| 6 アヒムサカ大老 ヌークの故郷には、昔、邪悪な導師がいたらしい。ヌークの祖先の一人が勇敢にもその導師と戦い、滅ぼしたのはよかったが、忌まわしい呪いをかけられ、ソンビとなって今も生きることも死ぬこともできないでいる。ゾンビは、村を陰から見守り、手助けをし、自分の身をなげうってつくしてきたが、誰もがその姿を見ると、石を投げつけ口汚く罵るのだ。長老でさえ、ゾンビを忌み嫌い、やがて一族の所有する森の中に閉じこめてしまった。そのためゾンビの目からは、常に孤独と悲しみの涙が流れ続けている。 ヌークがまだ子供の頃、森を遊び回っていたときに、偶然ゾンビの森に迷いこみ、初めてこの哀れな者に出会った。ゾンビは、子供のヌークを怖がらせないように、暗い森の奥に隠れようとした。 ヌークは、まだ幼かったが村の誰よりも聡明だった。ソンビが、幼い者への思いやりをもって、その醜い姿を隠そうとしていること、目から流れている汚い液体が、悲しみの涙であることを悟った。僕は怖くない、逃げなくてもいい、幼いヌークはそう呼びかけた。ゾンビは、立ち止まり、濁りきった目でヌークを見た。その目には、驚きと喜びの色があった。 森の切り株に腰掛けて、ヌークはゾンビの話を聞いた。腐った喉から絞り出される声は聞き取りにくかったが、一日一度はゾンビの森に出かけていって話を聞くことが彼の日課となった。長い年月を辛酸の淵に浸って過ごすゾンビには、不屈の気力と忍耐があった。また腐った肉体に宿る隠者の魂は偉大であり、宝石とも呼ぶべき知恵の蓄積があった。ヌークは、その知恵を学び取り、さらに賢く育ち、ついに宙導師候補生となった。故郷を遠く離れて宙導師養成学校に旅立つ日に、ヌークは暗いゾンビの森で、いつか宙導師となってゾンビを救うと約束した。ゾンビは、遠い故郷の森で、今もヌークを待っている。 なんで悲しげなゾンビの話を長々とするのか、ですか。それは意外にもゼーランドにゾンビの森があるからです。 ヌークは、ナーセルディから受け取った藻を自分のラボで分析し、その結果を博物館に持って行った。いつものように通用門を抜け、入り組んだ通路を抜けて分類室に入ってみるとナーセルディは分類作業に追われていた。 「分析表です。」 ヌークは薄いファイルを手渡した。 「早いな。」 ナーセルディはファイルを開いて目を移した。 「飲料水にできるかどうかに絞って調べたのか。君らしいな。」 「問題ありませんよ。少量ならほんの数分で分解してしまう成分ばかりです。」 「既知の成分についてはそうだろうが、私の知りたいのは未知の試薬で検出されるはずの誰も知らない成分だ。」 「ふふ、それは専門家にまかせます。」 「ははは、もっともだ。そんな検査いつまでかかるかわからん。いやあ、ありがとう。この分析表は大いに参考にする。」 「これは売れますよ。」 「そうかね。アルバイトで幻覚水を売ろうかな。コーラ味でも付けて。」 「本気でやってみませんか。左うちわで暮らせると思いますが。」 「博物館をクビになったら考えるよ。」 ヌークはそれ以上勧めなかった、自分の好きなことをしているのが一番楽しい。研究者でいることがナーセルディに一番向いているのだろう。 「君の言っていた資料はまだ全部集まったわけじゃないが、今ある物だけでも見ていくかね。」 ナーセルディはヌークの返事を聞く前に、分類室の仮置き台に向かって歩いた。そこには数百に及ぶヌークの求めていた遺物が並べられている。 「当時の疑似科学に使った実験道具だ。ガラス管にフラスコ、豚の胎児をアルコール漬けにしてホムンクルスだと称したり、奇形の人参をマンゴラドラだと言ってみたり、この手の物は当時から三百年ほど前にもパラケルススによってずいぶん作り出されてある。どれもこれもデタラメばかり、進歩のないインチキのがらくたばかりだ。」 ナーセルディは吐き捨てるように言った。これらは場所をとるにもかかわらず、実際にはなんの機能も持たない。その点をナーセルディは嫌う。どんなつまらない仕掛けでもそれがきちんと機能する物を好むのである。 「十六世紀にそのパラケルススが作り出したという黄色い軟膏もある。塗ると鉄が黄金になったと言うんだがね、当然ながらなんの効果もない。