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ヒュンデミはすかさず二本目の矢をつがえた。祭礼占い師は完全に長髪の男の陰に隠れている。ヒュンデミはガ・ルーにねらいを定めた。 ガ・ルーは鼻で笑った。剣には自信がある。それに、正面から射掛けてくる矢は比較的容易に切り払うことが出来るものなのだ。 クルーたちもまた、船長に向かって弓を引く男を見過ごしてはいなかった。手持ちの短剣を一斉に取り出す。 「命中したら、金貨一枚、外したら罰金、どんなもんですか、船長。」 凶悪な人相のボーシンが、非情な賭けを提案した。クルーたちは日頃投げナイフを競って賭けをしている。ガ・ルーは凄みのある笑顔で頷いた。 「よーし、船長が親だ。みんな、外すんじゃねえぞ。」 ボーシンは陽気な声で景気をつけた。 「せーの、で一斉に投げろ。」 マストの男は、完全に追い詰められたと思われた。十分に力の乗った短剣は硬い木にさえ深々と突き刺さる。あらゆる方向から同時に投げつけられた数十本の短剣を避ける手だてはない。しかし、暗殺者としてのヒュンデミは冷静に事態を分析した。まず、音頭をとっているボーシンに向けて矢を放った。 「あぶねー!」 甲板長は間一髪で毒矢を避けた。その足元に矢が突き刺さるのを見届けることなく、男は鎌形の短剣を振りかぶって宙に飛び出した。 セールに短剣を突き立て、引き裂きながら落ちていく。ばらばらと投げつけられたほとんどのナイフは的を外れて空中を舞った。 針ねずみになることは免れたものの、ヒュンデミは数本の短剣を体に受けて甲板に落ちた。そのまま動かない。騒ぎを聞きつけて、シェロもガ・ルーのところに走った。魚の解体に飽きていたところだし、なにより騒動が好きなのだ。 「こっちへ運んでこい。」 シェロは全員に命じた。 ヒュンデミは縄をかけられ、木箱と同じようにロープにぶら下げられて、ガ・ルーの船に運ばれた。アリーもやってきた。このような場面では、死んでゆく者に粘土板の作成を依頼されることがある。たとえ暗殺者であってもその行為に何らかの正当性が認められる場合、作ってやるのがアトシスの慣習だった。 「この男は知っている。よくこの船にたどり着いたものだ。」 ヒュンデミは目を開いて陰鬱な視線をアリーに向けた。 「殺し損ねた。俺はもう死ぬ。最後に言っておきたいことがある。」 この言葉を聞いてアリーはデッキに膝をついた。その瞬間、どうやってロープを外したものか、ヒュンデミが片手に鎌形のナイフを閃かせて飛び起きた。ガ・ルーは一瞬たりとも気を抜いていなかった。目にも留まらない速さでガ・ルーの剣が振り下ろされ、ヒュンデミの片腕を切り飛ばした。重心を崩したヒュンデミは駒のように回って海に落ちていった。 「とんだクソ野郎だぜ。まんまと騙し討ちを決めるつもりだったようだが、このガ・ルーには通用しない。」 ヒュンデミの腕が三日月型の短剣を掴んだまま甲板に落ちていた。一同は暗澹とした気分になった。 「クソカス野郎のせいで、落ち込むのはやめろ。」 ガ・ルーはヒュンデミの腕を海の中に蹴り落とした。 「死ぬときぐらい、きれいに死にやがれ。あんなクソカス、早めにこの世から消えただけ世界のためによいことが起きたんだ。俺なら詩の一節でも口ずさみながら最後の時を迎える。俺の粘土板にはその一節が書き込まれるのだ。」 ガ・ルーにはそれなりの美学があった。 「おまえに詩なんて分かるのか。」 シェロが含み笑いをこらえながら言った。シェロから見ると、ガ・ルーは無学無教養の輩である。 「分かるとも。海を讃える詩だ。下劣な人間でも海に帰ればもうその一部だ。奴の体は魚の糧となる。そう考えると奴に対するおぞましさが俺の中ではもう消え去ってしまった。海はそのように大きく豊かだ。俺はその想いを詩に託す。」 「どんな詩か詠んでみろよ。」 「実は、まだ考えてない。死にそうにないからな。」 アリーはガ・ルーの言葉でほんの少し心が和んだ。目の前に広がる海は、豊かで清浄だった。陽光のきらめく青いうねりには、暗殺者の暗さをのみこんでも一点の曇りも生じていない。 このようにして死んだ者の場合、粘土板は作られることがない。ガ・ルーは何も書いていない粘土板を持ってこさせ、暗殺者の弔いに代えて海に投げ入れた。 