| 1 講義風景 広い教室の壇上で、フォーマ教授がサイレンのような声でしゃべり続けていた。 「さて、次回の講義のテーマだが、同じく地球の、十八世紀、ヨーロッパにおける奇人について考えてみよう。この時代には、不思議な力を持っていたとされる人物が、数多く現れている。不老不死のサン・ジェルマン伯爵、錬金術師のカリオストロ、動物磁気のメスメルなどの名前は、君たちもすでに知っていることと思う。彼らほど有名でなくても、似たような人物は、かなりの数にのぼる。」 フォーマ教授の辺境人物誌の講義には人気がある。ある人物の一生を活き活きと描き出してみせる技量は、長年宙導師として活躍してきた経験が培ったものである。 「単純な手品を、さも念力のように見せて人々をだます輩はいつの時代にも出てくるものだ。しかし、嘘つきの研究は私のテーマではない。そんな人生を研究したところで、心が寂しくなるばかりだからね。地球には魂の力を発動して因果そのものに変化を与えた人物が少ない。平凡な日常に飽きてしまうか、あるいは牢獄のような運命の穴に落ち込んでうめき続けるか、いずれにしても不幸の輪を断ち切って真の幸福にたどり着く者のいかに少ないことか。そのような世界では、人は嘘の中に喜びを見つけだそうとする。偽りの仮面をかぶって様々な演出を試み、また、それが偽物であることを十分に承知しながら涙を流すこともできる。」 フォーマ教授は、白くなった口ひげをひねった。講義が終わりそうな雰囲気を感じて候補生たちはそわそわしている。いくら面白い講義でも午後からずっとこの調子だ。さすがに疲れる。教授は、人差し指を立てて候補生の注意を喚起した。 「おや、ディナーのメニューを思い浮かべているのは誰だ。確かに夕陽は人をせわしない気分にする。そんな時にこそ、さりげなく真実の言葉が語られたりする。聞き逃さないようにね。私の講義では重要なことは強調して話すようにこころがけているつもりだが、私自身の気づかない真実が私の言葉の中にあることすらある。話を戻そう。えーっ、地球で次々に生まれては消えてゆく命のほとんどが、生きていることの意味すら見だせないでいる。気の毒なことだ。ところが、宇宙を意識し続ける者は、やがて真理をつかみ取る。宇宙はそれ自体が意識なのだ、植物の中で目覚め、動物の中で歩き、人間の中で思惟する意識だ。空間と時間ではない。科学の迷宮に入り込んで自分の位置すらも見失う者を尻目に、このような者は、易々と真理に到達して神の子として尊崇される。数は少ないがね。確かにいるんだ。さて、およそ神の子とは呼べそうもない行状を重ねながら真実の体現者として現れた者として、サン・ジェルマン伯を挙げておきたい。ま、今の段階では有力候補にすぎないのだが、その点はやがて明らかになるだろう。彼は数多くのほら吹きやペテン師の群に隠れるようにその真の姿を欺きながら暮らしていたように見受けられる。彼が本物の奇跡をしめしたことはまず間違いない。なぜ、地球に、サン・ジェルマンのような人物が現れたのかは、後の研究を待つとして、彼は地球から我々の世界まで、はるばるやってきた形跡もある。さあ、君たちのうつろな頭にもやっと興味がわいてきたようだね。派遣実習の選考時期がきているので希望者は事務室の掲示板を見ておくこと。伯について調べてレポートを提出したまえ。よくできている者には、派遣実習の特典を与える。そうなんだ。今回、初めて選考委員になったんだよ。じゃあ、今日の講義は、ここまでだ。みなさん、ごきげんよう。」 演壇の上の分厚いテキストを閉じると、フォーマ教授は照れたような顔つきを見せて静かにすみやかに去った。教授のいつもの別れの挨拶が普段よりも弾んで聞こえた。派遣実習の一言が候補生たちに与えたのは、ショーの幕開けを告げるベルの響きと同じ効果だった。はっとする驚き、はじまり、はじまりの期待感。教授がすでにいなくなった演壇に向かって候補生たちは、口々に叫んだ。 「ブラボー、フォーマ!」 「ブラボー、クェイカ!」 辺境人物誌のフォーマ教授は、この学園の賢老の一人で、退役宙導師だ。その講義は、宙導師の体験が色濃く反映されているため内容が生きていて面白い。