12    化粧水

 

 ブランビリエ夫人という公爵家の貴族がいる。中世騎士物語の愛読者で、当時の貴族の例に習い、このほとんど空想小説に近い物語を歴史的事実として受け止め、暗唱するほどに読みこなしている。不死の泉やドラゴンと騎士の戦いの一節などを読むときは、実際に物語の舞台となった土地まで旅行したりする。夫人の思慮が浅いとか特別であるというわけではない。新しい科学の時代が始まっているとはいえ、中世的な封建制度とともに、錬金術をはじめとする迷信や疑似科学、心霊医療はいまだに根強く残っている。

 ブランビリエ夫人は、摩訶不思議なものにあこがれる気持ちが人よりも少しだけ強かった。ラグとヌークが怪しげな化粧水を売り込みに来たとき、夫人は二人の若者が一目で気に入ってしまった。ラグには神秘的な、人間離れした気高さと美貌があり、ヌークにはゆるぎない自信と意志力を感じた。またヌークの調合したという化粧水には失われつつある肌の美しさを回復させる強力な効果があった。夫人は彼らが屋敷に出入りすることを許しただけでなく、宮殿のサロンへの出入りも特に許した。

「ヌークは来ましたか。」

 夫人は屋敷の執事に尋ねた。黒い燕尾服を見事に着こなした執事は、夫人の今日何度目かの質問に丁重に答えた。

「はい、ヌーク様は私どもの手配した屋敷での作業に忙しいご様子で。手が空き次第お見えになると思います。」

「困りましたね。あちこちのご婦人方から矢の催促が来ているのですよ。」

「お呼びすれば、お見えになるでしょうが。いかがなさいますか。」

 ヌークの化粧水はあっと言う間に貴婦人たちの評判となった。ヌークは注文に応えるだけの化粧水製造設備がないために、ブランビリエ夫人の助力を求めた。すなはち、貴族とヌークの間に立って交通整理をしてもらうこと、それに宮殿の近くに適当な屋敷を準備してもらうことだった。芸術家や聖職者を庇護するのが貴族の甲斐性と言われるだけに、夫人に断る理由はなかった。

「いいえ、待ちましょう。かえって仕事の手を止めることになるでしょう。」

 ブランビリエ夫人はきっぱりと言った。夫人は聡明さも備えている。

「ご賢明なご判断でございます。」

 ヌークは作業に追われていた。貴族たちに売り込んだ化粧水は予想を遥かに上回る売れ行きを示した。これは薬酒と医療に関する知識から生まれたものでヌークの得意とする分野である。これが芸は身を助けるということかな。

 少量を作るのなら小さな器をフラスコやビーカーの代用にして火に掛けたり冷やしたりして作り出すことができるのだが、まとまった量となると器材の調達から始めなければならなかった。それらの調達は商人のもとに出向いたり、招いたりして一つずつ集めていく。原料の調合を含めて、ラグと手分けして作業を進めていたのだが、人手が足りずに困っていたところだ。エルゼの突然の訪問でそれが解消する事が期待された。

