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転移装置 フォーマ教授が演壇に立つと同時に低い地鳴りが聞こえた。これはグランドに埋め込まれた転移装置の巨大な天蓋が開く音である。 ローズウッドの重厚な机の上には、宙導師候補生たちの、事前に提出されたレポートが積み上げられている。 「君たちのレポートは全て私なりの検討を加え、特記すべきところは記憶した。今回は、全体を通してたいへんいい出来だった。点数を付けるとすれば全員が及第点だ。これらは、ライブラリーに保管しておくので、あとで目を通しておくといい。地球への派遣実習希望者は比較的少なかった。私の講義において、地球の血なまぐさい歴史を強調しすぎたのかもしれない。特に絶え間なく起きる民族間の摩擦、権力闘争、宗教戦争における悲惨な記録が諸君にショックを与えたものと思われる。貧困な環境にあって、さらに殺戮や奪い合いが起きるのはやりきれない。では、地球は悲惨な、最悪の、どうしようもない世界だろうか。その厳しい環境において精神の覚醒を得る者がいるとすれば、泥沼から花芽を突き出す蓮に象徴されるような真の覚者と呼べるのではなかろうか。実習生はその点にも気を付けて調査を進めて欲しい。さて、先に、選考の結果を発表しておこう。掲示板に書いたとおり今回の派遣者は、三名だ。」 選考結果と聞いて候補生たちは緊張した。教室は水を打ったように静まり返った。エントリーしていない者も、同じ緊張を共有する。他人事ではないのだ。一定の期間をおいて実習は次々に行われる。次回は自分かもしれない。 フォーマ教授は力強い声で発表した。 「ヌーク・ガイ、鬼気迫るレポートだった。博物館の資料を駆使し、標本から得た手触りを独自の手法により展開してある。」 ヌークは軽く頷いて立ち上がった。他の候補生たちは、惜しみない拍手を送った。イピもまた拍手した。 「二人目は、君だ。マルコムを使い、洗練されたホログラムを作り出したのには驚かされた。」 イピは、マルコム、ホログラム、という単語を聞いて心臓がどきりとした、とうとうやったと思ったからだ。イピは思わず立ち上がろうとした。 「ラグ・ロム・シャヒル。」 ラグが立ち上がった。その誇らしい姿は、犯しがたい気品を光のように放射していた。一段と高い拍手が起こった。 イピは、ラグの名を聞いて激しく落胆した。似たような手法で展開されたレポートが二つあっても、どちらかしか選ばれないだろう。今回もラグにやられた。イピは、そう自答し、もはや何も聞いていなかった。 「さて、最後に最優秀のレポート提出者を発表する。実にすばらしい、私も学ぶところが多くて、ゴールドディスクにして保存することにした。実習に行ったら、資料から得たものと実物をぜひ見比べて来て欲しいね。イピ・アベスタ・ユーム。」 教室に割れんばかりの拍手が起こった。イピは、自分の名前を聴いて我に返った。 やったのか。 フォーマ教授が、サイレンのような声で言った。 「イピ・ユーム。きみだ。」 イピ・ユーム、ラグ・シャヒル、ヌーク・ガイの三人は、講義が終わると直ちに派遣実習の実行委員会長室に出頭するよう命じられた。イピは、すっかり上機嫌になっていた。フォーマ教授から上々の賛辞を受けたことだし、とにかくラグを凌ぎ、選考にも通った。イピは委員会で何があるのかをラグに尋ねようとした。派遣の経験者は三人の中でラグだけなのだ、しかし、ラグの緊張した横顔を見てそれをやめた。ヌークも気楽そうに見えるが、一言もしゃべらないので、やはり緊張していることがわかる。 三人は、神妙な顔つきで、分厚い木製のドアをノックした。ドアは、長い時間に磨かれて深い艶が出ており、とろけそうな風合いがある。