16  二人の婦人

 

 ブランビリエ夫人は、イピから厳しい叱責を受け、すっかり打ちのめされていた。

 政府の行っている植民地政策を疑問に思ったことはなかった。そのような教育を幼い頃からずっと受けてきたのである。空から落ちてきた若者によって、夫人にとっての自明の真理を打ち砕かれてしまい、行動の基本理念を失いそうになっているのだ。思い返して反発を試みても、イピの言葉はくさびのように夫人の心に食い込み、決して抜け落ちることがなかった。

「奥様、お食事を召し上がってください。」

 執事は夫人が萎えてしまったことを本気で心配していた。

「欲しくありません、考えたいのです。」

 執事はいくつかの報告をしておかなければならなかった。それは夫人の気性を知り抜いているだけに気の重いことであった。

「ご報告しておかなければならないことがあります。まず、ヌーク様からの化粧水の納品が停止してしまいました。」

「どういうことですか。」

 夫人は、ビロード張りのふかふかしたソファーから身を起こした。

「奥様がお休みになっている間に、公爵殿下が代わりに化粧水をお取り扱いになると申されまして。」

 夫人の顔つきが厳しくなった。夫人は明晰な頭脳と強い気力を持ち備えている。もしも男に生まれていたなら現王を退けて王となっていたかもしれない。十分にそれだけの器量があった。

「私はそのようなことを許した覚えはありません。」

「はい、しかし公爵殿下が是非にと申されまして、権利の宣言書をヌーク様に手渡すようにおっしゃいました。」

「はっ、宣言書。何を根拠にした権利の宣言ですか。そのようなものを渡して承服する者たちではありません。現に一番おとなしそうなイピでさえ、このわたくしを叱りつけたではありませんか。」

「おっしゃる通りでございます。」

 夫人はさっそく行動に移ることにした。ソファーから立ち上がり、絹のジャケットを身につける。ヌークに直談判して取引の再会をするつもりなのだ。

「実はもう一つ、申し上げておかねばなりません。」

 執事は額の汗を拭いながら言った。

「これは、侍女から聞いたのですか、市場で例の化粧水が売りに出されているそうでございます。」

「そんな馬鹿な、にせものでしょう。」

「いいえ、それを確かめるべく一瓶取り寄せましたが全く同じ物のようです。それが、こちらに。」

 執事は用意してあった瓶を夫人に手渡した。ブランビリエ夫人は手早く蓋を取って香りを嗅いでみた。

「これは、本物に間違いない。急いで出かける準備を。それからジェラールには二度と手を出さないように伝えておきなさい。」

 執事は予想していた成り行きに気が重くなった。公爵は執事に八つ当たりし、それをまた、夫人に報告する羽目になるのが長年の経験で完全に予想できた。気の毒な役まわり。そのあとで、ジェラール・ブランビリエ公爵は、妻から厳しい注意を受けることになる。とくに封建的な要素の残る社会において、家格の高いところから妻を迎えるとよくある話。これまたお気の毒。

「奥様、もう一つご報告があります。」

「なんですか。」

「サン・ジェルマン伯爵の居場所が分かりました。」

 ブランビリエ夫人はこの報告にはたいそう満足した。

「よくやりました。大変結構です。」

 執事は、夫人から誉めてもらうことで少し気が楽になった。

 

 ヌークたちが滞在する屋敷ではジョセフィーヌが大声で販売成果を報告していた。

「売れるわ。どんどん売れる。もっと作って頂戴。全部このあたしが売りさばいてみせる。」

 ジョセフィーヌは、自信たっぷりだった。町の婦人たちに声を掛けまくり、ほんの二、三日のあいだに、デ・ビアス商会という婦人組合めいた販売網を作り上げている。ラグとヌークは、婦人から売り上げを受け取り、三十パーセントの販売手数料を渡すことになっていた。ジョセフィーヌは売り上げを持参し、次の納品の打ち合わせに来ているのだ。

 銀貨は丈夫な布袋にぎっしり詰まっていた、それを十枚ずつテーブルに積み上げて並べていく。ヌークは婦人の顔が喜びに輝いているのを見ながら、正確に十分の三をジョセフィーヌの方に押しやった。