サン・ジェルマンはパラケルススを神のごとく持ち上げて、その軟膏を高額で売ったんだ。」 「なんで、そんな物をわざわざ作るんでしょうね。効果がないことは本人が一番よく知っているはずだ。」 「さあね。買った方もすぐに気がついて文句を言いそうなものだが、よほど巧みに売りつけたんじゃないか。」 ヌークは台の上に所狭しと並べられた遺物をじっくりと眺めた。どう見てもダイヤにしか見えないクルミ大の固まりがころがっている。 「これはダイヤじゃないですか。」 「そう、本物だよ。変だろう、それだけは本物なんだ。分析の結果、天然に産出した物ではないことが証明されている。造ったにしても当時の技術で出来たはずはない。そのあたりを調べてみたらいいんじゃないか。」 ナーセルディは興味なさそうに説明した。 「へえ、面白いじゃないですか。」 「そうかねえ、ダイヤなんて結晶化の技術さえ確立すればいくらでもできる。そのがらくたがのっかっている台だって結晶化技術の産物だよ。サン・ジェルマンはふとしたきっかけでその技術を手に入れたのさ。歴史がやらかすイタズラだ。いわゆるオーパーツだね。」 「うーん、それにしても、こんな物が作れるのならずいぶん稼いだだろうな。」 ナーセルディはヌークに背中を向けて分類の仕事に戻ってしまった。 「また手が空いたら集めておく。」 「ナーセルディさん、もう一つだけ聞きたいのですが。」 「何だい。」 「フォーマ教授は、なんで今回選考委員になったんです。」 「実力派だから、当然だろう。」 「じゃあ、何でこれまでならなかったんです。」 ナーセルディは面倒くさそうに振り返った。 「そりゃあ、辺境星域に注目が集まってなかったからだ。まてまて、子供みたいな質問はやめろ。」 ナーセルディは辺りを見回した。 「アヒムサカ大老だよ。大老の一言で選考委員に決まったのさ。委員会に知り合いがいるんだ。でも、このことは内緒だよ。」 「そうか、アヒムサカ大老が関係しているんだ。」 ヌークは大きく頷いた。 「ナーセルディさん、アヒムサカ大老の所まで付き合ってくれませんか。」 ナーセルディは驚いたように目を見開き、ついで顔をしかめた。 「いやだよ。絶対にいやだ。」 「僕はまだ一度も会ったことがない。」 「会ってどうするんだ。大老は何も話さないぞ。万一気に入られるようなことがあったら怖ろしげな娘が茶をふるまってくれるそうだ。私は飲みたくもないな。それにあの森は嫌だ。ぞっとする。」 ナーセルディはたとえ煙草草十ケースもらっても行かない様子を見せた。 「そうですか、じゃあ一人で行くしかない。」 「私はとめたぞ、後悔しても知らないぞ。」 ゼーランドの多くの面積を占めるのは博物館である。図書館も情報センターも関連機関であり、部分である。博物館を中心とする設備は文化の集積所であって、宇宙における知的活動の産物すべてを保管しようとしている。蟻が巨大な塚を築いているのを見るとぞっとすることがあるが、ゼーランドがその外観に蟻塚の印象を与えずにいられるのは、それを森が包み込み、湖沼を配置して自然の懐の中に抱かれているからだろう。 植物は、寿命の限界を持たない。樹木は記憶の蓄積の象徴とされて尊重され、ゼーランドの一部となっている。多くの樹木が巨樹となり、あるものの根は巨岩を包み込み、その枝はまるで恐ろしげな恐竜の首が胴体から突き出しているかに見える。これら巨樹と建造物が調和し絶妙の都市美を永く保っている。その意味ではゼーランドは一つの完成された世界と呼ぶことができる。 このような永く変わることのない世界においてすら不老不死は忌むべきものとされている。命は世代から世代に受け継がれていくことで永遠を得る。不老不死は黒呪の与える最悪の刑罰でもあり、それは永遠の苦痛を意味する。 ゼーランドにはその苦痛にあえて挑み続ける者がいる。最長老のアヒムサカ大老である。アヒムサカ大老はいくつかの暦を実際に生き抜いてきた。正確な年齢を知る者はもはやだれもいない。大老自身も忘れてしまったようであり、大老の年齢を語ることはタブーなのだ。数世紀前から代謝機能を低下させているためミイラのようになっている。