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宙導師博物館 夕焼け空を背景に黒々と宙導師博物館がそびえ建っている。遠くから見ると急斜面に囲まれた小台地にも見え、近寄ると背丈ほどの角石を積み上げた巨石建造物であることが分かる。ここには方々の世界から集められた膨大な数量の遺物が高度の保管技術をもって保存されている。 学芸員のナーセルディは外壁の角石に腰掛け、丸いガラス瓶の中で香草を燻していた。かぐわしい香りと白い煙が、瓶からつきだした管から立ち昇っている。仕事の手を止めて一息入れているところだ。それに夕暮れの博物館の中にいるとろくな事がない。つい先ほども、窓から差し込んでくる夕陽の中に、もやもやした女の姿が現れてナーセルディに微笑みかけてきた。迂闊に笑みを返そうものなら、背筋の凍る想いが待っている。様々な遺物には実に多くの記憶が刷り込まれてあり周囲にその波動を放射している。それが博物館に満ちた雰囲気によって幽体化するのだ。夕陽は殊にその雰囲気を高める。 ナーセルディはガラス瓶が十分に暖まったのを確かめ、つきだしたガラス管から熟した煙を吸い込んだ。 赤い太陽がかすんだ地平線に没する瞬間をナーセルディは好んだ。それがこの時間の日課になっている。通用口からヌーク・ガイが飛び出してきた。 「やっぱり、ここだったのか。」 珍しく息を乱している。 「おや、ヌークか。どうしたんだ。」 「嫌なものに会いました。」 「また出たのか。今日はどんな奴だった。」 「あなたに生き写しでしたよ。通路の角であなたに手招きされたら、行かないわけにはいかない。僕が早足で追いかけると曲がり角に姿を消す。曲がり角までくるとずっと先の曲がり角でまた手招きしているといったぐあいです。何度目かで気がついた。ぞっとしました。」 「ああ、知ってるよ。あいつか。うっかりついていくと、わが博物館に迷子がまたひとりふえるわけだ。もっとも、君なら何とか帰り着けるだろうがね。」 宙導師博物館では、ときおり行方不明者が出る。全てに自信たっぷりのヌーク・ガイも意味不明の行動をとる幽霊だけは苦手だ。 「反対に手招きしてやればよかった。」 ナーセルディは強く頭を振った。頭頂部のもやもやした髪が風になびいた。 「だめだ、この私も、そう思って試したことがある。そのとき奴は館長に化けていた。どうなったと思う。三方の角から真っ青な顔をした三人の館長が靴音をそろえてやってきたよ。ぞっとしたね、私は奴らが来てない方に逃げ回った。」 「いやだなあ。」 「何度か角を曲がったら、現れなくなった。それがあいつの限界なんだろ。でも遠くまで行かされたぞ。」 「へーえ。」 「ある日、またあいつが現れて手招きするんだ。私は頭に来て馬鹿野郎と言ってやった。ところが、そのときは本物の館長だったんだ。あれはまずかった。」 「ちゃんと説明して謝ればいいじゃないですか。」 「いいや、もともと変人扱いされているからね。奇矯な振る舞いの一つとして見逃してくれるだろう。それを期待するね。ただ、あれ以来コーヒーの誘いがなくなった事は確かだ。」 「仕方のない人だ。」 「いいさ、ところで今日は何の用だい。また薬草の標本が欲しいのか。」 「派遣実習に行こうと思うんですよ。そのための資料が欲しい。」 ナーセルディは再び香草の煙を吸い込んだ。 「どこの、いつの、何についての資料?」 「地球の、十八世紀、サン・ジェルマンの資料です。」 「それなら、扱ったことがある。ところが、今はすごく忙しい。新しいコレクションが届いていてね、大型コンテナにぎっしりだ。あれを正確に分類できるのは私だけだろうなあ。地球については、他にも詳しいのがいるから紹介するよ。」 「あなたに手伝って欲しいんです。」 ナーセルディはガラス瓶に視線を移し、もやついた髪をさかんに掻き上げた。実際にナーセルディは多忙なのだ。 「うーん、それじゃあ、これは相談だ。私は君の頼みを聞いて大いに残業する。これにはチップがつかない。