| 15 ジョセフィーヌ・デ・ビアス イピ、ヌーク、ラグの三人は丸いテーブルを囲んで温かい朝食を取っていた。食卓にはパンやチーズに野菜スープやハム、果物などが並んでいる。これらはエレーヌが市場に買い出しに行って仕入れ、調理したものである。ヌークとラグは久しぶりのきちんとした食事にありついたことを喜んだ。 「うまいよ、エレーヌ。君が来てくれてよかった。」 ラグにほめられてエレーヌは有頂天になった。 「夕食はもっと腕によりをかけて作るからね。」 「それは楽しみだ。」 今日は、出来上がった化粧水をブランビリエ夫人の所に届ける予定になっている。 食後のお茶を飲んでいるとき、ドアをノックする音が聞こえた。エレーヌが客を迎え入れると、それはブランビリエ公爵家の執事だった。 「ヌーク様、化粧水の受け取りに参りました。」 執事は必要以上に丁寧な言葉で喋った。 「納品はこちらから行きますよ。夫人にも会っておきたいしね。」 「それが、奥様はふさぎ込まれてお元気がないのです。」 「それではなおのこと見舞いに行かねばならない。」 執事は実に言いにくそうに語った。 「そうしていただければ、奥様の気鬱も晴れるかと存じますが、実は公爵殿下がいたく御立腹なのです。」 「僕は公爵と商売をしたことはないし、するつもりもありませんよ。それに公爵の機嫌と何の関係があるのです。」 「奥様がお元気になるまでの間、例の化粧水は公爵殿下が扱うことになったとお伝えしておかねばなりません。それに奥様の気鬱は、イピ様に関係がありますので。」 イピの耳がぴくりと動いた。 「イピが夫人と会ったことは聞いたが、それがイピのせいだというのですか。」 執事は申し訳なさそうに頷いた。 イピには隠し立てするつもりなどない。 「ああ、ヌーク、ラグ、僕は君たちの邪魔をしたようだ。全く気にも留めてなかったんだが、僕はマドレーヌを叱ったんだよ。」 ヌークは茶を飲みながら事情を尋ねた。互いに情報交換は怠っていないつもりでも、イピの価値基準はちょっと通用しなかったということか。イピはかいつまんで事情を話した。 「ふーん。イピらしいなあ。まあいいさ。公爵夫人が売らないのなら自分たちでさばく。品質は絶対だ、どこでも売れる。」 執事はヌークの強硬な態度に焦りを覚えた。 「いいえ、決してそうではないのです。今も申しました通り公爵殿下がかわってお取り扱いになります。」 ブランビリエ公爵は実に嫌みな男であった。権力欲の権化で、やたらに威張りたがる。そのくせ夫人には絶対に頭が上がらない。国王の娘だから結婚を申し込んだというのがその理由だ。 「ふん、どうせあのくだらない男が夫人の機嫌取りをしているつもりなんだろう。」 ヌークの言葉は辛辣だった。執事は額の汗を拭いながら、事態の収拾をはかろうとした。貴族は一般に利潤の追求に貪欲なものである。またそうしないと、次第に没落していく。公爵は化粧水の売れ行きがいいことを知り、それを独占したがった。 「公爵殿下は、この屋敷を提供している以上、全ての販売権は公爵家に帰すると伝えるように言われました。なお、これが権利の宣言書でございます。」 執事は羊皮紙の巻物を懐から取り出し、びっしりと書き込まれた文字を示した。 ヌークは動じなかった。 「この屋敷は夫人が用意してくれたものだから、いつでも明け渡す。でも化粧水は僕たちの所有物だ。今日の納品は中止する。」 執事は夫人と公爵、ヌークの三者の間に立って困り果てた。 ここに一人の婦人がいる。名をジョセフィーヌという。テールー通りの近くに住んでおり、近所の出来事の情報通だ。通りで誰かが話をしていると、たくましい大柄な体を機敏に動かして近づき、話に割り込んで、その主導権をとってしまう特技があった。 婦人は、テールー通りの奇跡を出会う人の全てに話して聞かせた。何しろ、黒い髪の預言者の第一発見者という誇りがあった。彼女の話によると、彼女が祈ると預言者が現れ、奇跡を起こすことになっていた。轟音と共に空を飛ぶ人影の噂が新聞記事となって伝わり、何十人もの人がテールー通りの奇跡を目にしている。この二つを結びつけて考えない者はいなかった。体中に腫れ物が出来ていた気の毒な老人が、急に健康な姿になってそこらじゅうを歩き回るし、マチューという若い男は、預言者の心を知ったのだと情熱的に辻説法を始めた。奇跡の信憑性に十分な裏打ちが為されているのだ。 ジョセフィーヌの情報発信力は、群を抜いている。真実も嘘もごちゃ混ぜにして最も魅力的な預言者像をおしゃべりの中で描きだしていくからである。彼女の名は預言者の噂の後ろにくっついて広まっていった。暇を持て余した貴族はわざわざ婦人を屋敷に招き、預言者の話をさせた。 ジョセフィーヌは、以来、再び預言者を発見することに最大の情熱をかけていた。 テールー通り沿いの瀟洒な貴族の館から、マントを纏った長身の若い男が出てくるのを見たとき、彼女の鼓動は一気に高まった。その男は、人間離れした美貌が特徴的だった。重そうなキャンバス地の肩掛け鞄を担いでいる。この前の預言者とは別人だが、その姿から先日の預言者と共通した雰囲気を感じたのである。彼女は、もちろん宙導師候補生のことなど知らない。ジョセフィーヌは、その男を預言者候補としてマークすることにした。 今日も見つけた、とジョセフィーヌは思った。