8    ゴレム

 

 岩石に荒いタッチで彫り込んだ顔があるとすれば、イピの目の前に突き出されているのがそれだ。深い眼窩には赤い目玉がイピを睨み付けており、地鳴りのような声はイピの腹に響いた。公安課の取り調べは延々と繰り返される。休憩と取り調べが交互に行われ、外部との接触がとれない。イピは事件の発端から終わりまでを繰り返し質問され、同じ答えを繰り返した。

「おまえは警戒態勢に入っていることを知っていた。だからこそ、原始的な爆発物を用いて、われわれの財産を破壊し、さらに大きな混乱を引き起こそうとした。そうだな。」

 イピの瞼は嫌気とだるさでなかばたれさがっている。

「ちがう。遺物の性能を実際に確かめたかっただけだよ。」

「おまえは貴重な遺物までも破壊した。」

「あれは事故だ。火薬の種類を間違えた。それに発射された弾丸は友人が受け止めるはずだった。」

「人に向けて発砲することは、殺人行為に該当する。おまえは心の中で相手を殺してもかまわないと思っていた。」

「そんなことはない、彼にとってはボールを受け止めるのとかわらないんだ。」

 両者の会話はまったく噛み合わない、無理に話を続けるか、黙ってやり過ごすかのどちらかしかないが、イピとしては黙認の形を取りたくなかった。なにしろ、この公安課職員は、きっとそうに違いないという風に話し、ばかばかしくて黙っていると、では認めるものと見なすとしてしまう。

 イピは尋問を続ける公安課職員の顔をどこかで見たような気がしていた。質問に答えながら記憶を探るうち、ふと思い出した。命を吹き込まれて大暴れする石像の話を古い絵物語で読んだことがある。タイトルは魔像ゴレム。目の前の顔はその物語の挿し絵にうりふたつだった。ゴレムは疲れも知らず怖れも知らない。無敵の、最強の破壊者だ。

 目の前のゴレムは全くイピの話を聞こうとはしない。二つの主張は全くの平行線をたどっていた。ただし、ゴレムは疲れを知らないが、イピは疲れと同時に焦りを感じ始めていた。こんなところで貴重な時間を潰しているわけにはいかないのだ。調書にサインをすれば、候補生の特権でとりあえず仮釈放される。そのあとで、十分な証拠を集めて提出すれば調書を無効にすることもできる。しかし、それは危険だった。

 小さな机の両脇にイピとゴレムが座っている椅子がある。それ以外何の調度もない。尋問室には窓がなく、無機的な灰白色の床材と壁面はゴレムの声に平板なエコーをつけた。

「強情な奴だ。早く認めろ。おまえは悪い候補生に違いないのだ。」

 イピには今後の予定が告げられず、いまだ面会すら許されていない。端末機に入れてあるレポートを早く提出したかった。つぎに休憩時間が来たときに総仕上げをしておかなければならない。イピは、前向きな姿勢を続けていた。それは休憩室でマルコムのマスコットがそれなりの働きをしたせいもある。

 マスコットはイピが使い込むうち次第に円滑な動作をするようになっていた。

「マスコット、何でこんな事になったのかな。」

「それは今のおいらには、答えられないな。マルコムとつながって、豊富な知的資源を利用すれば答えることもおそらく可能だがね。」

「外部との接触は許されてない。」

「今のおいらにできるのは、暇つぶしの話し相手になることとレポートの仕上げを手伝うこと。それに、ゲームなら得意だ、これは気分転換におすすめ。」

「おすすめか。今の状態で、遊んでいるわけにもいかないよ。」

「それなら、以後お勧めしないようにする。」

 マスコットがイピに正しい選択を与えてくれる訳ではない。イピは自分の頭で考え、決定していかねばならない。イピはアベスタの教えに基づいて行動することにした。

 今できることからやっておく。

「マスコット、レポートを開いてくれ。」

 イピにとって、自由を奪われたのは、全く初めての体験だった。その不自由な感覚がイピにどうにも落ち着かない不安を与えた。

「第九章、第十二章、第二十章、の仕上げが終わってない。どれにする。」

「九章からだ。」

 イピは当面の問題に取り組んだ。 

 イピ逮捕のニュースは候補生たちの間に素早く広まった。ヌークが主だった人物にすぐさま相談を始めたせいもあるが、イピの難敵であるエルゼがいち早く聞きつけて八方に噂を振りまいた。