「陸がみえた。」 マストの見張り番が最初に大声を上げた。その声はクルーを興奮させた。陸に上がれば、酒や女が待っており、新鮮な獣の肉が食べられる。基本的に海が好きな者でも、やはり陸は恋しかった。 シェロは羊の肉に飢えていた。魚の肉は嫌いではなかったが、丸顔のコックに言い付けられて塩漬け作業をやってから、匂いを嗅ぐことはおろか見るのも嫌になっていた。 「陸に着いたら血の滴るような肉を食いたい。ぱらっと塩をかけて香草をほんの少しだけのせるんだ。うまいぞ。」 シェロは生唾を飲み込みながらマイに語った。マイは肉を食べない、芋や果物、野菜、穀物のみを食する。 「巫女は菜食と決まっているのよ。」 「なんでだ、あんなうまいものを食べないなんて。」 「昔からの習慣ね。命を食べるということには変わりがないけど、植物の意識はただ目覚めているという状態だわ。動物は違う、羊などに至っては人並みの感情を備えていて、殺されるときの恐怖が肉に染みついている。口に含んだとき、その恐怖が伝わってくる。」 「婆さんは食べているぞ。」 「シェビーダは強い意思力を持っているわ。死の恐怖を飲み込んでも平気なだけの胆力がある。私には真似ができない。」 「そんなものかね。」 「それぐらいの力がなければラゾに服従せずに村を率いてはゆけない。たいへんな人よ。あの歳でまだ少しも心の老化が起こっていない。」 「ふーん、まあいいさ。ついでに一つ言っておくぜ。俺はパオには戻らない。アリーといる方が面白そうだ。」 マイが何か言おうとするとシェロはすたすたと歩き去ってしまった。 ジェラス大陸の西側には天然の良港が少ない。ガ・ルーの船は陸を見ながらさらに二日を費やして、港町ジェムホーに近づいた。スクーナは帆を下ろし、港から曳航船が出てくるのを待った。この港は狭く、船が多いため水先案内と曳航船なしでは着岸できない。 「礼を言う。無事にジェラスに戻る事ができた。」 アリーは、ガ・ルーに丁寧な挨拶をした。 「それより、この先どうするのだ。」 「やるべき事はたくさんある。まず、ジェラスに強力な自治体制を作り上げる。ジェラ族全体のためにラゾで学んだ知恵を使うのさ。」 「おもしろそうだな。」 「陸に上がったら、地方長官のジャバに会う。力を貸してくれると思う。」 ガ・ルーはここぞとばかりに言った。 「俺も連れていってくれ。船は、四、五日は出さない。巫女のおかげで普段よりも早く着いたから、次の荷が集まっていないんだ。俺にとって貴重な時間だ。すでにシェロから聞いているだろうが、ガ・ルー船団はまっとうな商売をしている、あんたの親父と同様の荷物の運搬もやっている。」 シェロは申し訳なさそうな顔で、側に立っていた。 「ガム、おまえのことは何一つアリーに話していない。」 ガ・ルーはシェロを睨んだ。 「渡りをつけておいてくれと頼んだはずだ。」 「今ついたから、いいじゃねえか。」 「僕の父について知っているのか。」 アリーがガ・ルーに尋ねた。 「もちろんだ。俺は船主から荷物代金の一万分の一の警備料をもらい、航海の安全を保障する。あんたの親父も俺の客だった。それに運搬業ではいい競争相手でもあった。」 「一万分の一とは安いな。無法者ならもう少し取りそうなものだ。」 「ちょっと待て、俺たちは海賊とは違う。他の船と戦うこともあるが、それは、たちの悪い奴らを排除するためだ。ガ・ルー船団には厳しい秩序がある。それだけに、ガ・ルーの名は一般の船から絶大な支持を得ている。それに、海路や天候の情報を集めて、出港する船に必ず伝えることにしている。ジェラス航路で極端に海難事故が少ないのは、俺の情報網が役に立っているからだ。」 「たいしたものだ。」 「うむ、地方長官に会ったことはない。この機会に会っておきたい。」 「分かった、それじゃあ連れていく。」 「礼を言う。」 シェロはガムを嗤った。 「回りくどい奴だ。おまえは、祭礼占い師に惚れたんだろう。」 「それもある。」 ガ・ルーは悪びれずに答えた。 ジェラスの地方長官は、訪問者の奇妙な取り合わせに驚いた。一人はやたらに顎の長い異相で遊牧民のような服装だった。一見、凶暴な顔つきにもかかわらず弁舌はさわやかで澱みがなく、深い教養を伺わせた。