| 「ナガよ、手が空いたから、熱気球を飛ばしてみないか。」 善鬼が、重そうな布袋をかついでナガの前に現れた。 「もう準備しているんだろう。その袋の中に材料がそろっていると見た。」 「実はその通りだ。早速、作ろうではないか。」 空気を暖めて大きな袋に詰め、その下に籠を取り付けて乗り込めば人も空を飛べる。善鬼はその事実を確認したかった。 小角が企画した工事は形を変えながらも着実に進んでいた。霊気を水に取り込み、谷川に流してやることで山全体を護符にかえることが出来る。土師連博麻による洗練された気脈の操作法である。小さな隧道を掘り進んで水が湧き出してくるのを待つ。そんな特殊な方法で工事が進められているために、ほとんどの作業は土師氏の専門職のみによって行われている。工事の手伝いのために参集した一千人を越える人々の姿は、今はない。彼らの仕事は終わったのだ。あたりは閑散としていた。 善鬼は暇になった時間を自分の知的欲求を満たすために使った。丸太小屋を作って、工作用の道具と材料をそろえ、興味のあるものは何でも作ってみる。 善鬼とナガは作業に取りかかった。すき紙は軽く丈夫なものが選ばれてあった。糊は飯を煮込んで練り込んだ物が作りおきしてある。 「まず模型の製作だ。」 ナガは和紙を張り合わせて三尺四方ばかりの紙を作った。それを五枚、立方体の形に張り合わせて大きな紙袋とする。 「人が乗るだけの物を作るのは大変そうだな。」 善鬼は竹ひごで枠を作っていく。 「ものすごく大きくなるからな。熱源も強力な物が必要になる。今のところはこの模型で我慢してくれ。俺は火をおこしてくる。」 ナガは、外に出て焚き火をはじめた。薪が十分に燃えだす頃には、竹ひごの支持構造をもつ四角な紙の箱も出来上がった。 「それでは実験開始だ。紙の袋を焚火の上にかざすんだ。」 ナガと善鬼は注意深く紙の袋を持ち、焚火の熱気を包み込んでいった。熱気をはらんで糊が急速に乾いていく。 「おお、浮き上がってきた。」 火にかざされた気球の模型は次第に浮力を持ってきた。ナガは火のついた枝を取り上げて模型の下に取り付けてある綿に火をつけた。この綿には油がしみこませてある。 綿が勢い良く燃え始めると、紙気球は破れそうなほどに強く持ち上げられた。 「よし、手を離すんだ。」 予想以上の成功だった。紙気球ははじかれたように舞い上がっていく。 「やった。飛んで行くぞ。」 紙気球は、あっという間に空高く昇っていった。 「ナガ、追いかけてみるか。」 「もちろんだ。」 善鬼はナガを担いで空中に舞い上がった。 「これは驚いた。ちゃんと飛ぶのだな。」 善鬼は目を見張る思いだった。 「やがて人は道具を使って空を飛ぶことが出来るようになる。それだけじゃない、神通力の代わりになる道具がいくつも出来ていく。」 「ほう、それは面白そうな世界だな。」 「うん、よく思い出せないけどね。そうあって欲しいよ。」 ナガは目の前に浮かぶ紙気球と足下に広がる風景を見比べながら善鬼と話した。空中に舞い上がるのはいつも新鮮な驚きがある。足下に地面がない状態というのは、下に叩きつけられる心配さえなければ実に解放的な感覚を与えてくれる。鳥の視界がナガの眼下に広がっていた。葛城の道場が小箱ほどの大きさに見えたとき、大勢の人の群が道場に向かっているのが見えた。その数は百人を越えており、棒状の得物を持っているのがわかる。ナガの心に暗いものがよぎった。 「ナガ、綿が燃え尽きた。高度が下がってきたぞ。」 「ああ、実験は終わりだ。下を見ろよ、いよいよ刑部省の手が伸びてきた。」 善鬼は目を凝らしてナガの指さす方を見た。 「始まったか。予想より早いな。冬まで捕り物劇はないものと思っていたが。」 鬼は紙気球の竹の棒の部分をそっとつかんで回収し、もとの場所に引き返そうとした。風の流れによって、すでにかなりの水平距離を移動している。 「行ってみないのか。」 「私は人の諍いには首を突っ込まないことにしているのだ。