17   サン・ジェルマン

 

 カリオストロは大きな背負い鞄を担いでサン・ジェルマンの潜む秘密の屋敷に向かった。そこはテールー通りから二キロと離れていなかった。古い屋敷が、黒く茂った木々のなかにひっそりと立っている。サン・ジェルマンは豊富な財力を使ってあちこちに秘密の屋敷を構えていた。

 カリオストロは身を隠すように屋敷の通用門に近づき、懐から大きな真鍮製の鍵を取り出して鍵穴に差し込んだ。使用人の姿は全くない。重い扉を開いて薄暗い屋敷の中に入っていく。磨き込まれた廊下を通り、階段を昇って開け放されたドアの前に立った。サンジェルマンのうめき声が分厚いカーテンに囲まれた寝台の中から聞こえた。

「師よ、まだ痛みますか。」

 カリオストロの遠慮がちな声でうめき声は止まった。

「入れ。」

かすれた声がした。

カリオストロは伯爵の食料や日用品の入った荷物を下ろした。カーテンを開くと、サン・ジェルマンはベッドの上で休んでいた。服を着たまま薄い毛布を掛けている。

「薬を。」

 カリオストロは特製の万能薬を懐から取り出して手渡した。伯爵はひったくるようにその瓶を受け取って、一気にあおった。

「ふうっ。」

 アルコールと麻薬が効いてくるにつれて、サン・ジェルマンを悩ませている全身の痛みが引いていった。

先月、サン・ジェルマンはバルビゾンの村に滞在した。数頭の犬を連れて野山を散策する姿は兎狩りを楽しんでいる風に見えたはずである。村での日々を過ごす間に、彼が必ず立ち寄る場所があった。それは石灰岩を積み重ねた道標であり、その場所はかつて彼がゼーランドに旅立った場所でもあった。

まさにその場所で伯爵は奇妙な動物が血だまりの中にうずくまっているのを見た。蛇のような鱗をもった長い尾と艶やかな黒い毛並みを持っており、内蔵らしきものがはみだしている。彼は生物学的な興味からその動物を調べることにした。懐剣を使って木の枝を切り取り、それを用いて腹腔からはみ出した臓物を広げて観察するうち、伯の鼓動は早まっていった。ネズミによく似ていながら、臓器の配列や形状がまるで異なった生物。それは断じて地球で生まれたものではない。

じっと動かないそれをひっくり返そうとしたとたん、死んでいるものと思っていた大ネズミが長い前歯をむき出して彼の腕に噛みつき、鑿でえぐったような深い傷を負わせた。よく訓練された犬たちは、伯爵を襲った動物にすぐさま飛びつき、ずたずたに引き裂いてしまった。

その後、外傷はあとかた無く治ったものの、原因不明の微熱と周期的な全身の痛みが彼を苦しめはじめた。

「熱が下がる様子はありますか。」

「このような病は問題ではない。いずれ治るだろう。それより、宙導師候補生たちの居場所は分かったか。」

 痛みが薄れていくにつれて伯爵の顔に生気が戻ってきた。

「いいえ、いまだに足取りがつかめません。」

「そうか、引き続き探せ。彼らなら私を苦しみから解放してくれると思うのだ。」

「師よ、彼らに会って何をなさるつもりなのです。」

「彼らなら、この牢獄から私を連れ出してくれるかも知れない。それだけを願って生きてきた。」

 カリオストロは嘘をついていた。すでに候補生たちの居場所は突き止めてあり、顔も見てきてある。しかし、カリオストロは両者を引き合わせることに怖れを感じていた。彼らに会わせたとたんサン・ジェルマンは彼らと共にどこかに行ってしまうように思うのだ。

「師よ、牢獄からの開放とは、この地を去り新天地への旅立ちを意味するのですか。」

「さあな。」

「あるいは、死を求めているのですか。」

「死を甘美なものとは思わない。よく眠りにたとえられるが、私はもう長いこと眠っていない。そのなんたるかを忘れてしまった。死は何もない静寂の世界だろう。私はそんな退屈な所に行く気はない。」