ノックした部分は、長い時間をかけて摩滅し丸く窪んでいた。 三人を迎えたのは、アヒムサカ大老であった。おそろしく長身でいびつな姿はイスに腰掛けていてもその異様さがわかる。何よりも大老の視線がほとんど物理的な圧力となって三人に注がれた。今日の大老は気合いが入っているのだ。 イピたちは大老の前に並んで一礼した。大老は鋭い目つきで、じろりじろりとにらんだ。イピは、無性に怖くなってきた。横目でラグを見ると、ラグの顔が青くなっている。 大老は人のものとは思えない低音で語った。 「おまえたち三人は、今日、派遣実習にでかけるのだ。実行委員会の名において転移装置の利用を許可する。準備は整っている。フォーマのところに出向き、必要なものを受け取るがよい。それからこれを持ってゆけ。」 大老は、懐から三つの青い玉を取り出し、細長い掌の上に並べて見せた。イピの持っている端末と同じような、古くさい型の処理装置だ。大老は長い指で一つずつ大事そうにつまみ上げ、一人ずつに差し出した。イピも大老の前に進み出て受け取った。 「これ、何?」 ヌークが青い玉を手の上で転がしながら気軽な調子で尋ねた。イピはヌークが大老と知り合いであることは聞いていたが、どこか非常識な気がした。アヒムサカ大老は、それを咎める様子もなく丁寧な説明をした。 「その玉はおまえたちと向こうの世界をつなぎ止める錨の役目を果たし、同時に因果の乱れを監視する。おまえたちが行くのは、本来、乱してはならない、よその時間だ。玉は向こうの世界につくと薄い空の色に変わる。おまえたちが因果を乱す度、玉は熱を帯びて黄色味をまし、さらには赤くなっていく。玉が深紅に染まって燃え上がると、取り返しのつかない因果の乱れを起こしたものと覚悟せよ。そうなる前に、干渉を止め、玉を砕け。そうすれは向こう側におまえたちをつなぎ止める力がなくなり、こちらに戻ってくる。」 三人は大いに頷いた。 「では、往け。」 大老の部屋から出るなり、イピはヌークに言った。 「大老にあんな口のききかたは失礼じゃないか。」 「いいのさ。茶飲み友達なんだ。昨日も、僕の作った薬酒を何本か持っていってあげた。」 「大老を買収したのか。」 「ばかな、そんなことで大老は変わらないよ。いろんな話が聞けて面白いんだ。フォーマ教授が候補生だった頃、伝令のアルバイトをして、よく内容を間違えて伝えたという話も聞いた。他にもいろいろ聞ける。」 「へーえ、あの目に見つめられると僕は固まってしまうけどね。」 「慣れだよ。」 「僕には慣れるまでが耐えられないと思う。」 候補生たちは、よく教授の研究室に立ち寄る。人気のある教授の場合ほとんどサロンのようになっている。三人が教授の研究室に入ると、何人もの候補生がすでにたむろしており、祝福を受けたり感想を聞かれたりした。 キラも来ていた。 「おめでとう、イピ。おめでとう、ヌーク。」 「ありがとう、初めてだから、緊張してるんだ。」 ヌークは、軽く頷いただけで、教授の部屋に備えられているコーヒーポットに手を伸ばした。 「無茶をしないでね、あまりいい加減なことをしていると向こうで消滅することだってあるのよ。」 キラの緑色の瞳にイピの顔が小さく映っている。 アイスもやってきた。 「ヌーク、それに、イピ、やったな。僕も今回のレポートには、頑張ったんだがな。」 イピは、その気持ちがよくわかった。 「次があるさ。」 「ああ、別に気にしてない。」 アイスは、あっさりしていた。 研究室には、本棚に入りきらない古い本や、ディスクが方々で山のように積み上げられていた。イピが何気なく本の山を見ていると、その陰からコウモリの羽根と蛇の尻尾、頭には山羊の角を生やした怪しい男が、しゃがんでイピを見ているのに気が付いた。イピが目を凝らして見ようとすると、こそこそと本の陰に隠れてしまった。 