「まあこんなに。」

 婦人は大金を手にしてほくほく顔になった。その席にイピはいない。

 イピはジョセフィーヌを意識的に避けていた。預言者扱いされることを怖れたのである。そのため、彼女の来ている間は二階の自室に閉じこもっている。しかし当のジョセフィーヌは金儲けの方に心を奪われており、預言者探しの情熱は一時お預けになっていた。ラグもヌークも預言者然とした雰囲気をまといながら、実際に話してみるとずいぶん気楽につきあえることもその一因であった。

 屋敷の中にノッカーの音が響いた。エレーヌが取り次ぎに出、きまりの悪そうな顔で戻ってきた。

「公爵夫人よ。」

「入ってもらえよ。」

「いいの。」

 ヌークは、エレーヌの気遣いも分かったが、後ろ暗い事をしている訳ではないと思っていた。公爵夫人は、侍女を馬車に待たせて一人しずしずと部屋に入ってきた。すいと背筋を伸ばした姿は気品と威厳を感じさせた。ヌークは優雅な仕草で立ち上がり椅子を勧めた。

「ありがとうエレーヌ、時々は顔を見せてね。」

 公爵夫人はエレーヌに軽く笑みを浮かべて見せ、次いでヌークには厳しい顔を見せる。

「ヌーク、これが何の取引なのか様子を見れば分かります。あなたはまず私との取引を行うべきなのではありませんか。」

 ブランビリエ夫人は毅然と自分の正当性を主張した。屋敷の提供は取引の交換条件の一つだった。

「おっしゃるとおりですが、取引の独占や強制が働くおそれがあればそれは無効になる。」

 夫人はもちろん引き下がらない。

「この屋敷で、別の取引をおこなうのは誠実の原則に反します。」

 ジョセフィーヌは、ヌークたちのやりとりを聞いて口を挟まずにはいられなくなった。目の前の会話には今後の彼女の事業も関わっているのだ。

「このお屋敷がだめになったら、わたしの家に引っ越しして来なさいよ。こんな立派なお屋敷じゃないけど、亭主はパンを焼いているんだ。毎日焼きたてを食べさせるよ。」

 公爵夫人は眉を釣り上げた。

「それもいいね。」

 ラグが気軽に合いの手を入れ、公爵夫人の厳しい凝視を受けた。意外なことに、ラグはジョセフィーヌと気が合った。この中年婦人には厚かましさと共に、かなりの親切心が同居していた。婦人はラグを特別扱いせず、化粧水の運搬に来た際には小麦粉運びなどを遠慮なく言いつける、そのかわりに焼きたてのかぐわしいパンを必ず持って帰らせた。

 公爵夫人は敏感に不利な気配を感じ取った。

「イピがいませんね、彼もこの席に呼んでいただきたいですわ。重要な話し合いです。あなた方も、イピを交えて話す義務があるでしょう。」

 ジョセフィーヌが早速興味を示した。

「イピって誰さ。この屋敷にまだほかに居るの。なんて水くさい。早く呼びなさいよ。」

 ヌークは渋い顔になった。

「しかたがない。エレーヌ、イピを呼んでくれないか。」

 エレーヌは一波乱ありそうな気配を感じて胸に手を当てた。

 イピが姿を現すと、ジョセフィーヌは椅子から飛び上がった。それは紛れもなくテールー通りの預言者だった。化粧水騒ぎで忘れていた預言者探しの情熱が一気に蘇った。

「あなた様は、、、、神の子。」

 ジョセフィーヌは床にひざまずいて十字を切った。

「神の子じゃないんだよ。椅子に座ってくれ。それから、マドレーヌ、ふさぎ込んでいると聞いて心配してたんだ。大丈夫かい。」

 イピは二人の婦人にそれぞれ申し訳なさそうに言った。

「いいのです。イピ、あなたの言い分ももっともだと思います。今それが分かりました。」

 一般の取引において、既に貴族の特権をふりかざすだけで取引を独占する事は不可能になっている。公爵夫人はそれを知っていた。市民階級は富裕層において権利意識を高め、議会にも進出していた。この場はその縮小版であった。