人気のある講義でありながら、辺境に対する根強い偏見から、これまでは派遣実習に直接結びつくことがなかった。ところがなぜかは知らないが、フォーマ教授に選考委員の大役が回ってきたという。フォーマ教授ほどの賢老が選考委員になっていなかったことについてはいろいろ下卑な噂もあった。震教徒(クェイカ)は迫害を受けながらも同時に勇敢な航海者であり開拓者だった。辺境人物史のフォーマはまさに開拓者であり、ブラボーは候補生たちからのこころばかりの賛辞だ。 派遣実習は、ある特定の時間と場所を選んで実体転化し、そこの歴史をできうる限り調査することを目的としている。目的の世界の物を食べたり、人と話したりはもちろん、その他にもきわめてエキサイティングな体験ができる。宙導師の仕事の、シミュレーションと言ってもいい。ここ、ゼーランドは、宙導師を養成する学校であり、現役の宙導師をサポートする機関である。 一人の若者がいる。彼の名は、イピ・アベスタ・ユーム。宙導師候補生だ。 華奢な体にいつもだぶついた僧服をまとい、濃い色の髪と黒い瞳をもっている。ちんまりと整った顔立ちの少年で、これといった外見的特徴はない。イピの真価はその漆黒の瞳の奥にある。 イピは教室から出て、廊下をぶらぶら歩き始めた。ラピスラズリの巨岩を平面に削り出して敷き詰めた床にイピの白い僧服が映り込んでいる。 「イピ、今度の派遣実習も、僕がもらうよ。」 ラグだ。ぼんやり歩いていたイピの側を、いつのまにかラグが並んで歩いていた。 フルネームは、ラグ・ロム・シャヒルである。 「君は、この前行ったろう、次は僕の番だ。」 イピは小柄な体に精一杯の気力をみなぎらせて応えた。選考は競争なのだ。順番に回ってくるわけではない。ラグは、不敵な笑みを唇の横に張り付けたまま肩で風を切って去っていった。 長身で、さっそうとした後ろ姿には、人を引きつけるあらゆるものが備わっていた。ラグの髪に、古代ガラスの窓から差し込んでくる夕陽があたってオレンジ色に光って見えた。ラグの特質は卓越という言葉で表される。多くの分野にそれこそ卓越した、ずぬけた能力を発揮する。 イピは、むっとした、だいたい挑発的な言葉を投げつけておいて、そのまま行ってしまうのは失礼だ。特にイピの故郷においては、大変な非礼である。それに、ラグの後ろ姿を無意識に目で追っている自分にも腹が立った。 今度こそ、ラグを凌いでやろう、イピは、そう心に決めた。前回の派遣実習の選考にはイピも珍しくやる気を出したのだ。ところが僅差でラグに敗れたことをあとで知った。イピには争いを好まない穏和な気質と、瞬時に熱するものが同居している。 いつもなら候補生友達のヌークと果物のパイとか宙導師パンをだらだらと食べ歩いたり、娯楽センターでバトルゲームをして遊んでから宿舎に帰るのだが、今日はラグのせいですっかり気が変わってしまった。 サン・ジェルマンは、歴史上、きわめて不可解な人物である。高名でありながら、いつどこで生まれたか、何も資料がない、死んだ記録もない。フランス国王ルイ十五世と親交が厚く、あの悪名高いベルサイユ宮殿に出入りし、シーザーと話をしたことがあるとか、聖書の中にあるカナの結婚にも立ち会ったといいふらしていた。 大ぼら吹きの道化。 サン・ジェルマンはそんなレッテルを貼られることがなかった。歴史学者が逃げ出すほどに、自分が生きてきたという時代背景について詳細に話すことが出来、ギリシャ語、サンスクリット語、中国語、アラビア語、ドイツ語、英語、などを古めかしい言い回しや俗語を含めて完璧に話すことができた。音楽や絵画にも、一流の折り紙付きであり、そして、なによりも、傷ついても死なず、老いることもなかったとされている。 イピの足は図書館に向かっていた。宙導師の中央データバンクで、最深度の調査を行うためである。長生きした人間ほどその記録は多い、伯の言葉通りなら古代エジプトから二千年に渡る彼の足跡をたどることができるかもしれない。 イピには、真実を見抜く目が備わっていた。データには、必ず、間違いが含まれている。全体の流れから、個々の資料についての論理的整合性を検討して、ノイズを除去する方法では真実は得られない。