| 7 フリントロック銃 候補生たちは、日々、宙導師となるための勉強に明け暮れている。機械的に本の記述を覚え込んだり比較検討していくために机に向かう時間も多いが、むしろ自分でテーマを見つけ、その回答をひねり出すことが重要とされる。そのような知的作業は、例えば木陰に座り込んで、あしもとに咲いている小さな草花を眺めているときに行われる。イピは校舎の外に出て、一センチに満たない小さな白い花をぼんやりと眺めていた。古びた校舎の隣に、すりばち状になったグランドがあり、木々がそのまわりを囲んでいる。こんもりとした木の陰でイピは真昼の日差しを避けていた。 派遣実習の要領が掲示されてからすでに数日が過ぎている。イピのレポートはおおむね出来上がっており、あとは体裁を整えて提出するだけだった。 「イピ、時間が惜しいから早く行こう。」 ヌークはナーセルディからの連絡を受けて博物館に向かうところだった。途中、木陰にイピがいるのを見つけ、あまり暇そうに見えたから連れにしようとした。イピとしては非常に高度な思考モードに入っていたのだが、そんなことは余人に分からない。 「ああ、それじゃ行こうか。」 歩きながらでも考えられないことはない、イピはそう思ってヌークの道連れになった。 二人は校門に向かって木々の茂った石畳の下り坂を歩いていった。木々の間から見える左手のグランド全体が時空を越える実体転化装置となる。運動場の中央にさしわたし百メートルばかりの丸い広場があり、頑丈な天蓋がぴったりと閉じられている。派遣実習生が発表される日には、天蓋が開き、幾何学的なレリーフの刻まれた金色のクレーターが現れることになる。イピは無言で灰白色の巨大な天蓋を見た。これまで何度も派遣実習生がこの装置を使って旅立ったのを見てきたが、今度は自分が行くという気負い湧いてこない。十分にいけそうな手応えはあっても、今の段階であれこれ考えるべきでない。イピは前回の落胆を経験したことで気分のゆとりを持つよう心がけていた。 用務員が天蓋の上をほうきで掃除している。イピはその姿に見覚えがあった。 イピはグランドに向けて得意の鋭い口笛を鳴らした。キュイ、というような鋭い音に、ヌークは反射的に耳に手を当てた。イピの口笛は鼓膜に響く。すりばちの反対側の人影までがイピの方を見た。 ドウ臨時用務員もイピの姿を見つけ、ほうきを上げて合図した。 「何だ、知り合いか。」 「ああ、ドウという。端末機に詳しいんだ。」 「候補生なのか。」 「よく知らない。話をしたいと思っても、忙しそうだからね。アルバイトだと言ってたけど。」 ドウは合図を返した後、せっせとほうき掛けを続けた。 「求道者だな。街の汚いところを率先して掃除してまわる人がいる、糞掃衣という最低の衣を好んで着るんだ。もちろん無償奉仕だよ。」 「彼はアルバイトだ。奉仕じゃない。」 「同じだよ。あの働きぶりが普通に見えるか。」 ドウ臨時用務員は、ほうきの一掃きずつにも精神を集中しているようだ。一掃き入魂。 「何を求めているのかな。」 「いずれ分かることもあるだろう。」 重厚な鋼鉄の校門を通り抜けようとすると、詰め所から黒いタキシードを着た守衛が出てきた。 「お帰りかね。」 守衛は、イピに向かって親しげに声をかけた。尻からは、へらへらと蛇のしっぽがのびている。 「博物館につきあうのさ。」 「用もないのに付いていってどうする。」 ヌークが立ち止まって、二人のやりとりを見ていた。 「博物館にはめったに行かないし、なにか新しい発見があるかもしれないと思ってね。」 「ふーん。遺物を実際に見るのはいいことだ。ところで、今日の博物館の門番は、一人か二人か賭けないか。」 守衛は、こうして賭けを持ちかけることがある。イピはアベスタの教えに従って賭事を避けることにしているので必ず断る。 「僕は賭けはしないよ。でも、いつだって二人じゃないか。」 「そこがこの賭けの面白いところさ。門番は双子だ。いつも一緒。一人に賭けたら百チップ、二人の方なら十チップ。」 