就業規則でそうなっている。また、私の唯一の贅沢であるこの香草は近頃とても高価だ、薬種商の奴は値段をつり上げる一方さ。」 ヌークは頷いた。 「希望の金額を聞かせて下さい。」 「二千チップ、いや千五百でいい。」 「わかりました。」 ナーセルディは満足気に何度も頷いた。学芸員は研究者でもあるため、書籍代などにチップのほとんどをつぎ込んでしまう。高価な香草煙草を手に入れるためには臨時収入が欠かせない。 「よし、地球と言えばフォーマ教授だな。実は辺境人物誌の執筆の際には私もずいぶんと手を貸した。千五百チップ分の働きはする。そうだな、二日くれ、時間を作って周辺資料を選び出しておくから。」 ヌークは自慢の大きな鼻柱を縦に振った。 「完璧なレポートが仕上がりそうなら、千チップ上乗せします。」 「頑張り次第で二千五百になるのか。やる気がでてきたなあ。」 宙導師の制度が生まれて長い年月がたっている。あらゆる文明に関する情報の収集が宙導師の重要な目的の一つであるため、その遺物を集めて保管する施設は宙導師会の知的資源の核心をなす部分である。博物館のコレクションは膨大な量になっており、その保管庫は地平線にまで届きそうだ。学芸員はそれらを分類し管理する使命を持っている。膨大な量の収集物から目的のものを選び出すのには相当の労力を要求される。コレクションは分類の方法によっては、同一人物に関わるものであっても、あちこちに分散する場合も多く、それらを探し出すのも厳重な梱包を解くのも大変な作業だ。
「ヌーク、地球に興味があるのかい。君はああいう世界には関わらないと思っていたよ。」 ヌークは意味不明な微笑を浮かべただけだった。 学芸員はイアンと共同で作業をすすめる。博物館で何かを調べたい者は、イアンか手の空いている学芸員に頼むかして調査を進めることになっている。ところが、腕利きの学芸員ほど忙しいし、また変人ときている。博物学と円満な人格は共存できないらしい。ナーセルディはヌークからチップを受け取って特殊な薬草を調達したり、ときおり調べものをしたりする。これはナーセルディの貴重なアルバイトであり、ヌークは彼のスポンサー的な存在となっている。 「ようし、交渉成立のついでに新しいコレクションを見せてあげよう。ついてきたまえ。」 ヌークはナーセルディに従って博物館の通用口に入った。暗くて長い通路は外気と外光を遮断する構造になっている。ナーセルディは丸い瓶を手にぶらぶらさせながら歩いていった。入り組んだ通路には防火扉がいくつか設けられてあり、これらを抜けてしまうと、見事な楕円天井をもつ部屋に入った。支持構造を待たない半楕円体型の天井を見上げると数え切れないほどの光源が埋め込んであり、淡い様々な色彩を投げかけている。古代の巨石建造物の外観からは想像がつかない先進アーキテクチャーの傑作だ。 「こっちだ。」 部屋の中は未整理の荷物がところ狭しと並べられている。タグを見ると聞いたこともない地名や品名がぎっしりと書き込まれている。 「これを見たまえ。」 開梱途中のコンテナに各種サイズの透明なケースが収められてあり、内部に生体らしきものが入っている。色とりどり、様々な形状、水の詰まった容器もあり、ぬめぬめ動き回っているものもある。 ナーセルディは澄んだ水の入ったケースを指さした。 「うん、これは藻の一種の標本なんだがね。よく見ると小さな緑のつぶつぶが見えるだろう、きわめてきれいな水の中でなければ生育しない。また、胞子の状態でなら乾燥にも耐え、夜になると微かに光を発したりもする。ところが、この藻の最大の特徴はそんなものじゃない。幻覚をひきおこすんだ。」 「へえ、面白いじゃないですか。」 ヌークは強く興味を引かれた。ナーセルディは得意な表情になった。 「アイ星域で発見された。この藻が生育している泉の水を飲むと、見えるはずのないものを見る。それは怖ろしい怪物であったり美しい異性であったり、何を見るかはそのときの心の状態によって異なる。これらは、多くの幻視の例と変わらない。