しかし、前回のように騒ぎ立てて、逃げ出させるような失敗は繰り返さない。 彼女は慎重にその姿のあとをつけることにした。 ラグはすぐに後ろの方からつけてくる大柄な女性に気がついた。ラグ・シャヒルは万事に抜かりがない。町は活気に溢れていた。庶民の中にも事業に成功してかなり裕福なものもおり、貴族であっても貧しいものもいた。既に貴族を巻き込んだ競争原理が働いている。力を付けてきた庶民の一部は、ブルジョア階級となり、やがて市民革命の原動力となる。ラグは、道ばたの乞食は出来るだけ見ないことにしていた。ラグもまた本来は慈悲深い上に、様々な特技を持っている。宙導師候補生は必要以上に派遣先の人の運命に関わってはならないのだ。ラグが癒やしの術を使えば、ヌークほどではないにせよ、イピとは桁外れの事件を引き起こすことになる。 ラグは市場にやってきた。商売のこつは先手を打つことかもしれない。ヌークは貴族向けの販売方針を変更し、庶民を対象に化粧水を売り出すことにした。広告塔にはラグが選ばれた。ラグは人通りの多い石畳の広場を選んで鞄をおろし、マントを外した。 ジョセフィーヌは預言者が辻説法を始めるものと解釈した。誰の注目も集めていないときに預言者の到来を告げるのが自分の役目のようになんとなく思い込んでいる。 みんな、たいへんだよう、そう叫ぼうとした矢先、長身の美男が大声を上げた。 「さあ、見てらっしゃい、寄ってらっしゃい。」 誇り高いラグ・シャヒルが、いきなりマントを振り回しながら香具師の口上を始めた。 「この化粧水は、貴族の間でひっぱりだこだよ。」 広場を行く人がいっせいに足を止めて美貌の香具師に注目した。 「すばらしい香りと使い心地。一塗りすれば肌はぴちぴち、すべすべ。さあ、どなたか美しいご婦人に実際に試していただこう。」 ラグは大げさな身振りで婦人を物色するふりをした。道行く女性はラグと目が合う度、足が釘付けになった。 「あなた、そこのご婦人。」 ジョセフィーヌはラグに指さされて飛び上がった。あとをつけてきたうしろめたさと、大勢の人の中からいきなり指名をうけてどきりとしたのだ。 「さあ、前に出てきて腕を少しまくっていただけるかな。」 ラグは内ポケットから小さなガラス瓶を取り出した。ジョセフィーヌは戸惑いながらもラグの側に立った。 「さあ、この美しいご婦人の腕をごらんいただこう。」 ラグは、大げさな身振りとよく通る声で商品の実演販売を始めた。たちまち人が集まってくる。 「この瓶からほんの少量を肌につけ、ゆっくりと塗り広げます。」 ジョセフィーヌはラグに腕を預けてモニターの役を演じることになった。冷たい液を塗りつけられてくすぐったそうな顔をしている。 「さあ、いかがですか。」 ジョセフィーヌは腕に塗られた液のさわやかな香りを嗅いだ。そしてかさついた手でその部分を撫でてみる。明らかに、しっとりとしてなめらかになっている。ラグは婦人の手のひらにも数滴の液を降りかけた。 ジョセフィーヌは両手を揉むように擦りあわせてから、しげしげと見つめ、その絶大な効果を知った。 「これはすごいわ。」 ジョセフィーヌは心からそう叫んだ。 「さあ、お集まりのご婦人方、実際に試してくださいな。お顔、手、首筋どこに塗ってもすばらしい効き目です。」 女性たちはラグに視線を奪われ、化粧水に心を奪われた。たちまち人々が殺到する。 「押さない、押さない。並んで、並んで。」 女性たちは手につけたり匂いを嗅いだり、顔や胸もとにつけて試した。 「それいくらなの。」 「一瓶、銀貨二枚、のところ、今日は特別に、銀貨一枚だ。さあ買った買った。」 「ずいぶん高いわねえ。」 「沢山つける必要はないのです。少しずつ、一日一度塗ってください。」 実演販売は成功だった。鞄に詰めてあった瓶はあっという間に売り切れた。手に入らなかった女性たちから不満の声が上がった。 「大丈夫。これを私一人で売るのには無理がある。そこで、販売担当の人をここから選ぼうじゃないか。」 ラグの言葉に、一瞬の沈黙があった。そして真っ先に反応したのは、やはりこの人ジョセフィーヌだった。 「わたしがやるわ。」 「これは頼もしい。」 「ジョセフィーヌ・デ・ビアスよ。」 ラグはジョセフィーヌをじっくりと見た。活動的な性格、世話好きでおしゃべり、あくのつよさ。 「よし、合格。採用。」 ジョセフィーヌは鼻高々となった。 「この製品はあまり沢山作れないから販売担当は一人でいいのです。他に我こそはと思うご婦人はいらっしゃいますか。」 この市場に集まる婦人たちはジョセフィーヌをよく知っている。きいきい声で自己主張を始めるともう止まらない、たいていは相手が辟易してしまう。多くの婦人は無用の紛争は避けたがった。それにジョセフィーヌに頼めば品物は手に入るのだ。 「さて、それではマダム・ジョセフィーヌ。注文を集めて屋敷まで届けていただけますか。あなたは、ご存じでしょう。」 ラグは鞄から紙とペンを取り出し、ジョセフィーヌに渡した。ジョセフィーヌは、後をつけていたことを言い当てられ、ばつの悪い顔をした。 「それではご婦人方、夢の化粧水のご注文は、こちらのマダムにお願いします。早い者勝ちですよ。」 ラグの言葉で婦人たちはジョセフィーヌに殺到した。もみくちゃにされながらも、この婦人は奮闘した。 ラグは素早く姿を消した。 |