これまでにも何度となく尋ねているが、答えはいつも同じであった。伯爵の心はあるところまで行くと完全に閉ざされており、その先には決して入ることができない。

「もしどこかに旅立つときには、この私もお連れください。」

「約束できない。さあ、もう行け。」

 サン・ジェルマンはベッドから降りた。そのまま階下に降りて行き、追い返すように屋敷の外までカリオストロを見送った。

「引き続き候補生たちを探してくるのだ。」

「彼らを見つけてきたら、もう一度お考えになってください。」

 サン・ジェルマンは弟子の懇願を無視して無慈悲に扉を閉ざした。

 一人になると、彼は地下に続く階段を降りていった。地下室の扉は分厚い鉄枠によって補強され、厳重に閉ざされてある。扉にはいくつもの仕掛けが施されてあり伯爵自身しか開くことが出来ない。

地下室に入って扉を閉めると、内部が急に明るくなった。外光をガラス管の束に通して内部に引き込む工夫を施してある。そこは完全に整理の行き届いた実験室になっていた。部屋の中央に小型のパイプオルガンに似た機械が据えてある。ただしそのパイプは見事なカーブを描いて管楽器のように曲がりくねり、相互に繋がって生物の内蔵の外観を呈していた。あちこちに宝石が填め込んであり、パイプは金やプラチナをふんだんに用いて作られてある。

伯爵はずらりと並んだバルブを次々に開いていった。最後のバルブの先に突き出た蛇口からタールのような黒い液体が流れ出て来ると、浅い銀の皿でそれを受ける。そのうち、ころりとした固まりが出てきた。先の広くなったピンセットでつまみ上げ、布の上に転がすと一辺が一センチほどの完璧な正八面体が現れた。

「ふん、まずまずといったところだな。」

伯爵の顔にまんざらでもない笑みが生じた。それは完全に無欠点の白色ダイアモンドであった。彼は出来上がったばかりのダイアモンドを無造作に机の上にころがした。そこには同じものが何十と並んである。それらを研磨機に掛けて様々なカットを施すと見事な屈折光を放つ宝石となる。彼のポケットの中には常に何種類かの宝石が忍ばせてあった。

 

 ラグはジョセフィーヌと共にサン・ジェルマンの潜伏しているという屋敷に向かっていた。道々、黙って歩く婦人ではない。

「あんたたちは、何を勉強したいの。」

 婦人は斜め上を見上げなから尋ねた。ラグは大柄な婦人よりもさらに背が高い。

「学べることは何でも。」

「勉強するのはいい事さ、あたしは読み書きが出来る。聖書も新聞も読める。あたしのまわりで読み書きのできる女は誰もいないよ。」

「それは、すごいね。」

 ジョセフィーヌは鼻高々になった。

「結婚してから覚えたんだよ。注文を書き留めることが出来なくて馬鹿にされてね。近所の学のある人に無理に頼み込んで教えてもらった。」

「ふうん。」

「どんなことを勉強したいのか知らないけど、伯爵も頼み込めば教えてくれるさ。」

「そうあって欲しいよ。」

「大丈夫、あたしが頼んであげるからさ。」

 ラグは並んで歩く中年婦人がなんとなく頼もしく思えた。能力の点から言えば二者の間には激しい開きがある。ラグが頼るほど当てにはできないだろう。しかし、積極的に支えになってやろうとする心意気からは何がしかの力をもらうものである。

 目的の屋敷は思いがけないほど近かった。ひとけのない庭に黒々と茂る木々が不気味な感じを与えた。ジョセフィーヌは嫌な感じを覚えて立ち止まった。

「気味の悪い所ね。」

 ラグはこの場所に一種のまじないが掛けられてあることを感じた。

「人が入りたくないようにしてある。大丈夫だ、それ以上の効果はない。」

 ラグは先になって入っていった。婦人もあとに続く。

 屋敷は古く、玄関は重苦しいほど重厚な作りになっていた。怪物の頭をかたどった取っ手やノッカーが青い錆を吹いている。

 ラグは青銅のノッカーを打ち合わせて重々しい音を響かせた。

 しばらく待つと、がちゃりとフックのはずれる音がして分厚い扉が内側から開かれた。

 青白い顔の中年男が姿を現す。小柄な体とかぎのような鼻、その姿はホログラムで見たサン・ジェルマンそのものだった。ラグを一目見て、サン・ジェルマン伯爵の顔に驚きと喜びの色が浮かんだ。