骨格がわずかながらずつ成長を続けてしまうため、それを押さえる目的もあるのだが、これは大老が自らに課した厳しい戒めなのだ。大老については、多くの生命を実験的に殺戮したことを自ら罰しているのだと言う者がいる。そのような古文献がかつて存在したという記録があるらしい。しかしそれを発表した学者もはるか昔に死んでしまったといったぐあいで、誰も正確には知らない。大老も黙して語らず、もはや調べる者もいない。ただ、アヒムサカ大老はいまだかなりの記憶量と独特の見識をもっており望む者は大老の話を聞くことができる。 大老はゼーランドを包む森の一画にひっそりと暮らしている。 ヌークは大老に会うために巨樹の茂る森に入っていった。昼でも薄暗い。巨樹に巣くう鳥たちが人の足音を聞きつけて、ぎゃーぎゃーと鳴き始めた。この鳥は、ガルーダとか、カーラ鳥と呼ばれる。人の背丈ほどもある夜行性の鳥で、翼を広げると四メートル近くなる。夕暮れの空を高く舞い、夜になると高度を下げて、人の頭上を高速で飛んで脅かす習性がある。その行動に恐怖を感じて走って逃げたりすると、今度はふんを狙い撃ちしてきたりするので決して走ってはいけない。 ヌークはカーラ鳥の不吉な鳴き声を聞きながら、巨樹の森を歩きアヒムサカ大老の屋敷に向かった。大老の屋敷はこの一画のずっと深いところにある。まだまだ歩かねばならない。 一番星が木々の間に見える頃になって、ようやく空が開けた。大老の屋敷のシルエットが空を背景にして黒く見えている。屋敷の周りには堀が巡らされ、暗い水面に空の明かりが揺れている。屋敷の門をくぐるためには堀を越えなければならないのだが、あいにくはね橋が上がっていた。仕方なく、ヌークは大声で大老の名を呼んだ。 何の反応もない。 引き返そうと屋敷に背を向けると、ヌークの目の前に奇怪な人影が突っ立っていた。ヌークはぎょっとした。いつの間にか背後に立ち、ずっと息をひそめていたらしい。首が不自然な角度に曲がっている。 あたりは薄暗い。目の前の人影は商人のような身なりをしており、目を凝らすと血の気がなく、どうやら死霊のたぐいのようだ。ゼーランドに来てあわれにも歩く死人になりさがったらしい。独特の腐臭が漂っている。ヌークは、この臭いについてよく知っている、これはゾンビの臭いだ。 「あわれな。」 ヌークは、ゾンビの腐った脳にも理解できるようにゆっくりと話しかけた。その声には深い慈悲がこもっていた。 「苦しいのか、何か望みがあるか。」 ゾンビは怖ろしげな声を上げてわめき散らした。激しい渇きの声であり、考える力のほとんど全てを失っていることがわかった。人の領域をはみ出してしまった存在、ヌークはそう結論した。 「眠れ。」 どん、という大きなくぐもった音がした。ゾンビの頭は粉砕されて飛び散り、胴体もいくつかにちぎれて地面に落ちた。ヌークは時間の外から物体に対して打撃を加えることが出来る。それは何の苦しみも感じさせることなく哀れな商人であったものを粉砕した。ゾンビに安楽を与えたのだ。ヌークは商人のために祈った。祈りの最中にさっそくガルーダが一羽、二羽と集まってきた。腐った肉をついばんでいる。この鳥はどんなに汚らしいものでもきれいに平らげる。 「くるしみの時は終わった。忌まわしい腐肉も鳥たちが清めてくれる。」 カーラ鳥の向こうに長身のひどくやせ細った影があった。暗い森を背景にすっくと立った姿はおそろしく背が高く、また、いびつであった。アヒムサカ大老である。鼻と顎の骨相もまるで人のものではない。大老は怒気を込めた声で語った。 「なぜ、あのものを破壊したのか。」 大老の声は人のものとは思えなかった。ひどく低音でしわがれている。大老を多くの者が敬遠する恐怖の凝視がヌークを捉えた。アヒムサカ大老に見つめられると誰もが命を縮める。 「完全に、死なせてやるのが、あのもののためです。」 ヌークはかろうじて答えた。大老の凝視がヌークの心臓を締め上げている。 「破壊を楽しんだのではないといえるのか。なぜ、あの者のためになるといえるのか。」 「死ぬことも生きることもできず、ただ渇きだけを覚えてさまようことを、あのものが生きていた頃には決して望まなかっただろうと思うからです。」 