「何だ、今のは。」 イピの質問にフォーマ教授が本棚のかげから出てきて答えた。 「気にせんでいい、勉強好きの悪魔だ。この研究室の新しい住人だよ。君たちの邪魔はしない。時々質問に答えてやると、代わりに片づけをしてくれたりコーヒーの準備をしたり何かと重宝する。そんなことより、アヒムサカ大老のところで、青い玉をもらったかね。」 三人は、それぞれポケットから取り出してみせた。 「いまそれは、青い色だが、いずれ赤い色に変わる。真っ赤になる前にたたき壊すんだ。いいね、詳しい使用法はその玉自体に書き込まれてあるからよく読むこと。質問はないね。」 大老の方がよっぽど親切な説明をすると、三人ともが思った。 「それと、端末機は、持っているだろうね。端末機は、当然ながらこちらとはつながらないが、君たち同士は情報の交換が出来る。それらは紛失しないよう注意を怠らないこと。」 「もし、失ったらどうなりますか。」 ヌークがコーヒーカップを手に持ったまま尋ねた。 「端末機の方は、向こうに残る。誰も使えないとは思うが、用心に越した事はない。大老から受け取った玉は、君たちがそれを放棄した時点で自動的に割れる。割れたら、こちらに戻る。これは、一種の安全装置だ。」 イピと、ヌークはなるほどと頷いた。 「さあ、テーブルの上に用意した服に着替えたまえ。ポケットに、何枚かの銀貨を入れてある。」 テーブルの上には、三着の粗末な灰色の修道服が用意されていた。三人は、さっそく着替えを始めた。 「実習期間は現地時間で三十日だ。それ以前でも玉が赤くなってしまえば地球に留まることが出来ない。それ以上居続けると、玉は熱を発して燃え上がる。そうなったら、君たちは完全にあちらに同化してしまうからね。向こうで恋に落ち、玉が燃えるままにして、戻らなかった、そんな例があるが、賢明な君たちは止めておきたまえ。君たちは目的の時空に行って、錬金術の知識、設備などについて調べてくること。その他の事も出来るだけ調査して欲しいが、なかなか思うようにならないと思う。色々と制約があるからね。得意な術もあまり使わない方がいい。すぐに玉の色が変わってしまうぞ。」 フォーマ教授は、白い口ひげをつり上げ、せかせかした口調で言った。 「諸君、それではグランドに向かおう。先ほど連絡があってね。博物館の保管庫に黒ネズミの巣が見つかった。ほとんどは捕獲したようだが、特にすばしこいのがまだ走り回っているらしい。転移装置の天蓋はすでに開いてある。そんなことはないと思うが、かじられたら大変だ。君たちを早く送り出して閉じておきたいのだ。」 フォーマ教授は慣れない服にとまどっている三人をせかした。ヌークは粗末な服が気に入らない。おまけにいつも身につけている指輪やブレスレットが粗末な服に実に不似合いだ。 「ヌーク、指輪だけでも外したらどうだ。そんなものを身につけている修道者はいないぞ。」 イピが見かねて言うと、ヌークは軽く肩をすくめて言った。 「ポケットの銀貨を元手に一儲けして、すぐにいい服を買うさ。ブルジョア階級の台頭期だからね、チャンスは沢山あるだろう。」 「そんな事をしてもいいのかな。」 イピの素朴な疑問に、フォーマ教授が答えた。 「術に頼らず、向こうの習慣に則って生活するなら大丈夫だ。ただし歴史的な大富豪になってもらっては困る。ブルボン王朝を丸ごと買い取ってしまったりすると、非常にまずい。それこそ歴史が狂って多くの現役宙導師が出動する羽目になる。」 実習生一行はグランドに移動した。フォーマ教授も責任者として見送るために付き添っている。他にも派遣実習の旅立ちを見送る候補生たちがグランドの周りに沢山来ている。エルゼなどはラグの側につきっきりだ。 幾何学模様の浮き出た直径百メートルばかりのクレーターは陽の光を反射してまぶしい金色に輝いている。