「イピ・ユームが逮捕されたんですって。いい気味ね。」

「火薬を使って博物館の遺物を壊したらしいわよ。」 

 ショッキングなニュースほど伝達速度がはやい。候補生は事情を知りたがり、その事情を知るにつけて同情派が増えていった。エルゼのように意地悪な者もなかにはいるが、皆、賢者の卵であるだけに単純な誹謗中傷は聞かれない。一方で、イピの軽率さを批判する意見が根強く、その数も次第に増えていった。その批判の代表株がアンソールという候補生だ。ずいぶん長い間候補生でいる。派遣実習にエントリーすることを嫌い、ひたすら机上の学問を続けたいと願う変わり種である。すでに少年の面影が消え、さらに長いひげを生やしているために中年の雰囲気をまとっている。

「イピ・ユームは愛すべき仲間だ。しかしながら、彼の軽率さをこの際、断固として粉砕しなければならない。彼に同情する者は彼を冷徹な宙導師に鍛え上げる機会を奪う者である。」

 アンソールは授業前の演壇に立って語った。演説の名人だ、独特の声と語りのリズムは芝居がかってはいるものの説得力があった。

「候補生相互組合による処分軽減の嘆願は公安課に大きな影響を及ぼすだろう。組合は強力だ。諸君、よく考えよう。イピ・ユームのために、組合の名において嘆願を行うことが正しいかどうか。」

 ヌーク・ガイは、アンソールの演説を聞いてしばらく考え込んだ。組合を使ってイピを救う方法が一番手っ取り早いし、その方向で活動してきた。ところが、アンソールを崩さぬ限りイピの釈放はなさそうである。ヌークの決断は早い。演壇のアンソールに向かって拍手をしながら立ち上がり、よく通る声で語った。

ヌークはこの場を形勢逆転の場所にするつもりだ。さあ、どうするんだい。

「アンソール氏の意見はよく分かった。もっともな意見だ。ただし、反対の立場からの発言を聞いておいて欲しい。」

 ヌークは、わざとゆっくり回りを見渡した。ヌークも事件の関係者であることはすでに知れわたっている。おそらくイピの弁護をするのだろう、そう思っている様子だ。芝居には芝居で対抗する。候補生たちのなかにラグもいる。そこだけ明るく見えるからすぐにわかる。

「いかがですか、アンソール氏。」

 アンソールは大仰に頷いた。ヌークはその大げさな態度を軽蔑した。アンソールは演説の機会さえあればいいのだ、ヌークはそう感じた。

「それでは、ここでラグ・シャヒルの意見が聞きたい。」

ヌークは灰色の瞳をラグに向けた。強い視線だった。突然の指名にラグの存在感はさらに高まった。注目されればされるほどラグのオーラは膨れ上がる。

ラグに迷いが見える。それは、ラグがむしろアンソールの意見を支持する方に傾いていたからだ。ヌークはその迷いを感じ取り、一瞬でラグの側に移動し、その耳元で囁いた。

「ラグ、僕が君を救ったように、君がイピを救え。わかってるだろう、これは正当な取引だ。」

 果たして正当かどうかは知らないが、たっぷりと凄みがこもっている。

ラグは立ち上がって語り始めた。この場で借りを返しておくことにしたのかどうかはわからない。まるで名歌手が歌い始めるのを聴くように、観衆は耳を傾けた。

「ぼくたちは今のイピを救おう。友愛として示すべきは冷厳な態度ではなく、つねに暖かくあるべきだと思う。愚かでないかぎり、厳しさを学ぶ機会は優しさのなかにもあり、厳しさのみが教訓をあたえるのではない。この場の話し合いを伝えるだけで賢明なアベスタの聖人は自らに厳しい戒めを課すだろう。僕は偶然にもイピ・ユームの墓碑が彼の故郷に建てられていることを知った。その意味するところは重い。ぼくたちが楽しく休暇を過ごす際に一人宿舎に留まるのは、アベスタの厳しい戒めのあかしでもある。」

ラグの言葉は聴衆の胸に浸みわたった。最後に人の心に訴えるものは、理屈ではない。

アンソールは役者の格において敗れ去った。ヌークは、してやったりとブーツ型の鼻を軽く上に向けた。

 組合はイピの即時釈放を求める手続きに入った。

 

「イピ・ユーム、休憩時間の終わりだ。外に出ろ。」

 熟睡していたところを、ゴレムの地鳴りのような声で目覚めさせられた。イピが休憩室からふらりと出てくるとゴレムの様子が違う。尋問室は休憩室の隣にある。隣の部屋に入ろうとするイピをゴレムが手を伸ばしてとどめた。

