ナガが水越峠に通い始めてから、半月が経った。暑苦しいアブラゼミの鳴き声は、いつのまにかすずしげなヒグラシの鳴き声に変わった。善鬼は、手が空けば必ずナガに近づいてきて話を聞いた。

「ナガ、御主はどうやって水平線にある自国の船を見たのだ。」

「望遠鏡というものを使うんだ。それを覗くと、遠くのものが近くに見える。」

「ほほう。どんなものか見たいな。ここにあるもので作れないか。」

  善鬼にとってナガから聞く話は、どれもが新鮮な驚きに満ちたものだった。特に、自然の理にかなった道具が鬼の心をとらえていた。

 先日、ナガは「エンジン」の話を善鬼に聞かせた。善鬼はしつこいほどにその説明をナガに求めた。ナガは木材を加工して弾み車を作り、内燃式エンジンの基本的な構造を説明した。善鬼は、じっとナガの説明を聞き、翌日には竹筒を器用に加工し、二つの弁を持った往復ポンプを作製した。ナガの説明したかったことは、シリンダについてではなく、フライホイールの機能なのだが、鬼の器用さにはナガも舌を巻いた。その往復ポンプは実用性には乏しいものの、立派に機能したのである。

「できることなら、作ってやりたいが、材料がない。無色透明で、気泡の入っていないガラスがないとだめだ。今の時代のではまともな像は結ばない。レンズの削り出しと研磨については自信があるんだ。気長にやればいいものが出来ると思うよ。冬まで待てば、きれいな氷を削り出してレンズの代りにすることができるかもしれない。」

「じれったい。唐で作っているのなら、購いに行ってくる。」

「無理だな、九百年ほど待たないと予約もできないよ。」

 善鬼は、ぼりぼりと顎を掻いた。

「では、冬まで待つか。その方が早い。」

「おもしろそうな仕掛けを色々と思い出すんだがなあ。一から作ろうと思っても、その材料の製法や加工法を全部知っていなければ、まともな物は何ひとつ作り出せない。もっと勉強しておくべきだったよ。」

「ナガよ、現にある材料でもいいものは沢山あるはずだ。それらを使って何か面白いものを作ることを考えようではないか。何か思いついたら言ってくれ。大抵の物ならば調達してくるぞ。」

 善鬼にとってナガは格好の遊び相手であった。ナガはしばらく考えた後、簡単な仕掛けで空を飛ぶ道具を思いついた。

「あんたには必要ないだろうが、空を飛ぶ道具がある。俺はそれを使って風に乗り、いくつもの高い山を越えたことがあるんだ。」

「ほう、ほう。そういう物が見たいのだ。で、どうする。」

 鬼は怖ろしげな顔に埋め込まれた知的な目を輝かせた。

「まず模型を作ることにしよう。すき紙を四角な箱形に張り合わせて、下に竹の棒を取り付けるんだ。あとは、竹の棒に油をしみ込ませた綿を結わえ付ける。それで出来上がりだ。」

 ナガは土の上に棒きれで略図を書いて説明した。

「そんなものが飛ぶのか。」

「飛ぶ。油綿に火をつけて熱い煙のたちのぼる力で飛ぶんだ。」

「ほう、ほう。それで、どれぐらいの大きさの模型をつくればいいのか。」

「高さは俺の背丈ほどもあればいい。紙は糊で張り合わせる。こんなものでも結構飛ぶぜ。」

「よし、大体わかった。」

 鬼を探して土師連博麻が、慌ててやって来た。博麻の着物がびしょ濡れになっている。

「善鬼様、こちらでしたか。水が出ました。」

 博麻は予想外に大きな地下水脈に当たったことを報告した。それが勢いよく吹き出しているという。

「水は甘く、勢いがいい。しかし、量が多すぎます。」

 善鬼は、ナガを振り向いた。

「御主も来い。」

 善鬼は巨体をしなやかに弾ませて山道を駆け、すぐに視界から消えた。ナガは、博麻の後ろ姿を追った。ナガが息を切らせて水脈の吹き出し口に来てみると、子供の背丈ほどの水柱が岩の切り出し跡から立ち上がっていた。鬼が水柱に口をあてて、うまそうに飲んでいる。