「私を、訪ねてきてくれたのか。」

 伯爵はラグを一目見てゼーランドからの客に間違いない事を感じた。何ら奇跡を演じなくても明らかに共通した要素を感じるのである。ラグは伯爵のどこかうつろな表情が気になった。

「あなたに会うために来たのです。」

 伯爵はラグを招き入れ、一緒に付いてきた婦人に怪訝な顔を見せた。婦人は何くわぬ顔でラグに続いて屋敷の中に入った。

 サン・ジェルマンは申し分のない紳士ぶりを発揮して二人を歓待した。使用人の不在を詫び、自らワインの栓を抜いて二人に勧めた。伯爵自身はグラスに口を付けず、ラグたちに勧めて当たり障りのない世間話を披露した。ジョセフィーヌはその一つ一つに大いに頷き伯爵の十倍ぐらいを喋る。話題は自然にダイアモンドの方に流れていった。

「それではお近づきのしるしに一つ差し上げよう。」

 伯爵はポケットから見事にカットされた一センチほどのダイヤを取り出してテーブルの上に置いた。婦人の目が机の上に釘付けとなった。

「ほ、本当によろしいの。」

 ジョセフィーヌは震える手できらきら光る石に手をのばした。

「どうぞ。窓際の明るいところでご覧になればいい。」

 婦人は大事そうに石をつまみ上げ、早足で窓の側に移動して入念に石を検分した。見れば見るほど完全で申し分がなかった。

「ところで、コイルマンはどうしている。」

 伯爵は声をひそめてラグに尋ねた。それは親しい友人の安否を尋ねる様子に似ていた。

「?」

「自分をそう名付けていた。ワイヤーとコイルで出来ているからだそうだ。君たちの時間にもあるのだろう。無くなるはずはない。」

「機械なのですか。」

 伯爵は身を焦がされるようなじれったさを覚えた。胸の奥に閉じこめた感情が急激に熱を帯びていく。長い年月を生き抜いたサン・ジェルマンには常人とは比較にならないほどの豊富な感情量があった。あるいはその感情量が長い命を支えているのかも知れない。

「さあ、よく分かりませんね。どんなものだろう。」

「ゼーランドの全能機械だ。あれほど巨大で、完成された傑作が消えて無くなるはずがない。」

 伯爵は激しい感情の高ぶりを必死で押さえつけながら説明した。ラグにはその姿が異様でもあり、滑稽にさえ思えた。ゼーランドの住人が知らないことを辺境星の奇人が知っている。それは確かに奇妙だった。ラグは笑みを浮かべて尋ねた。

「面白いですね、詳しく話してくれませんか。」 

「面白いだと。」

 伯爵は長い間待ち続けたゼーランドの使者が自分の期待を裏切り、さわやかな笑みを浮かべていることに激しい怒りを覚えた。

「なぜ隠すのだ。答えよ。」

「隠してはいない。」

「嘘だ。」

 サン・ジェルマンは憤然と立ち上がった。ジョセフィーヌは伯爵の荒々しい声に驚いた。先ほどまでの柔和な様子とはうって変わって凶暴なまでの怒気をあらわしている。何らかの心の病がサン・ジェルマンを侵しているのは明らかだった。