全体が間違っていることもあるのだ。何が正しく、何が誤っているかを直観的に理解できる者こそが真実を知る。 校門の所まで来ると、いつものように守衛が近づいてきた。この守衛は、すべての候補生の名前、出身地、それになぜか成績まで知っていて、お気に入りの、だらけた候補生には必ず声をかけるのだ。 「イピ・ユーム、今日は気合いが入っているな。」 イピは、何となくこの守衛と気が合う。常に黒のタキシードと蝶ネクタイを身につけており、蛇のようにくねる矢印形の尻尾をもっていて、分厚くて見上げるほど大きな二枚の鋼鉄製の扉をすばやく開閉する特技を持っている。余談だが誰かを挟んで脳味噌をはみ出させた事故は皆無だ。 「僕も今度の派遣実習をねらうことにしたんだ。」 「ふーん。今の言葉を聞いたらアベスタの聖人たちが喜ぶだろう。はな垂れ小僧だったおまえを連れてここにやってきたときの、あの、いまいましい坊主どもの顔を今でも思い出す。皆、輝くような晴れがましい顔をしていた。アベスタから宙導師候補生が出るのは何世紀かぶりだものなあ。ところがおまえときたら、ヌークの阿呆と遊んでばかりだ。やっとやる気になった決意のほどを聞かせてくれないか、うまいお茶でもすすりながら、、、どうだい。」 「ありがたいけど、今日は止めておく。情報センターに行くんだ。」 「いい茶なんだがね。」 守衛は、そう言いながら巨大な鋼鉄の門柱の中に消えてしまった。邪悪なしっぽがどこか寂しそうだった。 イピは守衛にさよならを言って、今回の派遣実習をものにするため、再び戦略的思考を続けた。ラグを出し抜くためには、最高点をマークする必要がある。ラグはあなどれない。 イピは思った、自分が、ラグに勝っているのは情報処理だ。それは前回の選考に漏れた理由を調べていくうちにわかった。派遣実習に行った候補生は詳細な報告書をライブラリーに残すことになっている。イピはラグの報告書を読んで自分の勝る部分と劣る部分を正確に読みとった。イピは情報センターに埋もれた様々な記録を掘り起こす手順について深く考え始めた。 「何を急いでいるんだ。」 黙考モードのイピの視界に大きな鼻が大写しになった。ブーツのような鼻。ヌーク・ガイの立派な鼻であった。 「パイを食べる約束だっただろう。」 ヌークは育ちのいいおぼっちゃんの笑顔を見せている。いつもこうだ。物持ちの家に生まれ、ゼーランドに来てからも何かと物持ちの才能を発揮してポケットの中はチップクレジットの束が唸っている。 「すまない、忘れてた。」 イピは、集中し始めると時間を忘れる、食事も睡眠も忘れて没頭することもある、悪い癖だが、ある意味では高度の集中力の持ち主と言えた。 「嫌なことでもあったのか。忘れたいなら手を貸すけどね。」 ヌークは胸のポケットを軽くたたいて見せた。これは強力な誘惑だった。娯楽センターにはあらゆる楽しみがあふれている。清貧を旨とするアベスタにはなかったあらゆるものがゼーランドの娯楽センターに集められていて、そのいちいちをイピに教えたのはこのヌークだった。イピが返事にもたついている間にヌークはポケットにある高額チップの束を掴みだしてごく大ざっぱに二つに分け、その半分をイピのポケットに押し込もうとした。ヌークにはそうした気前の良さをごく自然に感じさせるところがあった。イピはその誘惑に耐えた。 「うーん、しかしやめとこう。これから情報センターにいく。今度の派遣実習は、ぜひ、ものにしたい思っているんだ。ラグの傲慢な鼻をあかしてやる、それに僕もそろそろ派遣実習に行っておいていい頃だ。」 「ふふん。アベスタの聖人にやっと火がついたか。」 ヌークは鷹揚にうなずいた。 「サン・ジェルマンとかに興味があるのかい。そうじゃないだろう、僕は地球のことはよく知らない、残忍な人類の住む世界だというぐらいは知っているがね。獣性の克服ができない、それは魅力的な文明圏でない十分な理由だよ。ラグにも興味はない、奴は薄っぺらだ。売れっ子の男芸者にすぎない。」 ヌークがあっさりしゃべるせいで軽く聞き過ごしてしまいがちだが、その言葉は辛辣だった。イピは、男芸者ずれの挑発に易々と乗ってしまうことを暗に冷やかされているようにも思った。 