「生きている者の傲慢である。」 大老はゾンビのかけらに向かって歩いた。大老が歩くと手足のバランスがひどく狂っていることがわかる。ガルーダの一羽がひょいひょいと飛び跳ねながら大老に近づいた。凶暴な鳥ではないが、捕食中は危険だ。くちばしで目玉をほじられる者もいる。ヌークが鳥を牽制しようとしたとき、大老はガルーダの頭に手を伸ばし軽く撫でてやった。鳥は満足そうにしていた。 「この鳥が儂の目玉をほじり出したら、おまえは容赦なくこれを殺すだろう。」 「そうなる前に、追い払います。」 「儂は長く生きる、百年もあれば目玉など再生する。おまえが私の名を呼んだので、あの哀れな者がはね橋を下ろしに行った。激しい渇きに耐えながら奉仕を続ける下僕であった。すっかり惚けてしまった頭で、かすかに人としての勤めをまっとうする事を望んでいた。それをおまえはやすやすと破壊してしまった。」 この言葉には厳しい叱責の響きがこもっていた。大老の死の凝視はますます鋭くなった。命の水というものがあるのなら、それを確実に絞り取られていく感覚がヌークの中に広がった。気力が萎え、ひざを地面についてしまいそうになる。ヌークは最後の気力を振り絞って自分の考えを述べた。 「あのゾンビはすでに死を望むことすら忘れ去って、ただ激しい渇きのなかにあった。もしも、あのゾンビがわが父であったとしても、僕は同じ事をしただろう。」 「儂が激しく死を望んでいるとすれば、儂を殺すか。」 「いいえ。死を望むことは、よりよく生きたいという思いの裏返しでしかない。ただし、正当に死を決断した者には手を貸します。」 「では、儂が十分な理由をもって死を決断し、おまえに依頼すれば儂を殺すか。」 「十分に得心できれば、僕はいつでも手を下す。」 ヌークはきっぱりと言った。その態度が、初めてアヒムサカ大老の心を開いた。大老の目からふっとおそろしい光が消えた。 「よきかな、若者。屋敷に来るがよい。手ずから時をかけて育てた香草茶をふるまおう。」 大老のいびつな顔に、笑みらしきものが浮かんでいた。 ヌークは屋敷に招かれた。堀にはいつの間にか橋がかかっており、小さな迎え火がともされている。大老が先を歩き、ヌークは後をついていった。ひっそりとした屋敷には何人かの奉仕者がいるようだ。姿を見せずに訪問者の様子を暗い物陰から窺っている、そんな感じを受けた。屋敷に足を踏み入れると、石台の上に小さなランプが用意されており、大老はそれを手に取った。ぼんやりとした明かりに導かれるように庭園の中を歩く。様々な植物が所狭しと植え込まれていた。強い臭いを放つ草や夜目にも毒々しい色をした花を付けるもの、かすかな燐光を放つものもある。多くが毒草である、これらの毒は治療や強壮に役立つものが多くヌークは全ての草の名を知っていた。銀の枠に石英板をはめ込んだランプは、ぼんやりした光を周囲に投げかけ、大老の細長い影のなかをヌークは歩いた。大老は庭園内を歩き、時々屈んで葉を摘み取った。そのたびに異なった芳しい香りが湿った夜気に漂った。 「これらに湯を注ぎ、茶をたてるのだ。」 アヒムサカ大老は、ひとり言のように語った。 「籠を、それから、茶器の用意を。」 大老の言葉にこたえ、暗がりから出てランプの明かりに白い横顔をさらした者がいる。手に木の枝を編んだ小籠をさげていた。赤い服を着た少女であった。ランプの明かりを受けた側は美しく可愛らしく見えたが、陰に隠れた側には何か深刻な障害がありそうだった。ただ、大老の異常に長い掌から摘み取った香草を受け取る仕草は可憐そのものだ。少女は片側の顔を隠しながら急いで暗がりに戻っていった。 ヌークは娘について聞きたかったが、尋ねることが、はばかられた。 分厚い木製の扉が開いて、暗い部屋に通された。小さなランプでは部屋の隅まで光がゆきわたらず周りの様子がよく分からない。灯りの乗せられた木材造りのテーブルは長い年月に磨き上げられ、透明の厚い皮膜をかぶっているように見えた。丸いテーブルの周りに木製の肘掛けいすが何脚か置かれてあった。 大老は自分用のふたまわりほど大きな椅子に腰掛けた。弱々しい灯りがアヒムサカ大老の異相を照らし出している。