「ラグ、もう帰りましょう。伯爵様はご機嫌が悪いわ。」

 婦人はもらったダイヤは懐にしまった上で、ラグをせかした。

 サン・ジェルマンの顔から血の気が失せていた。顔の筋肉を中心に不自然なけいれんを起こしている。

「まだだ。話は終わっていない。コイルマンについて話したまえ。」

「そのようなものはセム歴にもその前の暦にも記録はない。」

「セム歴といったな。私はセム歴について知っている。君たちの時間と私が訪ねた時間にはあまり開きがない。コイルマンはあるはずだ。」

 伯爵は長年の鬱屈を晴らすときが来たといわんばかりに激しく迫った。

 ジョセフィーヌは身の危険を感じて癇癪を起こした。

「ここを出るのよ。今すぐ。」

 ラグはまた来ると言い残して、瞬間移動の術を使おうとした。

「待つんだ。」

 サン・ジェルマンはポケットから黒い石を取り出して、いきなりラグに向かって投げつけた。ラグが手で払いのけると、玉は粉々に砕け散った。

「君たちは傲慢だ。勝手によその世界に入り込み、あり余る力を使って時代を乱す。私は長い間待ち続けた。コイルマンとの約束の日を待ったのだ。私の言うことが分かるだろう。」

 ラグが、何か言い返そうとするのを伯爵は手で制した。

「今の石はアダマントだ。伝説の物質でね。絶対に壊れないという代物なんだが見事に砕いたものだ。よく覚えておけ、その石は呪いをよく吸い込む。さあ、もういいだろう。術を使って帰るがいい。」

ラグは術を使った。一瞬で姿を消し去る見事な消えっぷりで婦人と共にサン・ジェルマンの前から姿をくらました。

イピの前に再び現れたとき、ラグの様子は一変していた。

 ラグは恐怖にひきつった顔をしていた。目の焦点が定まらず、まっすぐに立っていられない。

「ラグ、どうしたの。」

 ジョセフィーヌが、金切り声で叫んだ。ラグは、婦人に抱きかかえられ、声にならない叫びをあげた。イピとヌークは、チェスで遊んでいるところだった。

「おお。」

 イピは驚きのあまり声を上げた。ラグの恐怖にゆがんだ顔、強烈な自信と犯しがたい気品に満ちたラグ・ロム・シャヒル。決して動揺することがないと思っていたラグが、完全に自分を失っている。

「いったい何が起きたんだ。」

 イピは婦人を問いつめた。しかし、ジョセフィーヌは興奮のあまり首を横に振るばかりだ。婦人の声を聞いて、エレーヌが飛び出してきた。ラグの様子を見て驚き、すぐに、どこか怪我をしていないかとラグの体を調べ始めた。

「僕が見よう。」

 ヌークはラグの体を抱き上げ、カウチの上に寝かせた。ラグの額に手を当てて意識の所在を探る。 

「ラグは、精神面に痛手を受けている。」

 ヌークが冷静な声で言った。手際よく、ある種の脳内物質を増加する処置を始める。

「温かいものを飲めば、気持ちが落ち着くわ。」

 エレーヌは、牛乳を火にかけるために厨房に向かった。

 ヌークの処置で、ラグは明らかに落ち着いていった。しかし、それは根本的な解決ではなかった。ラグの心は、深い闇の中に閉ざされてしまった。

 エレーヌが、湯気の上がったカップを差し出しても手を伸ばして受け取る事さえ出来なかった。

「ラグ、さあ、口を開けて。」

 エレーヌが、かいがいしくラグの面倒をみた。ラグが素直に、エレーヌの言うとおりに口を開けてミルクを飲み始めると、イピは無性に悲しくなった。ミルクを飲むのは良いことだ。体が温まるし、栄養もとれる。問題は、あのラグが幼児なみの様子を見せていることだった。

「ラグを送り返した方がいいんじゃないか。」

 イピの提案に、ヌークはしばらく考えて答えた。

「送り返すのは簡単だ。優秀なドクター連中がよってたかって治してしまう可能性もある。しかし治らない場合を考えてみろ。僕が思うに、これは呪いだ。それならば、ここに残して、呪文を解く方が確実なんだよ。」

ヌークの、口調は断固としたものだった。

「呪いとは、ある意味でパスワードだ。設定するのは簡単だが、知らずに解くには膨大な作業資源を必要とする。」

「そういうことなら、彼女は重要な手がかりだ。」

 イピは茫然として床に座り込んでいるジョセフィーヌに向き直った。

 

 

 

 

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