「俺にも飲ませてくれ。」

 ナガは鬼と入れ替わりに透明な水柱に口をあてた。清冽な水がのどに流れ込み、あふれた冷水が顎から喉、胸元を濡らした。ナガはのどの奥にしみいるようなさわやかさを感じた。

「うまい水だ。体の底までしみ込んでいくようだ。」

ナガは心からそう感じた。

「気脈を通る水だからな、清浄な気に満ちているのさ。」

「水柱が立つほどの水脈があるとは思いませんでした。」と、博麻。

「博麻殿、この水は谷へ流そう。このまま放っておくと土砂崩れを引き起こすかもしれん。」「それがいいでしょうな。」

 善鬼と博麻の打ち合わせを尻目に、ナガは水柱の丸い先端に手をあてて冷水の感触を楽しんでいた。水で出来た童子の頭に手を乗せているようにも見える。

「その必要はない。これはもうすぐ治まる。」

 ナガの言葉を善鬼と博麻はいぶかった。

「なぜ、わかる。」

「こうやって手を水に当てていると、地中に広がる水脈が俺の一部みたいに感じとれるんだ。地中の水の流れが、変わろうとしている。他の湧き出し口を探し回っているみたいだ。」

 土師連博麻が手を打って歓声を上げた。

「ナガ殿は水魂を感じるのか。よーし、久しぶりにやるか。」

地中を網の目のように流れる水脈が複雑な層をなし、被圧地下水が流れて微細な電位が変動する場所。そこに強い気が通じると水脈全体が意識を持つ。ナガは博麻の言う水魂をそう理解した。巨大な山の質量によって実現された水脈による論理回路は、昆虫の頭脳よりもはかない意識しか持ち得ない。長い年月によって蓄積された圧力の放出により一時的な覚醒を見、水圧の安定によって再び永い眠りにつくのだ。

博麻は大声を上げて配下の者を呼んだ。

「まず、ナガ殿、そのまま動いてはなりませんぞ。」

 善鬼は、博麻に尋ねた。

「博麻殿、詳しく説明してもらえませんかな。」

「後で。しばらくは見物しておいてください。」

 博麻のもとに数人の若者が走ってきた。皆、土師の姓を持つ博麻の一党である。博麻が「水魂の法」を告げると、若者たちの表情が引き締まった。

 ナガは次第に水の冷たさがこたえてきた。夏でも山中の地下水は痛いほどに冷たい。

 博麻の一党は山刀をふるって木立の枝を切り落とし、木の杭を作り始めた。

「ナガ殿、水脈の位置を教えてください。まず、あの辺りですか。」

 ナガは博麻のやろうとしていることを理解した。ナガの感じ取っている水脈の位置を地表に木の杭を打ち込んで表現するつもりなのだ。木の杭は手際よく作られていき、すでに何十本も用意されている。

 ナガの苦行が始まった。体は冷えるし小便もしたくなってきた。

「二十番までの杭、確認できました。」

「よし、三十番までの杭を打て。」

 博麻はナガの側に立ち、図面を広げて杭の番号と位置を書き込んでいった。ナガは水脈の位置を博麻の地形図の上で指し示して教える役である。平面に描かれている地形図に、地中の水脈を書き込む作業は特殊な技法を要する。善鬼は興味津々で図面に見入った。

 博麻の一党は図面をかわるがわるに見に来ては目的の場所に木の杭を打ち込んでゆく。

手慣れた動きでも、ナガにはきわめてじれったいものだった。

「まだ、時間がかかるかなあ。寒くなってきた。」

 ナガは耐えきれなくなって、博麻に聞いた。

「水魂は偶然の術です。この私も若い頃に一度だけ出来たことがある。辛抱してください。」

「わかったよ。俺は結構辛抱強いんだ。しかし、一つだけ頼みがある。小便させてくれないかな。」

「だめです。」

 博麻は、ナガの訴えるような視線を無視して、百十番から百二十番の杭の位置をナガに尋ねた。

 善鬼は気の毒そうな顔でナガを見た。小便ぐらいしても問題はないと思われる。博麻は慎重なだけなのだ。ナガの苦行はさらに続いた。百番台の杭の確認は寒さと尿意との戦いだった。ナガは何本の杭が必要かを計算することで、何とか気を紛らわそうと努力した。二百番台の杭を打つ作業は、さらに高まる尿意を、どうしようもないあきらめと半ば無感覚になってしまった体を憐れむ気持ちにすり替えることで切り抜けた。