鼻、あご、額の骨の発達が著しかった。ひどく乾ききった唇からのぞく歯が化石のように並んでいる。 ヌークは大老をぼんやりと観察していた。歯があまりすり減っていないところを見ると、定期的に代謝機能が活発になる時期があり、生え替わるのかもしれない、非常な長身と異相は、その際に骨格が僅かながらずつ成長してしまうせいだろう、ヌークはそんなことを考えていた。 「若者、生い立ちを話して聞かせてくれ。」 「何もかも見通されている気がします。」 ヌークは思ったままを語ったが、大老の奥深い眼窩に光る目玉の凝視を受けることになった。おそろしい光はなくても至近距離だとこたえる。 「何もかも見通す者が人の姿であり続けることはない。問われたままに答えるがよい。」 気むずかしい爺さんだなあ、ヌークはそう思いながら、ひょっとして婆さんなのかもしれないとも思った。すでに性別など問題にならない姿である。 「儂は男性である。」 「やはり見通しているじゃありませんか。」 大老は少し笑ったようだった。 「話せ、友に話すように、ざっくばらんに。」 この大老の前ではゼーランドの諸賢老でさえ赤ん坊にすぎない、ましてヌークはさらに若い。心のひだの深さも較べものにならないほどだろう。 ヌークはそのように考え、気を楽にした。その方がずっと自然に思えた。 「何から話そうかな。、、、僕は、薬酒を造る村で生まれた。幼い頃はそこで過ごしたんだ。畑には様々な薬草が育っていた。それらの種がまかれ、芽が出るのを待ち、花をつけるのをながめていた。村の子供は皆、どこの家に泊まってもよかった。どの子も村の財産として育てられた。」 「よきかな。おまえの村の風景が目に見えるようだ。」 「僕は村じゅうの家に泊まった。夜には必ずその家の家長の話を聞くんだ。村の知恵はそのように伝えられる。どの家でも大体同じような内容だ。薬を作っている家もあったから、いろいろな薬についての知識も増えた。村の賢人の造る酒は他の酒よりも五割も値打ちが高かった。その理由が知りたくて、しばらく自分の家に帰らなかったこともある。」 大老はヌークの心に浮かぶ風景を見ていた。ヌークの思い描く風景が大老の意識に流れ込んでいく。 「そうか。おまえの家へは、よその子供はよく来たか。」 「来たよ。僕の家には人気があった。父は酒を飲みながら話し、すぐに酔いつぶれてしまうんだ。他の家ではかしこまって長い話を聞かないといけない。僕の家なら、父がつぶれた後は遊びの時間になるし、騒いでも滅多に叱られない。それに、よそでは聞けない珍しい話も多かった。」 会話を交わしながら、ヌークはどんどんリラックスした。アヒムサカ大老が実に気楽な人物であるように感じた。ヌークは大老に問われるままに回想し、話した。 アヒムサカ大老は、ヌークがゾンビの森で多くを学んだことも知った。 「よきかな。」 アヒムサカ大老はヌークの話に満足した。ちょうど茶の準備も整った様子で、先ほどの少女が片側の顔を隠しながらポットやら香草の束、カップなどをワゴンに乗せて部屋に入って来た。 「さあ、茶にしよう。」 先ほど摘んだ様々な香草がポットに投げ込まれ、熱湯が注がれた。湯気とともにすばらしい香気が部屋中に広がった。 「いい香りだ。」 ヌークはカップに注がれた茶の香りを楽しんだ。飲んでみると喉から鼻の奥へと爽やかさが広がった。 「ヌークよ。今度は儂について語ろう。今でも、儂が生まれた場所や両親の顔、幼い頃の記憶がかすかに残っている。それははるかな昔のものだ。儂は人の思いを読みとることが出来る。そのため、人の思い出が重なり合って自分の記憶が本当に正しいのかどうか確かではない。しかし、それは問題ではない。どれもが同じような懐かしさをもって淡く輝いており、たぶん、そのいずれもが儂の過去と通じているのだろう。おまえの思い出も儂の中に根付いた。」 大老は一人で頷いた。ヌークには大老の言う意味が何となく分かった。 「古い記憶よりも儂の身の回りにあるものの方が儂についてより多くを語るだろう。」 大老は部屋の隅でひかえている少女を手招きした。少女ははにかみながら二、三歩あゆみ寄った。 「パーンニャという。