「フォーマ教授がやっと選考委員になったというのも気に入らないね。あれだけの功績のあった人物がこれまで選考委員になっていなかったのは地球なんぞに関わったせいだ。イピ、今回の選考は見送ってしまえ。この次の回に一緒に行こう。」 「君はいつでも自信たっぷりだが、前回の僕のように、選考に漏れることだってあるんだ。行きたいときに行けるわけじゃないぞ。」 「おやおや、候補生ともあろうものがなんて気弱な言葉を吐くんだ。」 ヌークは立ち止まって大げさに腕を広げた。 「行こうと思えばいつでも行ける。不可能を可能にするのが宙導師の資質だよ。僕たちにはそれがある。だからこそ候補生なんだ。」 イピはヌークのあまりにも自信たっぷりな言葉に圧倒されながら、確かめるように大きな鼻の上にある灰色の瞳をじっとのぞき込んだ。イピの慧眼は隠された真実をも映し出す。まっすぐに見つめるイピの視線はある種の力線を伴っており、ヌークは漆のような黒い瞳に吸い込まれそうな感覚を味わった。 実際にヌーク・ガイには一点の誇張もなかった。物持ちの御曹司にありがちな甘えや現状認識の不確かさなどはかけらもない。イピの脳裏にヌークの心象風景が映し出された。そこは奇妙に戯画化された世界で、ちびっ子のイピが汗をかきかき精一杯背伸びしてラグと背比べをしている姿が見えた。イピよ、選考は背比べじゃないんだ。そんなセリフも吹き出しに書き加えられてある、ヌークは巨人となってあらゆる障害を睥睨していた。イピはヌークの思いを見て赤面した。それぞれがことごとく正鵠を射ている気がしたからだった。 「ヌーク、自信には証明がつきものだぞ。次回と言わず今回の選考に君もエントリーしろ、そして派遣実習に行って見せろ。」 イピは叩きつけるように言ってしまった。言わずもがな、の言葉だった。 ふう、とヌークはため息をついた。 「しかたがない。友の言葉として今の言葉を受け取ろう。気は進まないが、同時にフォーマ教授に敬意を表して僕も地球に行くことにする。でもイピ、僕が行く以上、君が漏れるなんていうことがないようにしろよ。」 ヌークは冷徹に言い放った。ヌーク・ガイはいくらでもクールになれるのだ。 イピは引っ込みがつかなくなった。 「やるさ。」 「よし、ではこのパイを持って行け。腹が減ったら食べるといい。僕は博物館に回ることにする。」 差し出されたヌークの手にはいつの間にか、包装紙にくるんだ果物のパイが軽く握られてあった。どこから取り出したのかは知らないが、ヌークは時々このようなまねをする。 夕暮れが近くなって、空に大形の鳥が舞い始めた。 宙導師の使命は、様々な文明に実際に入り込んで、その真価を調査することにある。文明の産物の収集も行い、破滅に向かう文明に干渉して、その進むべき方向を転換させることもある。このような場合、宙導師は効果的に、速やかに歴史を転換する能力を持っていることが要求される。これを回天の技というのだが、大海の果てで迷いに迷った航海者に陸からの小さな使者、たとえば小鳥をマストの上にとまらせてやることで、クルーの反乱の憂き目から救われたセミラミスの船長の例がある。(注釈1、2欄外)ハンニバルの足もとにつまづきの小さな石を一つおいておくだけでも、気まぐれで縁起担ぎの将軍の気勢をそぐには十分なのだ。カルタゴの勢力地図は変わってしまうことだろう。もっとも時間には収斂作用というものがあって、歴史の小さな間違いは傷が治っていくように正される。布の繊維が何本か切れても全体としては布であり続けることができるのと同じで、まわりの糸が切れた糸の張力を分担する。宙導師は正しい情報にもとづいてねじれた因果の糸を元に戻し、何かの間違いで切れた糸をつなぐのである。時間方向に伸びた織り糸の検査技師と言えば分かりやすいかな。 注;セミラミス バビロニア女王の名、文中では船の名前。大航海時代、海で迷子になりクルーの反乱で命を落とす船長が多かった。マストに小鳥が止まると陸が近いことの証となる。 ハンニバル ポエニ戦争でローマ軍と戦ったカルタゴの将軍。進軍の際、石に躓いて転び、不吉な予感を受けて大きな作戦変更をした。 |