむ。義覚は未来が見える。しかし、御主が関係することについては見えぬそうだ。ところが、御主の話を聞くにつれて他の面で役に立てそうなことがあることに気がついた。われらは、都に多くの知人がいる。僧、貴族、高官など様々な人々とのつきあいがある。」 ナガは大きく頷いた。 「よし、これですべてが整った。あんたは義元さんだね。都に戻って、何か変わったことが起きたら、どんなとるに足りないようなことでもいいから知らせて欲しい。変化は必ず起こる、それを見逃さずに教えて欲しいんだ。それによって、少しずつ作戦を変えていく。」 「よくわかった、われらは直ちに都に戻る。」 義元は義覚の肘をつかんで促した。 「御主の名をまだ聞いていない。」 義覚がようやく口を開いた。 「俺の名は、ナガ。」 「ナガか。義覚だ。また会おう。」 二人の僧は再び都にとって返した。 「善鬼、水脈の工事はもうすぐ終わるのか。」 「博麻殿の話では、あと一月もあれば済むとのことだ。清浄な気が都に流れ込めば、さらに効果てきめんだ。」 「俺には気とかいうのがよく分からない。」 「いずれわかる。ナガよ、私は実に楽しいぞ。」 「まだだ、楽しくなるのはこれからだ。」 ナガは腕を組んで立ち上がった。 |