グランドの端には小さな管制塔があり、事務局の転移装置管制員が実習生の到着を待っていた。管制塔の窓から予定の三人を確認すると、管制員は装置の暖機状態を再度確認したうえでフルブースト・スイッチを入れた。フォーマ教授は講義にのぞむ前に事務局に立ち寄り、この装置を起動するように要請してあった。巨大装置の発動には時間がかかるのだ。 クレーターに黄金の光が満ちてきた。陽光の反射だけではなく、自らも発光し始めている。すざまじいエネルギーが消費されているのが分かる。転移装置の前に立っているだけで全身の細胞が震える感覚が生じてくるのだ。巨大装置は始動の最終段階に入った。 そこへナーセルディが血相を変えて走ってきた。その手に一通の書面が固く握られている。 「フォーマ教授、どういうことです。博物館からの連絡を受けていないのですか。」 ナーセルディは、ほとんど掴みかかるようにフォーマ教授に迫った。 「連絡は受けた。だから出発を急いでいるんだ。」 「地球行きの派遣実習を延期すべきです。」 ナーセルディは深刻な表情でまくし立てた。フォーマ教授は戸惑った表情になった。博物館からの連絡はもっと控えめな表現だった。 事情を知らない事務局の転移装置管制員がアナウンスによって起動完了を告げた。 「転移装置は入力待ちの状態に入りました。」 「ナーセルディ君、転移装置は起動した。三人を送り出し、そのあとで天蓋を閉じればいいだろう。」 ナーセルディは握りしめていた書類をフォーマに示した。二人のやりとりを見ていた候補生たちもしわくちゃになった書類をのぞき込んだ。 第一級非常態勢報告 先頃、捕獲したネズミは野ネズミの変異体であることが判明。非常に素早い動きをし、光るものに引き寄せられる習性があるため、転移装置の発動中止を勧告します。 博物館長
レビ・ストロス 「こんな報告は受けていないぞ。」 フォーマ教授は、決断を迫られた。 「異物が飛び込んできたら、捕まえて放り出しますよ。」 ヌークが自信を込めて言った。 「だめだ、転移装置のなかで術を使うのは禁物だ。特に君の術は危険だぞ。」 ナーセルディが、これ以上は聞き取れないほどの早口で注意した。 フォーマは決断した。いつもの柔和な表情から宙導師であった頃の顔つきになっている。 「派遣実習は予定どおり行う。」 「なんですって。」 ナーセルディはもじゃもじゃの頭を掻きむしった。 「久しぶりにぎりぎりの決断を迫られた気がする。そんな時、私は自分の勘に頼るのだ。彼らは今旅立った方がいい。私の勘がそう告げている。」 「私は責任をもたない。」 ナーセルディは唇をかみしめた。 「転移装置は入力待ちです。省エネにご協力を。」 再びアナウンスが流れた。 「君たち、気を付けて行くんだ。今回の派遣実習は最初から波乱ぶくみだからね。」 フォーマは力強く語った。イピの側に立っていたキラが、軽くイピの頬にキスをした。 「気を付けてね。イピ。」 まばゆいばかりの金色の光のなかを実習生たちは歩いていった。途中からは周囲から押し付けて来る力によって装置の中央に押し流され始めた。実習生たちの姿は恍惚と光の中を歩む聖者のようにみえた。じっさい彼らの精神は聖者そのものの昂揚を示している。 「おい、あれを見ろ。」 だれかが大声で叫んだ。黒い、ネコほどもある大ネズミが金色の緩やかな壁面を駆け下り、装置の中心に向かって猛然と走っていく。 巨大なエネルギーによって装置の中心部に時空の穴が生じている。ネズミは異常に素早く、見る間に暗黒の穴に飛び込んで消滅した。 「見たか、ラグ。」 ヌークが言うのを待たず、ラグとヌークは装置の中心部に向かって駆け出した。 二人の姿が消え去った。 イピも遅れまいと中心部に走った。急いで、とエルゼが叫んだのを最後に聞いた。 |