その賭けにヌークが乗った。 「僕が乗ろうか、二人の方に千チップ賭ける。」 「だめだめ、おまえはこの賭けに参加する資格はない。」 守衛は、そう言いながら鋼鉄の門柱に姿を消した。 ヌークは眉をひそめて歩きはじめた。 「なんだ、あいつ。」 「千チップなんて言うからだよ。二人に決まってる。あの人も損はしたくないんだろ。」 イピには全く屈託がなかった。 「人じゃなくてベルゼブブだ。(欄外、注1)賭けのチップがかさんでくると悪魔への奉仕を持ちかけてくる。」 「彼はそんなことはしないと思うよ。偉大なアルベルトゥスの名を持つ理性派だと言う話だし、ゼーランドでは悪魔も奉仕者にすぎない、むしろ真に悪魔的な存在は他にいる。」 「ほう、いつもながら過激な発言だね。それは誰のことだい。」 イピはラーニャの話していたアヒムサカ大老の名をあげ、先日出会った少女について話した。 「うーん、奇妙な符合だな。実は僕もその娘に出会った。ここに住んで長く経つのに、初めて見たよ。」 「大老の屋敷から外に出られなかったということか。軟禁状態だったわけだ。」 「無理もないね。ラーニャの邪悪さは相当なものだよ。最近、少しましになったんじゃないのかな。」 ヌークはパーンニャの横顔を思い浮かべた。アヒムサカ大老がラーニャに行った施術にも興味があり、近い内にまた顔を出すつもりでいる。 「ヌーク、僕にはラーニャがそれほど邪な存在には思えない。少なくとも純粋だよ、鳥類や爬虫類のような自己保存本能が強く前面に出てるんだ。無理にもう一つ人格を植え付けて両方を苦しめるぐらいなら専門の施設に送り込んでやるほうがはるかに人道的なんじゃないか、その点で、大老の処置には怒りを覚える。」 「受け入れ枠は少ないけど、ここも一つの施設だ。それに、専門の施設だってかなりの荒療治をするところもある。僕はあの娘の奇怪な姿を何とか出来ないかと考えているんだ。」 「地球に行ったら、それこそ無数のラーニャに出会うぞ。」 「そいつは楽しみだ。」 昼間の宙導師博物館は陽光の中にそびえていた。ヌークはいつも通用門から出入りするのだが、今日は、少し大回りの正門をくぐることにした。この門は様々な色の水晶ガラスを組み合わせて作られており、陽の光を受けてまばゆいばかりに輝いている。イピたちが近づくと二人の大男が門の脇から飛び出してきた。むき出しになった赤銅色の腕や胸にワイヤーのような筋肉がうねった仰ぎ見るばかりの壮漢である。二人の大男は武術に似た動きで二、三度回転しながら、イピたちの前に躍り出た。体を捻るたびに筋肉が躍動し空を切る音が鳴った。このふたりが門番であることを知らない人は、必ず腰を抜かす。 「整理券をどうぞ。」 突き出された門番の手に握られている券が小さく見える。イピは門番から整理券を受け取った。番号が打ってあるが、ずいぶん大きな数字でいつからの累計なのかわからない。 「ありがとう。」 門番は券を渡すと再び回転しながら物陰に消えた。 正門から入り口までは、ずいぶん距離がある。通路の両脇は庭園になっており、あちこちに歴代の宙導師のブロンズ像が建てられている。それらのうち特に古いものは側にあった樹木の成長につれ幹にめり込んでいるものもある。 ヌークは受付でナーセルディを呼び出すことにした。 「なんだ、誰かと思った。受付を通して呼ばれたのは久しぶりだな。」 ナーセルディはくしゃくしゃの髪を掻きむしりながらロビーに現れた。 「今日は正門から来たんです。こちらからだと分類室までいくまでに警備員に止められてしまう。」 「止められたときに私を呼べばいいのさ。やあ、君はイピ・ユームだったね。久しぶりだ。」 イピは丁寧なお辞儀をした。ナーセルディは、もう二人に背を向けて分類室に向かっている。前を歩きながら、せわしなく話す。その言葉はまるで機関銃だ。 「面白い標本が見つかった。一七六三年、ギームという男に決闘を申し込まれて、野次馬の見守る中で闘っている。