 善鬼は、ナガの様子が尋常でなくなったことに不安を覚えた。

 ナガの辛抱は三百番台の杭で極限に達した。体の芯まで冷え切って唇は紫色になり、歯が鳴って口を閉じていられなくなった。体温を奪われることは苦痛ではあったが、ナガを苦しめているのはむしろ膀胱からの要求だった。大量に飲んだうまい水は、ナガの体内を一巡して、再び大地に戻る一歩手前まで来ていた。

「四百番まで確認できました。」

 土師氏の若者の報告を聞いた博麻の顔が、ナガに向けられた。

「ナガ殿、実に、実に、ご苦労さまでした。」 

 苦行は終わった。はーっ、とナガは息を吐き、次に息を吐くときにはナガの内腿を暖かい液体が滔々と流れ落ちていた。袴をはずす余裕など、とっくに消え失せていた。

「ナガ、いろいろ出来るのも考えものだな。」

ナガは恍惚と放出し、激しい尿意から解放された。最後の一絞りが流れ落ちる瞬間、神の岩と信貴山にあるもう一つの大岩がナガの脳裏にひらめいた。

「水脈を使った護符だったんだ。」

 ナガのつぶやきに鬼の耳がぴくりと動いた。

 

 善鬼と博麻、小角、淨智、ナガそれに妙鬼が集まって博麻の書き上げた新しい地形図をのぞき込んでいた。

「お上人の設計では水晶と水銀を用いて気脈を通じさせる仕様になっていますが、水脈をうまく利用すれば、いっそう自然に霊気を通じさせる事が出来ると考えます。しかも土を大量に動かす必要がない。」

 小角は、博麻の説明を聞きながら図面を見つめていた。また、ナガも食い入るように図面を見ていた。ナガは、工事現場に通いながら博麻や善鬼から工事の概要を聞き及んでいた。

「博麻よ、最初から御主に設計を依頼した方が良かったかもしれんな。」

 博麻は小角の言葉を聞いて思わず笑みをもらした。

「水脈の位置が把握できたためです。これは、ナガ殿のおかげです。ナガ殿には苦しい思いをさせましたからなあ。」

 ナガは得意な気分になった。小角はしばらくの間、白いあごひげを触りながら考え、口を開いた。

「しかし、遠く四国にまで水銀を採取しに行った者もいる、帰ってきたときに不要になったと聞けばさぞやがっかりするであろうが、、、。」

 小角はあくまで自分の設計にこだわっている様子だった。博麻は小角の様子を見て顔を曇らせたが、すぐに気を取り直した。小角の意向は博麻にとって重要な意志決定の要素だった。