注目すべき点は、何気ない言葉に神から啓示を受けたような錯覚を抱くことだ。」 「錯覚じゃないかもしれない。幻覚は神域に入る手段の一つです。」 「いや、高度な精神の飛躍を示す例はない。靴を左右履き違えると気持ちが悪い、という程度の言葉を強烈にありがたく感じたりするようだ。」 「ますます興味がわいてきましたよ。」 「そうだろうとも。」 「少し飲んでみたいですが。」 「うーん、問題はないと思うんだがね。ここに運んでくる前に一通りの分析をおえているから。ただ、この手のものは薬事法の定めるテストにパスしないと利用できないことになっている。知ってるだろう。」 「それじゃあ、分析を手伝わせてくれませんか。」 ヌークは候補生ではあるが、余暇を利用して薬酒の製造販売を行い、大きな収入を得ている。薬の扱いにもなれているのだ。ヌークの酒は疲労回復や健康増進によく効いた。 ナーセルディは髪を掻き上げたり、顎をさわったりして考え込んだ。 「そうだな。正式な分析前にコレクションが持ち出されるのはまずいが、君のレポートの資料集めをしているあいだに、この藻と生育水を分析してくれたら助かる。」 ナーセルディは手近なところにあった空のフラスコを指さしながら片目をつぶった。 ナーセルディが言葉を言い終わる前に、ヌークの手には半分ほど水の入ったフラスコが握られていた。ヌークは生身の体ひとつで時間の外に飛び出すことができる。 タイムスキップ。これはヌークの得意とする術だ。ナーセルディは首をすくめて見せた。 「じゃあ僕はこれで帰ります。」 ナーセルディは、すでにヌークに背を向けて標本の分類作業に没頭している。 ヌークはフラスコにコルク栓を押し込みながら、幻覚藻の培養方法について考え始めた。 イピは図書館を出て、巨樹の茂る夜道を宿舎に向かって歩いていた。空を覆い尽くすばかりの木々は星明かりを遮り、歩道にぽつりぽつりと設けられた街灯も周囲を明るく照すほどの光量を与えられていない。まっすぐな歩道に、方向を見失わない程度の明かりを投げかけるに留まっている。 イピは歩道脇の巨樹の陰に手提げランプを携えた者が立っているのに気がついた。石英板を填め込んだ五角形のランプはそれを持つ華奢な手と赤い服と靴を照らすだけで、顔は陰に隠れてはっきりと見ることができない。それでも、服装や体型から見て少女であることは確かである。暗い闇に紛れてたたずむ姿は、誰かを待っているように見受けられる。 イピはランプの少女の方に近づいて行って声をかけた。 「暗い夜道で突っ立っているなんて女の子のすることじゃない。カーラ鳥が来る前に家にお帰り。」 少女はくぐもった声で応えた。 「おまえなんかとは話したくもないね。候補生なんだろう。立派なもんさ。」 その声にはたっぷりと皮肉がこもっている。イピは面食らった。 「なんて奴だ。口の悪さは一級品だな。勝手にするさ。」 少女を残して立ち去ろうとすると、可憐な声がイピを呼び止めた。 「待ってください。」 その声は同じ少女が発したものである。イピは、驚いて振り返った。少女は右手に持ったランプを顔の真横まで持ち上げて自分の顔を照らした。 「ほう。」 ランプは小ぶりな顔の片側だけを照らし出した。すっきりしたあごの線と頬が深い闇の中に浮かび上がる。大きな目が印象的な、美しい少女である。 「さっきの声の主と同一人物とはとても思えない。僕をからかっているのでなければ、話を聞こう。」 少女は思い詰めていた決心を打ち明けるように話した。 「もし、あなたが候補生なら尋ねたいことがある。」 イピはもちろん候補生である。 「分かることなら答えよう。その前に、君の名前を聞いておきたい。僕の名はイピだ。」 「イピ・アベスタ・ユームね。名前だけは知っています。」 少女はきっぱりとした口調で話した。 「私はパーンニャ。」 イピはパーンニャの大きな目を覗き込んだ。そこには若い娘の持つ快活さや明るさが映りこんでいる。奇妙なのは、その中にもうひとつの顔が二重写しになって見える気がすることである。 