もう一人はガ・ルーと名乗った、この名はよく知っていた。凶悪な人相を予想していたが、顔を横断する大きな刀傷に気を取られなければ、整った顔立ちの、物腰に屈託のない好青年であった。また、ラゾの祭礼占い師は意外なほど若く、大きな緑色の目と豪華な服を差し引けば、どこにでもいそうな娘に見えた。 地方長官がアリーに会うのは一年ぶりだった。幼い頃からジェラスの誇りとして見守ってきた。会う度に逞しく成長していくアリーを眩しいものを見る思いで見つめている。 「あなたの父上が殺害された件については、つい先日聞き及びました。私にとっても断腸の思いです。トリアを許すことはできない。また、お連れの方の話によれば、陰険な謀略は今もあなたを狙っている。」 地方長官はアリーが継王候補の地位を放棄した件についての連絡を受けていた。それはジェラス議会に大きな衝撃を与え、長官を激しく落胆させた。アリーはジェラ族の代表であり、誇りなのである。長官の落胆はトリアへの怒りに変質し、復讐の意志へと姿を変えた。 「ラゾにおけるトリアの情勢について聞かせてください。」 地方長官は厳格な顔つきでアリーに尋ねた。 「ラゾには色々な情報が流れ込んでくる。トリアスの地下組織がトリア族全体を牛耳っていることは、昔からラゾでも問題になっている。しかし表だってそれを解決しようとする者はなく、またやろうとしても無理だっただろう。暗い闇の住人である彼らは、昼間は普通の社会でそれなりの役割を果たしている。トリア族の持つ二面性がそのまま表れている結果だ。」 地方長官のジャバは初老の紳士である。高い鼻梁と大きな目がワシのような印象を与える。ジャバは猛禽類を連想させる目でアリーを見つめた。顎の長い男は、アリーの復讐の意思について豊富な語彙を駆使して雄弁に語ったが遠い北方の蛮族に対してどのように働きかけるつもりなのか具体的な方針は未だ示されていない。 「アトシスの王位を放棄なさった点については、とやかく言うつもりはありません。それが父上の復讐に必要であるのなら、ジェラとして当然のことです。しかし、もうひとつよく分かりません。あなたは、ジェラスに何をお望みか。」 ジャバは核心を突いた。アリーは、大きく頷いた。 「ジェラスの独立です。」 シェロ、ガ・ルー、ジャバはそろって口を開けた。余りにも荒唐無稽な話だった。 アトシスは人種的な区別が明瞭でない。それは、大きな気候の変化に合わせて大陸規模で移動する習慣が半ば本能的な部分にまで高められているせいであり、混血が進み、あるいは人種の分化が進まないせいである。ジェラ族も例外ではない。気候の変動が現在よりも激しかった先史時代にはジェラス大陸は無人の大陸であったことが知られている。ジェラ族も肌の色を除けば外見はさほど北方のトリアとも南方のシャパとも変わりがなく、ジェラス航路が開かれてからは異民族との混血が急速に進んでいる。基本的な習慣や言語にも大きな差異は認めがたい。 「独立して何の利益があるのです。ラゾは実によくやっていると私は考えております。ジェラスが別の政府を作り、法を制定しても結局は中央政府と同じようなものになる。」 「そのとおり、ラゾを排除する必要はない。表面的には全て従来通りでいい。」 シェロは何か大きな始まりがここにあることを感じた。それはアリーの言葉によるものというより、ごく直感的なものだった。 アリーは続けた。 「中央大陸の辺境地域には自給自足の生活を営む数多くの少数部族がいる。またジェラスを取り囲む海洋と小さな島々には同じく政府と没交渉の海の民がいる。多くは海賊だが、ごろつきやどうしようもない無頼ではない、それなりにルールを守って日々の営みを続けている。ジェラスは彼らの習慣を重んじ保護しながら取り込んで行く。」 「どのように取り込むのです。」 ジャバはせき込むように尋ねた。 「交易です。法と刑罰による強制ではなく、進んで自分の生み出した価値を売りに出させるようにする。物売りの合理的な考え方で取り込んで行くのならば望む者は自由に参加し、その逆も成り立つ。ラゾは、高い塔に似ている。こく限られた者が高みに登っていく。それはそれでいい。愚か者が集まってくだらないことを決めるよりはよほどいいのだ。ただ、ジェラスは高い塔に上れなかった者を集めていけばいい。」 