「わかりました。この図面は、参考ということにしておきましょう。従来通り、お上人の設計で工事を進めることも、肝要なことです。」

 ナガは、博麻が早々と図面を片づけ始めたのを見て、思わず図面を押さえた。図面は音をたてて裂けた。

「わっ、破れてしまった。」

 ナガは、あらかじめ善鬼からこの工事における水銀の使用について聞いており、それに対する強い抵抗を感じていた。

「俺の話も聞いてくれ。水銀を地中に埋めたり、水源の近くにばらまくのは良くないぞ。」

 小角は心外な顔つきになった。

「水銀は気脈を通じるための霊薬と記されておる。悪い気を寄せ付けぬ効能があるということで今回の工事では特に用いたいと考えている。」

「水銀はいろいろなものとすぐに結びついて強い毒性を示す。防腐剤の原料になるのは、その毒性によるんだ。大量にばらまくことなど絶対にやめた方がいい。」

 小角はナガがいい加減なことを言っているのではないと感じたが、長年、信じてきたことが覆されることは愉快ではなかった。

「御上人、ナガの言っていることはおそらく間違いないことです。」

 善鬼の言葉に背中を押されるように、小角は頷いた。

「わかった。予定を変更する。博麻、御主の思うようにやってみよ。」

 小角は感情を表さないように語ったつもりだったが、その場の誰もが小角の自信の揺らぎを感じ取った。

「立派だよ、小角。頑迷なじいさんになっているんじゃないかと心配していたんだ。」

 それまで無言だった妙鬼が、小角に向かって言った。

「久しぶりに御主から誉め言葉をもらった。」

 小角は目をつむった。

「誤りを指摘されて、くよくよしているのではない。ナガから聞いた。儂は罪を得て、伊豆に流されるのだという。うかつにも、これは富士へ登るよう龍神菩薩がはかって下さったことだと考えていた。しかし、そうではないのだ。若い頃に見上げた中天の陽は、ふと気がつけばすでに大きく西に傾いている。儂に残された時間は少ない。儂はすべての過ちと、罪業を滅するために行かねばならんのだ。それが今わかった。」

 淨智は胸のつぶれる思いがした。淨智にとって小角は不動の存在であり、消えてゆく種類のものではなかったのである。しかし、小角もやがてはいなくなってしまう、このおもいが淨智の心を激しく揺さぶった。

「御上人、必ず戻ると約束して下さい。」

 淨智はそう言って合掌し、頭を下げた。

「淨智よ、泣いておるのか。」

 小角の言葉に、淨智は顔を上げて見せた。丸い顔にゆがんだ笑みが張り付いていた。

「涙を流すすべは忘れてしまいました。」

 涙が流れた方が楽ですな。そんな声が聞こえてきそうな笑顔だった。

「人とはせつないものだ、常にやるせなく、つらい。それ故に、儂は人の枠を越えてみたかった。修行の甲斐あっていくばくかの神通を得た、ところが完全無欠の判断には遠い。気づかぬところで間違いを犯しておる。人の枠を越えることはかなわぬ夢かも知れぬ。しかし、儂は一つの悟りに入ろうとしている。やがて御主にもこの気持ちがわかるときがくる。」

 小角は淨智にそう言ってから、急に明るい口調にきりかえた。

「湿っぽい話はやめじゃ。久しぶりに大鍋を使って皆で囲もうではないか。山の幸を放り込んでな、豪勢に食しよう。」

「いいですな。」

 善鬼が小角に相づちを打った。ナガは、松の林にハナビラタケが生えていたのを思い出した。夏から秋にかけてに生える珍しいキノコで、白い花びらのような傘をぎっしりと重ねて広げる。大人の頭ほどの大きさになり美味である。

「うまい茸を見つけたんだ。それも鍋に入れようか。」

「ではおのおの適当な材料を持ち寄って大鍋に放り込むことにしよう。近頃は夕方になると涼しいからな、鍋を囲んでいても暑くはあるまい。」

 小角は、ことさらに明るく語った。淨智はこれが小角とともに食事をする最後の機会のような気がした。風がさあっと吹き抜けて木立の枝が鳴り、なぜか蝉の鳴き声が止まった。

秋の訪れを感じさせる涼風だった。

 

 淨智はブナの林を歩いていた。みんなが喜びそうな食材を考えたが、粗衣、粗食が身に付いているせいもあり、また近頃さっぱり頭が冴えず適当な食材を思いつく事が出来なかった。ナガがキノコの話をしていたので何となくキクラゲが頭に浮かんで、ブナ林に来ている。