私が介入すればどのようなことになるか想像がつくだろう。」 「なぜあんなに大勢でやって来るんだ。納得がいかない、もう少し近寄って様子を見させてくれ。」 「見ない方が良いと思うがな。」 近づくにつれて、人の群れは役人や補吏、兵士たちによって組織されていることわかった。これらはいくつもの集団に分かれ、それぞれの集団ごとに役人が一人か二人ついていた。 一つの集団が道場の周りにある集落に乗り込んでいった。二人の補吏が畑の作物を踏み荒らしながら走って行き、鍬で畑を耕していた男をいきなり棍棒で殴り倒すのが見えた。 「なぜあんな乱暴をする。」 ナガは唸った。女たちにも容赦なく補吏の手が伸びた。あるものは足蹴にされ、縄を掛けられた。泣き叫ぶ子供の目の前で、男たちに縄がかけられ責め具が突き出された。 「あのような狼藉は許せんぞ。」 ナガは、手が出せないもどかしさで身もだえした。 暴虐がいたるところで行われていた。ある者は無抵抗のまま打ちのめされ縛られた。鍬を振り上げて応戦しようとした者がいた。補吏たちは棍棒で激しく殴打し、ついにその農民は動かなくなった。ここは加茂一族の集落である。小角だけでなく一族全体に対して捕縛の手を伸ばしたのだ。 「なんということだ、あの人は死んだぞ。もうこれ以上我慢できん、下におろしてくれ。」 「降りてどうする。」 「俺も戦ってやる。」 ナガは、激しい暴力を見た。腹の中が煮え、辛抱ができなくなった。 「それはできん。役人を倒しても村人に迷惑がかかるだけだ。」 善鬼の言葉に、ナガは拳を握りしめて自分の無力さを呪った。何人かの補吏を倒してもさらに事態を悪くするだけなのだ。 道場から白髪の老人が出てくるのが見えた。役人の一人が小角を召し取る旨の指示書を読み上げるのが切れ切れに聞こえた。 小角が山門に座り込むのが見え、補吏が近寄って縄をかけた。 「とうとう、小角様は捕まった。」 ナガは体の力が抜けてしまった。予め知っていたことではあったが、悲しみとやりきれない思いでナガの胸は締め付けられた。縄を受けた小角は立ち上がって役人の後に従った。加茂氏の一族も、それぞれ引っ立てられていった。 「山に戻ろう。これ以上見ていられない。」 ナガの言うとおりに善鬼は山に向けて宙を飛んだ。 集落のはずれで、十名あまりの補吏を従えた役人のひとりがぶらついているのが見えた、どこかで見た役人だった。ナガはそれが虫麻呂と名乗ったことを思い出した。 「火を放て。」 その役人が補吏に命じる声が聞こえてきた。ナガは耳を疑った。捕りものは終わったのだ、火を使う必要はない。 野盗の群のような、特に規律の悪そうな集団であった。薄ら笑いを浮かべながら補吏の一人が立派な造りの一軒の家に走り込み、少し経ってから走り出してきた。茅葺きの家から、煙が上がり、すぐに激しい炎があがった。虫麻呂はことさらに大声で叫んだ。 「火をつけおったな、混乱を生ぜしめ、逃走を図るつもりであろう。」 家人は無抵抗のまま縛られ地面に膝をついていた。 「それ、抵抗する者は打ち殺してもかまわぬ。」 補吏の一人が渾身の力を込めて棍棒を振り下ろした。鈍い音とともに、家人の頭から血が飛び散った。役人はそれを見てにんまりと笑った。 ナガは、頭の中が真っ白になった。 ナガは体をひねり、肘で善鬼の手を振りきった。落下しながら、懐の短剣を取り出し大きく振りかぶって、投げた。 善鬼は、落ちていくナガを追って機敏に動いた。ナガの頭が地面に叩きつけられる寸前に停止した。鬼の手がナガの足首をがっちりと掴んでいた。 ナガの目は短剣が役人の眉間に正確に打ち込まれたのを見とどけていた。鬼が手を離すと、ナガはバネのように体を捩って地面に立ち、役人に向かって走った。 虫麻呂は額に違和感を覚えていた。痺れたような、石つぶてが当たったような感覚だった。とくに痛みはないが、何も考えが浮かんでこないのだ。 