「取り調べは終わった。」

「どういうことだ。」

「組合がおまえの釈放を求めてきた。証拠も学芸員が集めてきた。おまえは自由だ。」

 イピは拍子抜けした。ゴレムは急に饒舌になった。

「調書にサインしてくれたら久しぶりに裁判が楽しめたのにな、惜しかったぜ。おまえもサインするかどうか迷っていただろう。イピ・ユーム、また来いよ。ここは暇でな。」

 イピは返事をする気がなくなってしまった。

「一つ聞いてもいいかな。」

 イピは遠慮がちにゴレムに言った。

「おまえには質問ばかりしたからな。俺の名前以外なら何だって答えてやる。」

 ゴレムに先を越された。実はゴレムには顔に似合わぬかわいい名前が付いていたのだが、それはまた別の機会に。

 引受人のナーセルディとヌークが公安課の受付に来ていた。ヌークとナーセルディが無邪気に手を振っている姿をみると、イピの頬がやっとゆるんだ。陰鬱な建物から外に出ると中天に陽があり、それを見上げると目の奥が痛んだ。

「公安は徹底的に追求してくる。私も経験があるんだよ。今日はそんなことを、きれいさっぱり忘れるメニューを用意した。」

 ナーセルディはヌークの顔と見比べながら早口でしゃべった。

「そのメニューとは、無制限娯楽センターめぐりだ。その方法でリフレッシュしないものはない。そのスポンサーは、このヌーク・ガイと私だ。私の出せるチップはちょっぴりなんだが、気にするな。」

 ヌークがナーセルディの言葉をついだ。

「君の逮捕には僕にも責任がある。罪滅ぼしを兼ねて、Eチケットを買い込む。一度やってみたいと言ってただろう。」

 イピは胸がざわついた。イピは素直にできている。Eチケットは一晩限りの有効期限で、あらゆるところに出入りできる。

 間髪を入れずにナーセルディが言った。

「ヌークは今日に限り希望者全員にそのチケットをプレゼントする気だ。候補生もそれ以外の者もかなりの人数が来るんじゃないか。」

 イピもようやく元気になってきた。

「なんだか、うれしくなってきたなあ。にぎやかでいい。ああ、火薬のことは気にするなよ。僕が言い出して決定的なミスをしたのも僕なんだから。」

 ヌークはすでに気にしていない。

「イピ、レポート提出を忘れるな。今日が期限だ、まったく、公安も丸二日閉じこめたんだからな。」

「君はもう提出したのか。」

「今朝出した。君も早く出しておけ。このレポートのために公安にまで行く羽目になったんだ。」

 ヌークはレポート提出用のディスクをイピに手渡した。

 イピ、ヌーク、ナーセルディは声高に歩きながら話した。三人とも娯楽センターの話題で浮かれている。何人かの男女が近寄ってきた。ラグと取り巻きの女性たちだった。

「僕たちも参加させてくれるかい。」

 ラグは気軽に声をかけた。

「もちろんだ。君たちを招待する。招待状としてセンターから届けさせてもいいんだが、直接来てくれ。日没にセンター前に集合だ。」

 ヌークの言葉に、黄色い歓声が上がった。

「ヌーク・ガイって頼もしい。」

「すてき。」

「リッチマンね。」

 ヌークはブーツ型の鼻を軽く上に向けて当然といった表情をした。それが板に付いている。これができるのは正真の物持ちだけだ。

「ありがとう。ヌーク。僕は一度も娯楽センターに行ったことがない。チップも沢山かかるしね。しかも、どこでもフリーパスなんて考えられない贅沢だよ。」

  ラグが嬉しそうに言った。

 ヌークは、ラグに対してイピほどの悪感情は持っていない。別段好きでもないが、行ったことがない、と率直に答えたことには好感が持てた。

 円満な雰囲気をエルゼ・バートリが乱す。

「イピ・ユーム、あなたはラグに感謝すべきだわ。それと、清貧であるはずのあなたが娯楽センターに出入りするのは変じゃないかしら。」

「アベスタの規範は君には理解できない。」

 イピは不機嫌に答えた。エルゼに批判される覚えはないのだ。

「あの聖典は読んだわ。当たり前のことばかりが延々と書かれてある。猿にだってわかるわよ。」

 イピは胸のあたりにしゅうしゅう吹き出してくるものを感じた。

「聖典を侮辱するのはやめろ。」

 イピは激しく言い返した。イピはエルゼの勝ち誇ったような表情がもともと大嫌いだった。ヌークがイピとエルゼの間にさっと入った。ストロボのような動きだ。

「よせ、二人とも。エルゼ・バートリ、これ以上一言でもしゃべったら娯楽センター行きを遠慮してもらう。僕にはスポンサーとしてその権限がある。」

 鞭が鳴るような声だった。エルゼはヌークに気圧され、自分でチケットを買うのも出費がかさむため急に静かになった。いずれにせよ、スポンサーというのは、常に一番強いのだ。