 この思いつきは悪くないはずだった。キクラゲはブナの枯れ木などにまとまって生える。一カ所でも見つけるとかなりの収穫となり、また食べやすいキノコでもあった。

 ところが、さっぱり勘が働かず、なかなか見つけることが出来ない。

「おかしいな、この時期ならいくらでもあるはずなのに。」

 淨智は巨樹の間を歩き、倒木の脇にしゃがんだ。

「何を探しておられるのか。」

 誰もいないとおもっていた場所で突然に声をかけられ、淨智は息をのんだ。

「ああ、驚いた。善鬼様ではありませんか。」

「その様子だと、キクラゲを探している様子ですな。全然見つからないでしょう。」

「はい、まったく不思議です。いつもならこのあたりに沢山あるのです。」

「微妙に何かが変わった、淨智殿は感じませんか。生えていないのはそのせいですよ。」

 淨智には、善鬼の言う変化が感じ取れなかった。善鬼はなにくわぬ顔で倒木の下からまだら模様の蛇をつまみ上げた。

「山かがしです。普段なら、山のふもとか田んぼに住む蛇ですが、こんな山の中にまで登って来ている。」

 蛇はつまみ上げられたことに腹を立てていた。身をくねらせて威嚇の姿勢をとり、さかんに毒液を滴らせながら喰いつこうとしていた、が、鬼の前には悲しいほど無力だった。

善鬼は、淨智が蛇に憐れみの視線を注いでいることに気がついて、その生き物を解放してやることにした。無造作に放り投げられた蛇は、するすると慌てて逃げていった。

「私は、小角様に広足殿のことを話すことが出来ませんでした。」

 淨智は、広足の一件を未だ小角に報告していなかった。小角が滅多に顔を見せなくなっていたこともあり、今日も小角の様子を見ているうちに話しそびれてしまったのだ。

「その点は気にしなくてもいい。御上人の一番近くにいるのは、この私なんだし、必要ならば既に私が話しておくべき種類のことだ。御上人は義覚、義元ご両人のこともお尋ねにならない。」

「小角様は、何もかもご存じなのでしょうか。」

「いや、御上人とて神や仏ではない。むしろ何かの一線を越えようと、もがいているおられる。側で見ていると、気の毒に思うことがあります。ところで、淨智殿はナガと話したことがありますかな。あの若者は実に面白い。悩みから解放された自由な心を持っている、ナガといると楽しいですよ。」

 淨智はナガと軽い挨拶ぐらいはするのだが、特に話し込もうとしたことはなかった。なによりも近頃の淨智はふさぎの虫にとりつかれていて人と話すことがおっくうなのだ。

「ナガ殿は見たところまだ子供といってもいいぐらいの若者です。悩みを知らず、青春の誇りに満ちている。私は、若者にありがちな無邪気さに過ぎないと思っています。」

 善鬼は淨智の目をのぞき込んだ。鬼の視線は、圧力を感じさせるほど強いものだった。

「ナガの中身は外見とはちがいますよ。たいへんな知恵者で、老熟している。これはナガに教わって作ったのですが、、、」

 善鬼は腰にぶら下げている竹製の玩具を手に取った。

「水を汲み出す道具です。これはこのように使う。」

 善鬼は倒木のうろに溜まっていた水を、小さな竹の道具を使って器用に汲み出して見せた。淨智は、それを見て不思議な感動を覚えた。たわいない玩具にも見えるが、非常に精巧な造りであり真似て作れるものではなさそうだった。

「よくできた道具でございますな。」

 鬼は恐ろしげな顔に、実に満足そうな笑みを浮かべた。淨智はその笑顔がうらやましかった。

「器用な方はうらやましい。そのようなものを作って遊べるのですから。」

「形のあるものを作るのは、楽しいことです。淨智殿も何かこしらえることを検討されてはいかがかな。」

「生来、不器用なたちでございますので、、。」

「器用不器用はいろいろ作ってみないとわかりませんよ。さて、私はもう行かねば。淨智殿、キクラゲはこの山の北側に沢山生えている。行ってみられよ。」

 善鬼はそれだけいうと猿のように木から木に飛び移りながらどこかに消えた。

淨智は何気なく倒木に目をやった。その木の表面に水でなにやら文字のようなものが書かれてある。善鬼が竹の玩具で汲んだ水で書いたものらしかった。その文字を読み、淨智は目を見開いた。

自らを灯明とせよ

 ふいに、淨智の肩に重くのしかかっていたものが崩れて落ちていった。それは、若い頃から次第に増やしてきた重荷であり、焦りの気持ちでもあった。その言葉が淨智の大悟の言葉となった。無人の山中で淨智の笑い声が響いた。腹の底から湧き出してくるような、自然な笑い声だった。

淨智はブナ林の湿った地面に平伏し、鬼の教えに長々と礼を述べた。

「あのお方は、菩薩の化性であった。私は菩薩の姿を写した絵を描き、神像を造ることにしよう。それこそが私の生きた証となる。」

 淨智は、この日から数えて数日後に山を下り、再び葛城に戻ることはなかった。やがて、四国の山中に恐ろしげな神像を刻む怪僧がいるという噂が善鬼の耳に届いたとき、この鬼はにこやかに笑った。

 

 

 

 

 

 

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