イピが視線に力をこめると、パーンニャはめまいを覚えてよろめいた。ランプが揺れ、少女のもう片側の顔がランプの光に照らし出された。 少女の顔は、正中線を境にして左右の対比があまりにも異なっていた。一見すると、美しい顔半分の横にもうひとつ別の肉隗がぶら下がっているように見える。皮膚や骨格の病変というよりも、憎悪や苦痛の表情を練り固め、厚く上塗りしたといった感がある。 「ふふふ、驚いたろう。あたしは、ラーニャ。覚えておきな。」 ラーニャと名乗る声は続けた。 「パーンニャはあたしを追い出そうとしている。でもあんな弱っちい奴は最初から問題じゃない。この体はあたしのものさ、何かと面倒なときだけパーンニャに貸してやるんだ。」 少女の目が挑みかかるようにイピを見据えた。 「パーンニャが考えたことは全部あたしにわかる。でも、あたしの思いはパーンニャには読めない。馬鹿だからねえ。」 左右ちぐはぐな顔に嘲笑が浮んだ。イピはラーニャの邪悪な笑みに怒りを覚えた。 「おまえに用はない、僕はパーンニャと話をしているんだ。」 「そう言われると話したくなる。ひとつ教えてやるよ、パーンニャには、本物の気力も知恵もない。この体に命をつなぎ止めているのはこのあたしだ。パーンニャはアヒムサカのじじいが植え付けた妹の人格さ。じじいはあたしを責めさいなむ極悪非道の悪魔だよ。」 アヒムサカ大老はゼーランドの最長老である。 イピはラーニャの言葉に真実を感じ取った。純粋な自己保存の意識を感じるのだ。 「ではおまえに聞こう。パーンニャはなぜおまえを追い出したいと思うのか。」 ラーニャはしたり顔になった。 「小さい頃に乳母を死なせてここに連れてこられた。そのとき、双子の妹もついでに死なせてやった。」 「殺したということか。」 「まあ、そういうことかな。邪魔だったからね。」 「なんて奴だ。」 イピは、ラーニャの邪悪さにおぞましさを覚えながらも、その、ちょっとした悪戯を告白するような口ぶりに興味を持った。 イピの故郷、アベスタの教えはこう説いている。 絶対の悪は存在しない。また同じように、絶対の善も存在しない。善意も悪意も相手が有る時に初めて稼動するものである。肉体への執着を離れ、自己の存続を期待しないところには、善悪の区別はない。つまりは、自分と相手の区別が存在しない部分にまで意識を高めることが出来たとき、善と悪は同一のものになるという。ただし、アベスタの教えは社会性を否定するものではない。むしろ、その上にたって、より本質的な平安を求めるためのものである。 「おまえの悪さ加減は相当なものだな。パーンニャがおまえに心を閉ざしているのは、大正解の処置だよ。」 「パーンニャにそんな器用な真似が出来るはずがないって。あたしのほうが優勢だからさ。パーンニャはにせものなんだ。」 「自分の優位をまくし立てる奴ほど大した事がないからなあ。」 イピは顔を上に向けてラーニャを見下すそぶりを見せた。 「あたしを挑発しようとしてもだめだよ。ゼーランドに来てからずいぶん辛抱強くなったからねえ。」 ラーニャは歯を剥き出して見せた。 「なるほど、良い子ぶらないところだけは認めよう。」 イピはラーニャの目を覗き込み、その奥に隠されているものを読み取ろうとした。邪悪な存在であるためには他者への加虐が喜びとなる精神構造や嘘を並べ立てることに愉悦をおぼえる傾向など、おおむね共通した特徴がある。ところが、ラーニャからは、そのようなものがごっそり抜け落ちた感じをイピは受けた。 「妙だな。ひとつ、おまえに尋ねる。パーンニャを追い出そうとは思わないのか。」 「さっきも言ったろう。あんなのは問題にしてない。無力で無能な者には何一つ出来ないよ。」 「きちんと答えろ。」 「ああ、面倒くさい。」 ラーニャはそう言ったきり口を閉ざし、少女の視線が再び真摯なものに変わった。 「ラーニャと話したのね。」 「ああ、大体のことはわかったよ。」 イピは限りない慈悲をもって少女を見つめた。 暗い歩道に再び静寂が訪れた。 |