ヌークよ、仮に、この娘の半身に美徳、半身に正反対のものが棲み分けているとしよう。」 少女は可憐な横顔を見せていた。 「もしこの娘を半身に裂くことができるとして、美と善だけで出来た娘が作り出せるならどうするか。パーンニャよ、そうなりたいか。」 少女は静かに、しかし、はっきりと頷いて見せた。 「さて、ヌークよ、おまえならば、どうする。」 ヌークの目には少女に障害があることが明らかであった。その少女の前で大老の問いかけに答えることに気が引けたが、アヒムサカ大老の真摯なまなざしに抗うことは出来なかった。ヌークはそのような医術を心得ていた。少女を一目見たとき、なんらかの施術ができないものかと考えていたのである。 「僕ならそうします。」 「では、ラーニャよ答えよ。」 同じ少女が真正面からヌークを睨んだ。左半身が醜く見えたのは、皮膚や筋肉などの肉体的異常ではなかった。もっと奥深いところから吹き出してくるものだ。左右対称からの激しい逸脱、片半身にのみ激しく精神をさいなみ続けることができるとすれば、このような際だった対比ができるだろうか。 「勝手なこと言うな。この長靴鼻の独善屋、おまえは人を切り刻んで喜ぶ切り裂き魔だ。死人の女につっこんでやがるんだ。」 ラーニャと呼ばれた少女はヌークへの憎悪をむき出しにし、生き残りへの強い執着を見せた。本当はもっとすごい言葉を並べたのだが、ちょっと割愛する。
「僕はおまえを切り取って捨ててしまうだろう。」 この言葉はラーニャを追いつめた。ヌークの言葉にはそれだけの自信が込められている。 「おまえを呪ってやるぞ。ぎいい。おまえを殺してやる。やられてたまるか。捨てられてたまるか。」 ヌークはラーニャの言葉を聞いているだけで胸が悪くなった。また、少女の害意そのものの視線と生に対する執着にぞっとした。 「ラーニャといったな。おまえに生きる価値があるか。パーンニャに幸せな日々を与えるためなら、おまえなど、すくに消去してやる。」 ラーニャは顔色を失い、恐怖に顔をひきつらせた。ヌークの言葉に、はったりが無いことを鋭敏に感じ取る能力があるのだろう。ラーニャは顔をそむけ、パーンニャの横顔が弱々しい微笑みを浮かべていた。ヌークはパーンニャにもまた大きく欠けたものがあることを知った。 アヒムサカ大老は恐ろしい話をはじめた。 「ヌークよ、この娘はもともとはラーニャなのだ。儂はラーニャのなかに埋もれていた妹の記憶を読み取ってパーンニャに作り替えた。」 「そんなことができるのですか。」 大老は、かつてラーニャの犯した罪について語った。 「人を死に追いやること自体が罪なのではない。人の生きたいという想いを何のためらいもなく踏みにじることが罪なのだ。」 「自分を殺した姉がいつも側にいるなんてあまりにも残酷ではありませんか。」 「儂は、そうは思わない。ラーニャとパーンニャは双子であった。ラーニャの記憶はパーンニャの魂を呼び寄せ、二つの魂がひとつの肉体を棲み分ける結果となった。この娘が無残な姿に変わったのはそれからだ。しかし、そんなことは問題ではない。儂は二つの魂が互いに浄化しあうことを期待する。」 「パーンニャには何の罪もない。ラーニャと同じ苦しみを味わわせるのは酷だ。」 「では死なせるか。」 「そんなことは言っていない、多くの娘と同じように、楽しい日々を与えたいと思うだけです。」 「ラーニャなしにパーンニャは生きられぬ。おまえの言う通り、ラーニャをある医術によって消去することは出来る。しかし、それはパーンニャをも損なうことになる。儂はこの先もパーンニャとラーニャを養っていく。ここでならこの二人は生きていけるのだ。儂はこの若い娘よりも遥かに長く生きる。」 ヌークは気まずい思いで頷いた。もはや大老に尋ねたかったことなど頭の中にない。
「ヌーク・ガイ、香草茶が飲みたくなったら寄っておいで。今日はもう帰るがいい。パーンニャ、若者を外まで送ってやれ。」 大老はそれだけ言うと椅子から立ち上がって奥の部屋にゆっくり歩きはじめた。 「それから、森のゾンビはまだ他にもいる。次は決して破壊してはならぬ。」 アヒムサカ大老は肩越しに厳しく言った。 パーンニャはヌークのために外に通じる扉を開いた。 |