使用されたのは、当時の新型銃で、回転式フリントロック連発銃だ。サン・ジェルマンは、まず相手に二回打たせて、二発の弾丸を受けたが、死ぬことも倒れることもなかった。銃とその時の血が付着した服を、彼の友人が社交界の話の種のために保管していたらしい。コレクションの奥にしまい込まれていた。その服には、血液の他にも、皮膚組織の小片、筋肉組織のかけらが付着している。」 「すばらしい。そんな標本は普通見つかりませんよ。」 「ああ、私しか無理だろうな。イアンもよくやってくれた。」 ナーセルディの早足にイピは駆け足となった。 「いつもこんなに忙しいのか。」 イピはヌークにそっと尋ねた。 「いつもこうじゃ、体が参ってしまうよ。」 ナーセルディが機関銃の早口で答えた。 「何があったんです。」 「大したことはないと思う、、、」 ナーセルディの言葉を紺色の制服が遮った。通路を急ぐ三人の前に警備員が立ちはだかっている。 「候補生の非公開領域への侵入を禁止します。」 全身が紺色に包まれた警備員だった。 包まれたとは控えめな表現だ。肌はもちろん歯や口の中、白目までが紺色なのが不気味だ。おそろしく事務的な口調で宣言するとともに、これ以上の進入を断固阻止するという意志が全身からあふれている。紺色の警備員は入館者に入館資格を認めない場合、強制排除する権限を持っている。 突然の宣告にイピもヌークも驚いた。それにナーセルディも。 「私は学芸員だぞ。」 「もちろん知っています。」 「なら問題ないじゃないか、学芸員同伴ならどこへでも行ける。」 「いいえ、宙導師博物館特別保存区域内整備及び害獣捕獲作業のため、現在、第三級警備体制に入っています。セム歴二百二十二年三月十八日までの諸施設利用制限が課せられています。まだあと二日ありますね。」 紺色の警備員の氷のような声の意味はわかった。 「要するにどういうことです。」 「三日かけて大掃除する必要が生じたということさ。ネズミが出たんだよ。」 ナーセルディがいらついた声で説明した。 セム歴は今年で二百二十二年を数える。天体の動きに合わせて暦を刷新することは時々あることだが、セム歴についての話題をひとつ。 これは新しい暦を採用する事で、不名誉なネズミ被害の記憶を語り継ぐためであった。コレクションは過去においても常に細心の注意と当代最高のテクノロジーを用いて保管されている。そんなところにネズミなどが入り込むものか、という先入観が事故をまねいた。普段は森陰で木の実をかじり平和的に暮らすこの小動物が、どこからか紛れ込み、ある遺物を食べて強靱な生命力と繁殖力を獲得した。誰も想像すらしなかった事態であった。ネズミは貴重な遺物を食い荒らし、ある日、保管庫を開けると異常に大きく成長したネズミがうじゃうじゃ走り回っていたという。この事件によって、すでにこの世から姿を消していたある偉大な精神文明の痕跡は、はなはだしく損なわれてしまった。あまりにも突出した文明であったため自らの危うさの中に崩壊してしまったというが、本当の理由は分からない。ゼーランドの時空転移装置は全能の装置ではない。失われた文明は時間の彼方に飛んでいってしまい、もはや追跡することができない。 このとき、大いに犠牲的精神を発揮して、ネズミをくい止めた二人の偉大な宙導師がいた。名を、セミヨンとムスカリといった。彼らの頭文字がセム歴の由来である。ついでながら、ムスカリはナーセルディの先祖である。 「彼らの入館制限を解除してくれ。あと数日のうちに派遣実習の選考が行われる。候補生の学業支援のために私の監視下において観覧するということであれば問題ないだろう。」 ナーセルディはやや速度を押さえて話した。 「だめだ。これ以上の懇願は抵抗とみなす。」 警備員の事務的口調が命令調に変わった。ナーセルディの顔がみるみる青くなった。激しく興奮するとこうなる。 「ようし、それなら私にも考えがある。学芸員特権を発動する。博物館規則特例だ。彼らをたった今から私の臨時補助者に任命する。これなら文句ないだろう。」 