「おい、ラグ、それはこっちに置いてくれ。」

「ああ。ここだね。」

「それをたのむ。」

「これと混ぜるよ。」

 ブランビリエ夫人が都合した屋敷の一室に、様々なガラス瓶や鍋、各種ビーカーや三角フラスコが所狭しと置かれてある。

 ラグは試験管を手にとって慎重に内容物を攪拌している。

「何よ、私だけ除け者にして。」

「様子が分かるまで君はそこで見ていろ。」

「これでいいね。」とラグ。

「いい状態だ。」

「私を邪魔者扱いするのは許せないわ。」

 エルゼは傍観者でいることを嫌う。

「ラグは何回も作り方を見ている。すっかり知ってるんだ。君は何も分からないだろう。」

「私にだってできるわ。応用化学でしょ。」 

 エルゼは自分の知る限りの知識を動員して、ずらりと並んだ瓶の一つを取り上げ、鍋の一つに注ぎ込んだ。

 あたりに嫌な匂いが漂った。

「エルゼ。何をしたんだ、だめじゃないか。」 

 エルゼはラグの叱責を受けた。それは全く初めてのことで、ショックのあまりエルゼは泣き出した。

「泣くなよ。」

「少しでも手伝おうとしたのに、ひどく叱るんだもの。」

「僕が言い過ぎたよ。」

「いいわ、私はもう帰る。どうせ実習生じゃないんだし、あなたたちの無事さえ確認すればそれでいいもの。」

 エルゼは指輪を外しかけた。ヌークは作業の手を止めざるを得ない。

「待て、イピがまだ来てないんだ。君の協力がいつ必要になるか分からない。」と、ヌーク。

「いいわ。でも、私を除け者にしないでね。」

「わかったよ。じゃあ、その鍋の中身を外に捨てて来てくれ。」

「やっぱり除け者にしてるわ。」

「それは違うだろう。」

 それでも、エルゼは忍耐力を発揮して悪臭を放つ鍋を抱え、屋敷の庭に出た。下水溝のふたを取って鍋の中身を捨てる。そのとき庭先の木の陰から屋敷の様子を伺う不審な男の姿が見えた。黒っぽい修道服をまとっている。男はエルゼに気が付くと、何気ない様子を装い、軽く目礼した。そのままあたりをぶらぶらして立ち去る様子はない。エルゼはすぐに屋敷内に戻った。

「外に変な男がいるわ。こちらの様子を伺ってる。」

 エルゼの言葉に、ヌークとラグは顔を見合わせた。

「餌にかかったかな。」

 ラグはカーテンの陰から窓の外を見た。その顔は間違いなくホログラムで見たカリオストロのものだった。

「僕たちの居場所を探し出して、やって来たんだ。どうする。」

「せっかくだから、招待しようじゃないか。」

  ヌークは大股で窓に歩み寄り、ガラスのはめ込まれた窓を開いた。男は居た。庭に植えられた草花を見るふりをして様子を伺っている。ヌークは大声で呼んだ。

「おーい、カリオストロ氏、隠れてないでこっちへ来たらどうだ。」

 いきなり大声で名前を呼ばれ、カリオストロは文字通り飛び上がって驚いた。ヌークは大きく手招きした。

 男は少し迷った様子だったが、決心したように庭へ入ってきた。近づくにつれて小太りの顔におずおずした表情が見える。ヌークたちも庭に続く扉を開け、テラスでカリオストロを出迎えた。

「なぜ、私の名を知っているのか。」

 近くで見ると、意外に実直そうな顔つきだった。情報センターの資料は完璧ではない。

ヌークは言葉を改めた。

「失礼、僕たちは真実を求める者です。あなたを含めてすでに多くのことを予め調べてある。」

 カリオストロはヌークの言葉に真実の重みを感じた。また、三人の若者の際だった存在感に目を見張った。陽の光をうけて立っている姿は人間離れした感じがする。

「尊いことです。私もまた真実の探求者たらんとする者です。」

「僕たちはサン・ジェルマン伯爵に会うために遠くから来た。ある貴婦人の協力を得ることができ、宮殿にも出入りできるようになった。しかし、目的の人にはまだ会えない。あなたはその橋渡しをしてくれますか。宮殿に顔を出して欲しいと伝えてもらいたいのです。」

 カリオストロは、気の毒そうな顔つきになった。

「先月、バルビゾンの村から戻って以来、伯爵は病気にかかってしまわれた。宮殿に出向いても会うことはできません。」

 ヌークは胸騒ぎを覚えた。バルビゾンは彼らが転移してきた場所にきわめて近い。

「伯爵は森に入ったのですか。」

「さあ、詳しいことは何もお話しにならない。私は何か異常な事が起きていると感じている。それを調べて歩いているのです。」

「伯爵が病気にかかるとは頷けないな。まさか不死性に何らかの障害が起きたのではないのか。」

 ラグの言葉にカリオストロは意外そうな顔つきになった。

「あなた方は、伯爵がほんとうに不死であると考えているのか。」

「それを含めて多くを学ぶために来たのです。」

「どこから。」

「ご存じないだろうが、ゼーランドと言うところです。」

「知っていますとも。伯爵から聞いたことがある。」

  今度はヌークたちが驚く番だった。

「僕たちは宙導師候補生なのです。」

「その名も、聞いたことがある。」

 候補生たちはカリオストロを屋敷の中に招き入れた。バロック調の豪華な室内には移り住んで間もない事を示すように、家具や調度に白い布が掛けられてある。テーブルと椅子は使われている。テーブル上の大きなガラス製の水差しには、茶葉が入れられ水出しの茶ができている。