虫麻呂の視界に鬼の姿と逆さ吊りの少年の姿が映った。虫麻呂は、その少年が走ってくるのを、奇妙な気分で眺めていた。少年は虫麻呂の額に突き刺さった短剣を手のひらの一撃で更に深く打ち込み、次いで引き抜いた。虫麻呂の耳に骨がきしむ音が聞こえ、激痛が額に走った。 「痛いではないか。」 虫麻呂は、我ながらとぼけたことを言っていることに気がついた。次いで、視界がくるりと回って青い空が目に映った。 ナガが再び短剣を手にすると、役人は目を開いたまま、ゆっくりと後ろ向きに倒れていった。補吏たちは呆気にとられていた。ナガは間髪を入れず短剣をふるった。振り向きざまに、役人のもっとも近くに立っていた補吏の首を薙いだ。 短剣は地面と平行に振り抜かれた。横一文字に振り切るのである。ナガは身を翻し、次の相手に向かって駆けた。補吏は長い柄のついた責め具をつきだし身を守ろうとした。ナガは速度を落とさずに走り、責め具の間合いにはいる直前に身を翻し、補吏のわきに滑り込んだ。体の回転を生かして短剣を振り抜く。剣はすべて補吏の首の高さをねらっており、一振りする度に相手の喉を鮮やかに切断した。ナガの動きは三面六臀の阿修羅にみまがうものだった。 「それぐらいにしておけ。」 善鬼はナガの両手をつかみ、宙へ飛び上がった。 こしらえた紙の気球が破れて落ちていた。さらに高度をあげると、縄をかけられた小角の姿が見えた。その姿もどんどん小さくなっていく。 「ナガよ、気が済んだか。」 善鬼はナガが涙を流しているのを見た。 「泣いているのか。」 ナガの中に様々な不幸の記憶が蘇っていった。それは人の世の漠然とした暗さを次々に描き出していった。 善鬼はもとの山に戻り、ナガを地面におろした。 「どうにも我慢できなかった。」 「謝る必要はない。私が人間なら同じことをしただろう。」 ナガは大きく息を吐いた。 「おれは、何もしないでただ成り行きに身を任せるしかないのだろうか。」 「さあな、御主は私にいろいろなことを教えてくれた。何か手伝って欲しいことがあれば遠慮なく言え、どんなことでも手伝ってやろう。」 ナガは、善鬼の目をのぞき込んだ。善鬼の黒い瞳には金色の縁取りがあった。その瞳の中に限りない静寂をみた。 ナガの中に一つの決意が生まれた。 「俺は小角様を取り戻す。一緒に連れて行かれた人たちも連れ戻して、再び理不尽な手出しができないようにする。」 「おい、何を言い出すのだ。」 善鬼は、話にならないといった身振りをした。が、少し笑ったようにもみえた。 「ナガよ、いくさをはじめるつもりか。それに、御上人が伊豆配流になると言ったのは御主ではないか。また、時局もそのように進んでいる。御上人もすでに捕らわれた。まさに、予言通りではないか。」 「ああ、確かに俺の言ったとおりになりそうだ。しかし、巻き添えをくって撲殺された人の姿が頭から消えそうにない。あのやり方が許せない。」 善鬼が、にやにやと笑いはじめた。 「どんなことでも手伝ってやろうと言ったばかりだからな。」 「俺はひとりでもやるぞ。」 「強がりを言うな。御主は過去世で身につけた剣技や様々な知恵をあてにしているようだが、あくまでも兵士一人分の戦力にすぎない。それでは何もできんぞ。」 ナガは武器に頼らない方法で巨大な組織に対抗する方法を記憶の中に探った。 「では手伝ってくれ。頼む。」 「よし。」 善鬼は足下に転がっていた岩をつかみ上げて、ナガに差し出した。 「この石は固いが、打撃を与えずに割るとすればどうする。」 「いくらでも方法はある。例えば、火で焼いて水をかければすぐに割れる。」 「知恵というものは力だな。」 周囲の空気が、覚えのある震えかたをした。 「あたしのことを忘れていないかい。」 どこで話を聞いていたのか、女鬼が姿を現した。ナガは、にやりとした。 「これで、三鬼そろったな。」 「ナガ、いつから鬼になったんだ。」 「よくよく考えてみれば、俺も鬼みたいなものだ。今日それがわかった。」 |