「結構です。」 警備員はごく事務的にうなずき、ではごゆっくりとイピとヌークに言い残して素早く立ち去った。イピは呆気にとられた。あまりにも変わり身が早い。 「マシンのような警備員だな。」 ヌークは感心した。 「奴は特別だ、とんでもない変わり者なんだよ。行動は常に迅速で正確。ただし、規則しか頭にない石頭の大馬鹿だ。」 ナーセルディは吐き捨てるように言い、再び早歩きになった。 「被害が出たんですか。」 「何も出ないよ。三級警備体制だ。警備モニターにネズミみたいなものが映っていたんで騒いでいるだけだ。おかげで私まで巻き込まれた。現在、検査システムのチェックを急いでいるところだ。」 保存設備が万全で管理に怠りがなくても、遺物にはやがて崩壊のときが来る。それはたいていじわじわと起きるのだが、何かのきっかけで爆発的に起きることもある。セム歴のはじめに起きた鼠害の場合、遺物自体が分解し始めていたことがもともとの原因だった。つまるところ、腐りかけていたからネズ公が食べやすかった。新鮮な物より腐った物ほどおいしい。腐りきった物はビンテージと呼ばれる。ねばねば、とろり、腐臭も慣れてしまえば芳香と呼ばれる。そんな食品、たくさんあるでしょう。このような被害は過去に何度も起きている。カビや雑菌が異常繁殖して多くの遺物を台無しにしたことがある。古い記述には、保管庫が丸ごとキノコの林に覆われてしまったとある。このような非常事態に最も大きな被害を受け、または原因となるものは崩壊しつつある遺物である。 「また遺物の大崩壊の時期が来たんでしょうか。」 イピがぽつりとつぶやいた。ナーセルディが早口で答えた。 「いいや、私はそのように考えない。たしかに大崩壊は周期的に起きる、また現在がその時期に入っていることも否定しない。セム暦もモクレ暦も大崩壊に関わっているが、これらのプロセスを研究することで大崩壊を小崩壊にとどめるように万全の対策をたててきた。遺物の自然崩壊はやむを得ない、それをくい止めるのには因果律の調整が必要で、あまりにも無駄が多くなる。異物の崩壊時期を分散させるのだ。それだけでいい。今回の警戒状態はこのまま終息する。」 ナーセルディの顔が凛々しく見えた。通路を曲がり、いつもの標本分類室に入ると雰囲気が一変していた。標本探索ロボット、イアンの大型ロボットアームが空中高く突き出されていて、どこか落ち着かない。 ナーセルディは、大型アームの制御盤の前に二人を案内した。ここの方がイアンとのインターフェイスがより自然になるのだ。イアンのモニター画面のいくつかが幾何学模様を描き続けている。よく見ると、館内のシューターを映し出していることが分かる。こうして延々と内部の検査を続けているのだ。ナーセルディはヌークに目的の標本のありかを指示してから、イアンへの指示書を書き込み始めた。 ヌークは入力用の画面にナーセルディから聞いたコードを書き込んだ。命令はすぐに実行され、小型のコンテナがシューターを通って分類室に送り込まれてきた。急いでコンベアーになっている台まで行く。 「イピ、コンテナを開いてみよう。」 ヌークはコンテナの蓋についてあるボタンを押した。かちゃりとロックが外れて蓋が持ち上がった。中には優美な形をした決闘用拳銃が透明なケースにしまい込まれてある。銃身をそのまま緩やかに曲げて握りにしたような形、一面に金による象眼と化粧張りがなされている。フリントロック式は火打ち石によって火薬に点火するため火縄に種火を絶やさぬよう配慮しなくていい。しかもこの銃は二連発が利く。まさに画期的な新時代の銃なのだ。後の時代の弾倉が回転する物と異なり二本の銃身を手で回転させて連発する。弾は前装式で火薬と球状弾を別々に銃口から装填する。銃が無機的な殺人兵器に変貌する直前の最後の芸術的銃である。しかも、決闘という形であらわれる騎士道精神の名残がかすかにロマンチックである。 決闘用拳銃は二丁対になって収められていた。 「これを発射してみたいな。」 