14  奇跡

 

  イピはエレーヌを連れて町の通りを歩いた。あちこちに物乞いの姿が目立つ。豊かな貴族たちに比べてあまりにも惨めな姿が目に付いた。イピは一人の年老いた物乞いに目をとめた。イピとエレーヌを無表情に見つめている。イピは物乞いの瞳に世の中への深い絶望をみた。

「どうかお恵みを。」

 哀れっぽい声で手を差し伸べてくる。イピは無言で懐の銀貨を一枚手渡した。

 年老いた物乞いは、信じられない物を見たように目を見開き、あわてて銀貨を懐にしまった。

「へへへ、これなら酒だって買えるぜ。」

 物乞いは、急に元気になり路地に駆け込んでいった。

「銀貨をあげるなんて、、、。あの人も働けばいいのに。」

 エレーヌは、ジャンから食べるためには働かねばならないと教え込まれていた。

「僕には今の年寄りがどれだけ働いてきたかよく分かる。君のおじいさんと同じぐらい一生懸命に働いてきた人だよ。」

「そんなに頑張って何で乞食をしているの。」

「どうしてもうまく行かないこともあるんだよ。」

「さっきは願いは必ず叶うと言ったわ。」

 エレーヌはイピの言ったことをよく覚えていた。

「心から願うというのは、とても難しいことなんだ。」

 エレーヌには納得がいかないようだ。

「辛いことに慣れてしまうと、うまくいくことのほうが怖くなってくる。おそろしいことが起きないように用心するあまり、いろいろと悪い先行きを思い描いて心が暗くなっていくんだ。今の物乞いにしても、慌てて行ってしまうことはないんだ。そうだろう。」

「だって銀貨なんて法外だもの。落ち着かなくなったのよ。」

「急に大金を受け取るのが怖くなるのは、この世界がそんな風に組み立てられているせいもある。でも僕が言っているのは、もっと別のことだ。」

 イピは諭すように言った。

「この言葉だけを覚えておくんだ。心から望み、素直に求め続けることが出来れば、それはいつか必ず手に入る。」

 エレーヌは、なんとなく納得した。

 少し歩くうち、また物乞いに出会った。若い男だったが、足が折れてそのまま固まってしまっている。誰かが置いたと見られる皿には食べかけのパンが残っていた。イピは、その男の瞳に強い光が宿っているのを見た。過酷な状況にあって、いまだ望みを失わない心にイピは惹かれた。

 イピは、その若い男の瞳をのぞき込んだ。

 男の心象風景がイピの脳裏に描き出された。田舎の貧しい農家から町に働きに来ていることがわかった。男の名は、マチューといった。五人兄弟の長男で、弟や妹たちと年をとった両親のことを気にしていた。その思いが重くわだかまっている。町で懸命に働いていたが、ふとしたことから仕事中に高いところから落ちて足の骨を折ってしまった。懐に少し貯まったお金があり、仕事仲間にその金を渡して医者を呼び、治療を受けようとしたのだが、その仕事仲間は卑怯にもその金を持ち逃げしてしまった。以来、路上で乞食のようにして生きている。

 イピは黙って男のそばに近づき、しゃがんでその足に触れた。男はイピの精神に感応して恍惚とした表情になった。イピの脳裏に骨と筋肉の状態が投影された。イピはポケットの端末をつかんでその状態を入力した。

(マスコット、この状態からせめて歩けるように出来ないか。)

 マスコットはとまどった。そんな風にデザインされていない。

(おいらには、まともな治療プログラムなんて入っていないよ。そんなデバイスも付いてない。知ってるだろ。)

(わかってる。でも骨は少し曲がった状態で既につながっている。なんとかできそうなんだがなあ。)

(救急箱キットというごく簡単なプログラムならあるけどね。)

(それでもいい、起動してくれ。)

 救急箱キットは、小さいがよくこなれたプログラムだった。イピは指示に従って固まった筋と関節を柔らかくする方法を即席で学んだ。ヌークのように普段から医療について勉強しておくべきだったと思ったが、今は泥縄式の対応より他にしようがなかった。イピはアベスタの祭文を併用して一通りの処置を試みた。

 イピが次第に熱中し、口の中で祭文を唱える姿は周りから見て異様だった。まるで奇跡の体現者が今まさにそれを起こそうとしている姿に見えた。エレーヌはイピの精神の高まりに対して敏感になっている。イピの姿に感動し、側に跪いて祈り始めた。そのような構図が通りを行く人々の目を引かないはずがなかった。