「夫の権利の宣言は、あなたたちには無力でした。イピの言葉に照らして考えてみれば、夫の行為は浅ましく愚かなものであることが分かります。」

「マドレーヌも少しは進歩したようだね。」

 イピは軽く微笑んだ。

「エレーヌ、チョコレートの飲み物をくれないかな。いや、待てよ。お茶でいい、茶にしよう。」

 イピは、エレーヌに向きなおっていつも通りに話した。椅子に腰掛けて足をぶらぶらさせている。

「熱いのがいいの。」

「そうだな、牛乳を注いでぬるくして欲しい。砂糖は少な目。」

「わかった。あたしも飲もおっと。」

 ジョセフィーヌは自分だけイピを有り難がっているのが滑稽に思えてきた。それに、最初にエレーヌの顔を見たときに気が付くべきだった。どこかで見た顔だと思ってはいたが、あらためてよく見ると預言者の側で祈りを捧げていた少女は確かにエレーヌだった。ジョセフィーヌは黙って椅子に座り直した。

「公爵が状況をわきまえずに権利の宣言書などを持ってきたことは謝罪します。この屋敷は今まで通りに使ってください。取引についてはあなた方の良心に委ねます。」

 ブランビリエ夫人は精神的にも貴婦人だった。イピはその態度に頷いた。

「マドレーヌにも品物を渡してやれよ。世話になったんだろう。」

 イピがヌークに言った。

「もちろんお世話になったよ。」

「じゃあ勿体をつけるな。」

「そんなつもりはない。」

「ヌーク、僕に隠し事が出来ると思うなよ。なぜ化粧水なんかを作ったんだ。女性の方が何かと取っつきやすいと思ってるんだろう。」

 イピが出てくるとヌークの緻密な交渉がぶちこわしになってしまう。

「イピ、少し口を慎め。」

 イピは余計と思えることをよくやる。無軌道ではないが、難解な行動規範に基づいているため予測できない。

「なぜ薬酒をつくらないんだ。それに、ゼーランドから何か持って来てるだろう。」

 ヌーク・ガイは上を向いて両手を広げた。さっそくラグが尋ねた。

「何を持ってきたんだい。規則違反じゃないのか。」

「薬酒ってどんなもの。」とジョセフィーヌ。

 ヌークは広げた腕で頭を抱えた。ヌークは切り札は最後まで見せない主義であるし、切り札とはそういうものだ。ヌークはナーセルディから手に入れた幻覚藻を持ち込んでいた。乾燥に耐える性質を利用し、粉末に変えてポケットに忍ばせてある。ヌークは頭を抱えて下を向いていたが、それでも少し笑っているようだった。

 ヌークは珍しく追い込まれた。主導権を握って、より有利な交渉をする予定が完全に崩れてしまった。

「うーん。今回は僕の負けだな。一つずつ、話を整理しよう。まず、化粧水は今後、両婦人を代理人として売り出そう。異議はあるかい。」

「わたしはないわよ。デ・ビアス商会は品物さえ入ればいい。」

「わたくしもありません。それとも、デ・ビアス商会からわたくしに納品して頂いてもいいのです。もちろん特別価格でお願いします。」

 公爵夫人は庶民向けの値段が貴族向けよりも安く設定されていることを見抜いていた。また、ジョセフィーヌにも断る理由はなかった、それどころか公爵夫人御用達の看板があればより商売がし易くなる。

「是非、そうして頂きますわ。」と、ジョセフィーヌ。

 ヌークはまた一本取られてしまった。女性、恐るべし。

「ヌーク、わたくしは損ばかりはさせませんよ。いいニュースがあります。やっとサン・ジェルマン伯爵の居場所が分かりました。」 

ブランビリエ夫人の言葉に候補生たちは緊張した。伯爵は長く一カ所に留まることなく方々を渡り歩くのである。これは予防的な配慮であった。一つところに留まると、老いることのない肉体をいずれは怪しまれることになり、悪くすると化け物扱いされることになる。ヌーク・ガイの化粧水も捕らえがたい伯爵に接近していくための手の込んだ手段であった。