「熱い茶を入れればいいのですが、メイドがいないのでね。」

 カリオストロは反射的にエルゼを見たが、エルゼは知らん顔だった。小間使いの真似など絶対にしないのだ。

「あなたは伯爵から錬金術を学んだのですね。」

 ラグが尋ねた。

「そう、今も師事している。しかし、私は伯爵の知識の半分も受け継いではいない。」

 話しぶりや身振りから、カリオストロは極めて実直な人格であることを感じさせた。ラグはホログラムで見た人物と全く印象が異なっていることにとまどった。

「伯爵はバルビゾンでの出来事について他に何か話していませんでしたか。」と、ヌーク。

「今も言ったとおり、詳しいことは聞いていないのです。」

 ヌークの思い切って具体的に尋ねることにした。

「僕たちはある装置を使ってこちらの世界にやってきた。その場所が、バルビゾンの近くの森です。そのとき、僕たちの世界で異常な成長を遂げたネズミが紛れ込んだ。伯爵はそのネズミと何らかの接触を持ったのではないですか。」

 カリオストロの表情が疑わしげになった。

「そんな話は聞いていない。ゼーランドがよその世界にあるなどとは初耳です。」

「あなたは、宙導師の名も知っているではないですか。」

「ええ、ゼーランドがオランダにあってそこに宙導師会という秘教集団があり、真実の探求者として活動している、とね。」

 どうやらサン・ジェルマンは真実を巧みに嘘でくるんで伝えてあるらしい。もっとも真実をそのまま話すほうがよほど嘘に聞こえてしまうだろうが、、。

「僕たちがやってきた際に事故が起きたことは信じて欲しい。」

ラグが助け船を出した。

「いいでしょう。ネズミが黒死病を広げる事はすでによく知られている。こう考えておきましょう。あなたの国のネズミが荷馬車か船に紛れ込んでやってきた。そのネズミが何か悪い病気をもたらした可能性がある。と、こういう訳ですな。」

「それで結構ですよ。」

 ヌークはカリオストロをサン・ジェルマンとの接点にする事に何となく不安を覚えた。サン・ジェルマンが完全な不死でないことは明らかだが、非常に長命であることまず間違いないのだ。師弟の関係にあっても全てを包み隠さず話す事ができないとなると、伯爵は自分のまわりを嘘で囲み、あまりにも深い孤独のなかに生き続けていることになる。カリオストロが、たとえ話に託して物事を婉曲的に話すように、伯爵も常にそうしなければならないのかも知れない。

「僕たちを伯爵のところに案内してくれませんか。僕は医療について詳しい。病気を治すことができるかも知れない。」

 ヌークの申し出をカリオストロは軽く聞き流した。

「私も、医療には自信がある。伯爵にはこの万能薬を与えている。」

 そう言って、懐から何時も持ち歩いている小瓶を取り出した。

 ヌークはその瓶の中身が知りたくなった。

「見せてもらえますか。」

「いいですとも。」

 きれいな装飾を施した洒落た小瓶だった。ヌークは、その瓶の中身を小指の指先に少量つけて舐めてみた。

「これで伯爵は具合が良くなりますか。」

「もちろん。万能薬ですからね。それは差し上げますよ。そのかわり、あなたの作っている化粧水を一瓶いただけませんか。」

 ヌークは作り置きの瓶を一つ手渡した。

「その瓶を伯爵に見せてください。僕たちの作ったものです。それを見れば、きっと僕たちに会ってみようと言うはずです。」

 ヌークは真剣に語ったが、カリオストロは瓶だけ受け取ると椅子から立ち上がり、帰る素振りを見せた。それが目的であったようだった。

「また寄らせていただくことにしますよ。」

 それだけ言い残して、カリオストロは帰ってしまった。

「その薬、何なの。」

 エルゼは実習生でないため、話に割り込むことを遠慮していた。

「こんな物は少なくとも治療薬にはならない。サン・ジェルマンは気づいていないのかな。」

「全く効果なしなの。」

「これは阿片チンキだ。アルコール水に麻薬を溶かし込んだ物で鎮痛薬としてはよく効く。」

「病気と言ってたけど、痛みのある症状なのかしら。」

「なんとも言えないな。」

 ここで、ラグが現実的な提案をした。

「こっちから伯爵のところに出向くしかないね。あの様子では、僕らを取り次いでくれると思えないよ。でも、その前に化粧水を作ってしまおう。僕らの社会的な活動を支えてくれるのは、今のところこの化粧水だけなんだ。」

「そうだね。」

 ヌークは次の手を考え始めた。

 

 

 

 

        インデックスに戻る            次のページ