 その場を通りかかった逞しい体型の婦人がいた。婦人は何かただならぬことが目の前で起こっているように思い、修道服姿の若者を息を殺して見入った。

「立て、そして歩け。」

 イピが命じるとマチューは恍惚とした表情のまま、よろよろと立ち上がった。 

 婦人は、叫び出したい衝動にかられた。預言者の到来を信じ、心から待ち望む時代だった。市民の生活が苦しければ苦しいほど、預言者の到来は近いと皆が思いこむのだ。

「うまく行った。これを機会に僕も医療を勉強しようかな。」

 イピは、満足気に立ち上がり、エレーヌの手を引いてその場を立ち去ろうとした。

 婦人の目に黒髪の預言者の顔が映った。イピからは名状しがたい雰囲気があふれている。

 婦人の忍耐はそこまでだった。近所の人や、通りがかりの人々に大声で呼びかけた。

「みんな、大変だよう。預言者が現れた。預言者が現れたんだよう。」

 婦人の金切り声を聞きつけて、たちまち何人かの人々が通りに集まった。婦人の興奮は自分自身の金切り声でさらに増幅された。

「キリストの再来だ。」

「キリストが聖母マリアをつれて、テールー通りに現れた。」

「十二使徒も来てるんだ。」  

 恍惚と歩く青年とイピ、エレーヌの周りにたちまち人の輪が出来てしまった。

「僕は、預言者じゃない。」

 しかし、イピの持つ尊い雰囲気は、人々を魅了してしまった。イピの黒く長い髪と、神聖なまなざしは神の子の条件にぴったりあてはまった。

 一人の痛ましい病気にかかった老人が、いきなりイピの足首にすがりついた。老人の皮膚はびっしりと腫れ物におおわれており、膿まで流れ出ている。その気味悪さに、イピはぞっとしてしまった。その動揺がイピの精神のエネルギーを急激に高めた。老人の体を治そうと思ったわけではなかったが、足首にすがりついた老人の体にイピの強力な、何らかのエネルギーが流れ込んだ。

「うおお。」

 老人は天を仰いで空をかきむしり、高圧高密度のエネルギーに身悶えした。それは更に劇的な効果を生んだ。人々が見つめている間に、老人の皮膚をおおっていた痛々しい腫れ物は、みるみるうちにはがれ落ちた。

「くそ、なんてことだ。」

 今度はちゃんとそう言った。周囲の人々は、その言葉を、

「見よ、我が奇跡を。」と解釈した。

 人々は我も我もと、こぞって神の奇跡と祝福を求め始めた。

 これ以上ここにはいられない、イピはエレーヌの体をひっつかんで小脇に抱え、人々の頭を飛び越えて、一目散に人垣の外へ逃げ出した。

 輪になって集まっていた人々は、二人を追いかけようと振り向いたが、イピとエレーヌの姿は誰にも見えなくなっていた。

 いや、一人だけ、通りの端の方で、豪華な宝石を沢山身につけた小柄な男が遙か上空を目で追い続けていた。イピは瞬時に五十メートルばかり飛び上がっていた。

「なんと、宙導師候補生か。」

 男は確かにそう呟いた。

 その男は、サン・ジェルマン伯爵と呼ばれていた。

 