イピがつぶやいた。イピは空中を飛ぶ物が好きなのだ。雲やら鳥、弾丸でも。 「火薬がないぞ。弾もない。」 そう言いながらもヌークは大いに乗り気だ。イピはケースを開いて銃を手に取り、銃口をのぞき込んだ。 「滑腔砲だね。丸い鉛玉が使われるんだ。推進薬は比較的ゆっくり燃える火薬を使う。」 イピはここ数日で得た知識を発揮した。銃をあちこちの角度から眺めながら続ける。 「イアンに火薬の標本を持ってこさせよう。鉛玉も似たようなのがあればいい。この時代の銃は厳密な精度を要求しないから。」 ヌークは大いに頷いた。早速、台の脇についてある画面に向かって命令する。この画面は学芸員専用なのだが、今のところヌークは臨時学芸員補助者なのだからノー・プロブレム。 イアンは、ヌークの指示する火薬の標本と何個かのぴかりと光る鉛玉をすぐさま送り込んできた。鉛玉はすぐに鈍い銀色に変わった。たった今作ったらしい。うん、なかなか優秀なロボットだ。 「比較的ゆっくり燃える火薬がいいんだ。推進薬として使う。あんまり速く燃えるものだと手首がなくなってしまう。」 「大丈夫、僕もそれぐらいは知ってる。」 ヌークは小さなガラス瓶に入った怪しげな火薬をイピに差し出した。イピは疑うことなくその怪しい小瓶を採用することにした。 「いいぞ、こぼさないようにここから入れてくれ。」 ヌークは上に向けられた銃口に少量の黒い火薬を注いだ。ついで球状の鉛弾を転がし込み、細長い棒で奥まで押し込む。こうすると銃口を下に向けても弾が転がり出てこない。 「有効射程はおよそ三十メートル、弾丸初速は秒三百メートルといったところだろう。僕が発射するから、君は向こう側にいて玉を受け止めてくれ。」 イピはうれしそうに言った。 「ああ、おやすい御用さ。」 ヌークは十五メートルほど離れて立つ。 「いいかい。」 部屋の中の物に誤って弾丸を撃ち込むことがないようイピはヌークに向けて慎重に狙いを定めた。ヌークはいつでも術を発動できるよう意識を集中する。 イピは真剣な表情で引き金を絞った。 ぶしゅ。 火打ち石は正常に火花を発したが、着火しない。 「あれれ、おかしいな。」 イピは、狙いを外して火薬の状態を確認しようとした、ヌークも気が抜けてイピの方に歩き出した。 そのとき、バシーッン、という轟音が響いた。弾丸はヌークの遙か頭上に向けて発射された。 ヌークは瞬時に時間の外に飛び出した、が、弾丸の初速は秒八百五十メートルを超え、しかもヌークの想定した軌跡を完全に外れている。無慈悲な鉛玉はヌークのはるか頭上を通りすぎ、楕円形の天井に突き刺さった。参考までに、弾丸終速、秒八百メートル、貫通力は乾燥オーク材で八十センチ、軟鋼板で十センチであった。火薬の調合が誤っていたことは明白である。 イピは呆然と手の中の銃を見た、砲身が膨らみ、先端は花びら状に裂けている。砲身を飾っていた華麗な金のインレイもすべて剥がれ落ちていた。 ナーセルディは制御盤に備え付けられたイスから転げ落ちた。部屋中の警戒ブザーがけたたましく鳴り始める。赤いフラッシュがぴかぴか点滅して第二級警戒態勢が自動的に発令された。 「イピ、だいじょうぶか。」 ヌークが瞬時に身動きしなくなったイピの側に現れた。そしてもう一人、紺色の影がすばらしい速さでイピの視界をかすめた。 「学芸員補助者イピ・ユーム、あなたを博物館規定C八・二百号により逮捕します。」 紺色の警備員は冷徹に宣言した。イピはショック状態にあった。手に持った銃を警備員に差し出す。 「この銃を使ったのだね。E六・二百三十号も併合。さあ、行こう。」 「ちょっと待ったぁ。」 ナーセルディがあわてて警備員を遮った。 「逮捕は必要ない。これは事故だ。」 警備員はガラスのような濃紺の目でナーセルディを見た。 「第二級警戒態勢が発令された以上、当然の処置だ。さあ、行こうか。」 イピは警備員に連行されながら、ヌークとナーセルディをふり返った。 そして、力なく微笑んで見せた。 注1 蝿の王、悪魔 |