「サン・ジェルマンって誰。」

 ジョセフィーヌに、また新たな興味の対象ができた。

「こうなったら、何がどうなっているのか一切合切を教えて欲しいものだわ。」

 ジョセフィーヌは決して後には引かないぞという意志をみなぎらせている。それはブランビリエ夫人とて同じであった。夫人は摩訶不思議な出来事がなによりも好きなのだ。宮殿内で法螺話に花を咲かせていた自称錬金術者はたいてい詐欺師に過ぎなかった。公爵夫人は、薄い金メッキの下にある嘘つきの姿に軽蔑と嘲笑を禁じ得なかったのである。そのなかで、サン・ジェルマンにだけはとらえどころのない面白さを感じていた。彼には教養と品の良さが備わっており、他の詐欺師たちのように金品を要求することがなかった。

 ラグは、大いにあきれかえっていた。候補生の目的は速やかに目的の歴史的事象を調査することにある。その際、できるだけ時代の流れに影響を与えない方がスマートとされる。ヌークのやり方は多分に実験的で危険な傾向を感じさせた。

「婦人たちを僕らの仕事に巻き込むのはどんなものか。」

 ラグが立ち上がって、片手を前に突きだした。その姿はモーゼのように立派で神々しかったが、婦人たちの海は割れなかった。

「大いに巻き込んでもらいたいわね。デ・ビアス商会の明日もかかっているしさ。」

「そうですわ。」

 ラグは首を傾げて席に着いた。どうもいつもの調子が出ない。

 ヌーク・ガイは、さらに作戦の変更を行うことにした。

「よし、それじゃあこの場に集まった女性たちにも僕たちの本来の目的を明かして、計画に参加してもらうことにする。」

 ジョセフィーヌとブランビリエ夫人、それにエレーヌも、三人の若者の真の目的を知りたがった。何か不思議な出来事が目の前に展開する予感があった。

「僕たちは、真実を求めている。あらゆる事を学びたいんだ。その情熱を理解して欲しい。」

 ヌークの言葉に女性たちは聞き入った。

「信じられないだろうが、サン・ジェルマン氏はダイアモンドを作ることが出来る。彼は長く老いることのない肉体の持ち主だ。長い年月を掛けて知恵を積み上げ、ついに様々な奇跡の学問を成し遂げたと考えられる。僕たちは彼に会いに来た。彼から学ぶために彼を探している。」

 ヌークは婦人たちが信じることが出来る範囲で本当のことを話した。真実の説得力はどこでも同じ。女性たちは激しく納得した。

「大きなダイヤを作れるの。」

 ジョセフィーヌが質問した。

「伯爵が作ったというクルミほどの完全無欠なダイヤを見たよ。うまくすると安値で売ってくれるかも知れない。」

 ヌークの言葉にジョセフィーヌは酔いしれた。自分の胸に大粒のダイヤがきらりと光り、首から金のチェーンで下がっているのを想像してしまう。

 ブランビリエ夫人は伯爵に会う度、その手首にダイヤのブレスレットが輝いていたのを知っている。それは見事な美しい輝きを持っていた。

「あれをつくれるなんて、、、。わたくしは買ったことはないけれども、お友達が伯爵からルビーやサファイヤを買い上げた話を聞いたことがあります。」

 ジョセフィーヌは赤や青の宝石までが、目の前にぶら下がっている気がした。

「ご婦人方にも手伝ってもらって、早く伯爵に会いたいんだ。僕たちに残された時間はあまりない。」

 二人の婦人は全力で取り組む決意を固めた。

「六人で協力すれば何とかなるでしょう。」

 エレーヌは候補生たちがやがて帰ってしまうことを知ってひやりとした。いつまでも候補生たちとの暮らしが続くように思っていた。エレーヌには、この屋敷での日々が文句なしに楽しかったのだ。  

 

 

 

 

 

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