「金銭を至上のものとする風潮を招くことにはなりませんか。」 「大丈夫。中央には精神の要としてのラゾがある。これを犯すつもりはない。ジェラスは交易の要となる。何もかも吸い上げて肥満しないように自ら規制していく仕組みも忘れてはいけない。そのための法を作り、組織を作る。ただし、それらは常にジェラスの公の組織と一体でなければならない。」 ジャバはじっと考えた。ジェラスが他の地域に比べて自然に恵まれていることは明らかである。余剰の富を蓄積していくとしたら、ジェラスが最も豊かな土地柄とならねばならない。にもかかわらず、生活水準そのものはトリアにずっと劣るのだ。それは、トリアの巧妙な策略によるものであることが明らかなのである。トリアは、原料を安く買い叩いて、加工を施した品物を高く売り付けるのだ。 「ひとつやってみましょうか。その組織に名前が必要ですな。」 実現は困難であろうが、不可能とは思えない。なにより、目の前の若者が老境に入ろうとするジャバの心に新鮮な活力を吹き込んでしまった。 シェロは、祖母のシェビーダの言葉を思い出した。、、、、あの男が強い意志を発動するときには誰も逆らえん、言ったじゃろう、他人を手足のように使う脳みそじゃ、ラゾの生んだ怪物じゃ。 「俺もその話に乗るぞ。アリーの手下になろう。」 ジャバの言葉を受けて、ガ・ルーが熱っぽく言った。地方長官があまりにもあっさりとアリーの言うことに従ったことを不思議に思いながらも、交易に関する話には強い魅力を感じた。また、船が重要な役目を担うべきことにも興奮を覚えた。 ジャバは、頷きながら話を戻した。 「名前ですよ、名前。かつてそのような組織がなかったから、どう呼べばいいでしょうか。」 「ジェラス地方公社というのはどうだ。」 「陳腐。」 「全く同じ名称の公社がありますぞ。」 「では、ガ・ルー公社。」 「論外だ。」 「ジェラートにしよう。」 シェロのふとした言葉にジャバは大きく頷いた。氷菓子みたいだが、語感がいい。 男たちは、発言を求めてマイを見た。巫女の感想は占いと同じだ。 マイは男たちの話に興味が無さそうな素振りだった。 「ジェラートでいいんじゃないの。」 マイの素っ気ない返事にジャバはむっときた。 「巫女、これは大事な話ですぞ。もう少し真剣に考えたらどうかね。」 「私は、アリーの元教師にすぎない。その組織にも興味はない。私は、アリーがアトシスの王にならなかった理由を見極めたいだけ。でも、そのためにジェラートの巫女となるべきなら、務めは果たします。必要とあればラゾやトリアスの巫女の目からアリーを隠してしまうこともできる。私は当代一の祭礼占い師、私よりも強い力がなければ私の修法は破れない。」 ジャバはマイから風圧のような威厳と自負を感じた。どこにでもいる娘と思っていたら大しくじりをやることになる、ジャバはその点を肝に銘じた。 「僕は、ジェラスのために生きよう。名にジェラを冠して名乗りたい。君たちで名付けの儀式を行ってくれないか。」 アリーの言葉にシェロは顔をしかめた。 「アリー・ジェラか、それではまるで海賊の名前だ。」 ジャバはシェロの言い分とは別の思いを抱いた。ジェラと名乗るとすれば、ジェラ族がラゾの議会に参入する以前、ジェラスの王であった者のみに許された名なのである。 「僕はこれから物売りとなる、ジェラスを拠点にして船に乗り込み、海を駆け回るつもりだ。だから、ちょうど良い名前だと思う。」 「ジェラは古くから海を渡ることが巧みな民であったと言われております。海賊の名に似ているのではなく、海の民としての習慣が海賊の名前に残っているのでしょう。」 「それなら、このガ・ルーが名付け親になろう。ジェラス航路はこの俺が押さえている。その資格はあるだろう。」 ガ・ルーの言葉をジャバが手を挙げて制した。 「いや、その役目はジェラス長官である私がやりましょう。ジェラスの代表として名付け親となる、この重要な役目を人に譲る事はできない。」 ジャバの頑とした主張は、説得力があった。また、アリー・ジェラの存在に正当性を与える点でも歓迎された。 「わかった。異存はないぜ。」 「それではジェラスの主だったものたちを集めて名付けの儀式を行いましょう。」 ジャバは部下を呼んで、重要な儀式を行うべきことを命じた。 |