「あらためて、君たちを招待する。僕たちは、午後の授業はキャンセルして、これから博物館に行くつもりだ。君たちにもそれぞれの予定があることと思う。ただし、日没までには娯楽センターに集合してほしい。女性も男性も普段着のままでいい。必要ならドレスもタキシードも全部用意させる。」

 ヌークの力強い言葉にラグの取り巻きの女性たちもうっとりした。このあとヌークに乗り換える決意をした者もいたらしい。イピはというと、しみじみ、ヌークとお友達でよかったと思うのだ。

 ここでアベスタの聖典についての話。

 歩きながら、ナーセルディがイピに尋ねた。

「本音を言うと、私もあの聖典はよくわからない。読む度に異なった解釈を要求される。同じたとえ話でも解釈はいくつもあるし、全く正反対の帰結が導かれる事もしょっちゅうだ。快楽の放棄こそが善行であるといったり、追求せよと書いてあったりする。」

 ナーセルディはお手上げという風に両手を広げて見せた。

  イピは奇妙なたとえ話をした。

「マーケットでロバを買った。ロバが汚れていたので川できれいに洗ってやったら、ロバの首からダイヤが出てきた。ダイヤはロバの何十倍もの価値があった。さてダイヤは返すべきかどうか。」

「ああ、そんな話もあったね。もっと詳しい状況次第で、返す返さないが分かれるところだが。」

 ナーセルディはよく分からないといった風だった。

「ダイヤももらっておけばいいのさ。買ったのはロバでダイヤでない、正直者であろうとするならダイヤを返してやるべきだというのが一応の正解だが、ロバの首からダイヤが出てくることなんかない。百万に一つもないような僥倖は神の恵みなんだから。」

 ヌークはそのように答えた。イピの行動規範はアベスタの聖典に基づいており、ヌークはその内容について知っていた。

「ははあ、何となく思い出したぞ。古い解説書に似たような例があった。しかし、また別の解釈もあったな。やっぱり私にはわからないよ。」

 イピはナーセルディの言うことをもっともだと思った。アベスタの聖典は突出した救世主や預言者が書き残したものではない。多くの聖者の知恵が結集したものだ。聖典に言葉を書き加えることを許されたものは聖者と呼ばれ尊敬を受けるが、聖者は常に複数存在して互いに議論を重ねる。聖典に記された言葉は次の世代の聖者たちによって詳細に検討され、いくつもの解釈が成り立つように別の言葉がその後に書き加えられる。その結果、長い年月を経るにしたがってアベスタの聖典はたいへんな量となっている。全体を読みこなすには、もはや一生かかっても無理である。

「要するに直観を鍛えるための聖典なんだ。あらゆる論理を積み重ねても間違いはある。一つの事例からたちまち数十の解釈を引き出すことができて、初級者。その中から見込みのありそうなものを選び出せる者が、中級者。上級者は展開なしで一気に真理をつかみ取る。」

「君はどのランクに入るんだ。」

 ナーセルディの質問にイピはぼそりと答えた。 

「どうだろう、小さい頃に中級まで行った。僕がここに来ることになったのは、まさにそれが理由だ。でも、今は何かのきっかけがないと聖典の文字が浮かんでこない。これが上級の境地だと言ったら僕の師匠たちは何と言うだろうか。見当がつかないんだ。」

「それなら上級だろう。」

「わからない。ゼーランドは幸福なところだ。豊かで、深刻な憎悪もない、目を覆う事件や意識の未熟から生じる奇矯な風潮もない。真剣に悩むことがないから、ここでは聖典は効力を発揮する機会がない。」

 この夜、娯楽センターで盛大な饗宴が行われた。ヌークは、もちろん前祝いのつもりだ。派遣実習は選考の発表後すぐに出発することになっているから、祝賀会を開く時間がないのだ。

 

 

 

 

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