 イピはエレーヌを抱えたまま、テールー通りに面した古い屋敷に降り立った。胸のポケットがまた熱を持ったようだがこわくて見る気がしなかった。

 古いが立派な屋敷である。庭があり、たくさんの花が植えてあった。イピは扉に取り付けられた重そうな真鍮の取っ手を握ってノックをした。

「エレーヌ、ここだよ。」

「立派なお屋敷。」

「とりあえずここに泊まればいいさ。」

 エレーヌは素直に喜んだ。大きな扉が開いてヌークが出迎えた。

「わが宿へ、ようこそ。」

 ヌークはイピの隣に立っているエレーヌを見て尋ねた。

「この可愛らしいお嬢さんの名は。」

「エレーヌだ。いろいろあってね。仕事を見つけに来たんだ。僕も探すのを手伝うことになった。」

 ヌークはじっとエレーヌを見つめ、ブーツ形の鼻を軽く上に向けた。

「仕事ならここにある。僕が雇う。さあ、入りたまえ。」

 ヌークはエレーヌを一目見て気に入ったようだ。屋敷の中に入ると、エレーヌは椅子や戸棚などに布がかぶせてあることに気がついた。

「掃除や片づけをすればいいの。」

 エレーヌは周りを見回しながらヌークに尋ねた。

「頭がいいね。いろいろとやって欲しいことがある。その前に仲間を紹介しておこう。」

 ラグとエルゼが、イピとエレーヌを迎えた。

「イピ、久しぶりだね。」

「ああ。僕はさっきまで会ってた気がするけどね。」

 ラグには十日ぶりなのだ。ラグはさわやかな笑みを浮かべた。

「エレーヌ、君はこの部屋を使いたまえ。」

 ヌークは居間の続きになった部屋のドアを開いた。

 内部は、バロック調の豪華な装飾が施され、高級そうな家具や日用品がすぐに使えるよう準備されていた。

 これを見て、エレーヌは歓声を上げた。おじいさんとの田舎の暮らしでは見ることのなかった種類の部屋だった。

「すてき、ゆめみたい。」

「うん。イピが来るときのために用意してあった。君は早速、二階の部屋の片づけを始めてくれ、ベランダつきの部屋だ。イピにはそっちの方がいいだろう。」

「はい、旦那様。」

「ヌークでいいよ。」

 エレーヌは、早速、どこに何があるかを確かめ、かいがいしく働き始めた。ジャンが言ったとおりエレーヌは働き者だった。

「すまないな。ヌーク。」

 イピはエレーヌのことを気にしていた。

「いいや、礼はこっちが言いたいね。君もすぐに分かるさ。」

 ヌークはエルゼに聞こえないように言った。

「ところで、腕をどうかしたのか。見せてみろよ。」

 イピは、腕に怪我をしたことなどすっかり忘れていた。巻き付けていた布を解くと傷はすっかり消えていた。

「おや、かすかに傷跡があるが治っているじゃないか。」

 イピは嫌な予感がした。胸ポケットの玉を取り出してみる。

「おお。」

 それは鮮やかなオレンジ色に変色していた。ヌークは大きく腕を広げた。

「イピ、いったい何をしてきたんだ。ラグ、エルゼちょっと来てくれ。」

 ラグがすぐに来て、イピの手にある玉をみた。

「赤の手前じゃないか。僕のはまだ青いよ。ヌークのもあまり変わらない。」

「ほんと、術を使うなと私に言ったのは、どなただったかしら。」

 エルゼも指輪を見せた。そこにはめ込まれた玉は緑色にとどまっている。イピは眉をひそめた。

「これからは大人しくするさ。」

「ちょっと貸してごらんよ。」

 ラグはイピの手からオレンジ色の玉をとって詳細に見た。

「僕は一度派遣実習を経験している。これじゃあ、実習の最終日に近い状態だ。何気なくやったことが後で大ごとになることがある。そういう場合、それこそ思い切り術を使って元に戻すことを試みるんだ。そのために余力を取っておくんだよ。」

「それじゃあ、イピはこれから先なんにも出来なくなったということか。」

 ヌークは気の毒そうにイピを見た。

「仕方がない。僕は部屋にこもって、最終日まで庭でも眺めていることにする。なあに、そんなレポートも珍しくていいかも知れない。窓の外の風景というタイトルだ。」

 そう言いながら、イピはがっくりと肩を落とした。 

 ラグがエルゼに向かって目で合図をした、エルゼは無言で頷いた。

「方法はある。実習生の間で秘密に行う裏技さ。エルゼの指輪が役に立つ。」

 ラグはエルゼから指輪を受け取り、奇妙な動作で二つの玉を擦りあわせた。オレンジの玉と小さな緑の玉の間に、まばゆいスパークが生じてぱちぱち音を立てた。

 イピの玉がみるみる黄色に戻っていく。

「おお、色が戻ったぞ。」

 イピはラグを抱きしめたくなった。ラグに向かって一歩踏み出したところで、かろうじて思いとどまった。

「じゃあ、私はこれで帰るわ。」

 エルゼが少し寂しそうに言った。エルゼのはめていた指輪は鮮やかな赤色に変色していた。

「イピ・ユーム、私も役に立ったでしょう。」

 イピは胸がいっぱいになった。

「エルゼ、礼を言うよ。」

 イピはエルゼに近寄って軽く抱きしめた。エルゼからはいい匂いがした。

「エルゼっていい女だったんだな。」

「単純な人。エレーヌによろしくね。」

 エルゼは熱を帯び始めた指輪を受け取り窓の外に放り投げた。ぽん、という何かの弾ける音がしてエルゼの影が揺らぎ、ぼやけて消えていった。

「帰ってしまったな。」

 ヌークがぼそりと言った。何となく寂しい雰囲気が漂った。

「僕たちが同時にこちらに来ていたら、こんなこともなかったんだ。これからが本番だよ。」

 ラグが前向きな提案をした。  

 

 

 

 

 

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