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「待て。」 アリーの後ろから投げナイフを構えていた男を、女頭目が手を上げて制した。 「いい眼だ。」 女頭目はアリーの冷静な判断力よりもむしろその端正な容貌が気に入ったようだ。 投げナイフを構えていた男がそのままの姿勢で馬から落ちた。マイが大きく息を吐いた。 「巫女がやったんだ。」 その声で二人を取り巻く馬賊の輪が大きくなった。 「並の巫女ではなさそうだ。ラゾの祭礼占い師というのも嘘ではあるまい。」 女頭目は二人を値踏みするように見た。 「ふん、まあいい。二人に馬をやれ、パオに連れていく。」 女頭目は馬を丘に向けて走り去った。 「殺し損ねたぜ。俺の名はシェロだ。」 顎が言った。 「お互いにな。」 アリーの言葉にシェロは笑い、自分の馬を与えた。 アリーはマイを鞍の前に座らせた。 「ついて行くしかないようだ。」 二人乗りでも裸馬よりは乗りやすかった。アリーは遙か前方を走る女賊を追って軽快に馬を走らせた。シェロも手下の馬を横取りしてすぐに追いついてきた。二人に興味がある様子で、馬をぴったりと寄せてくる。 「なあ、ジェラスに何しに行くんだ。」 「かたき討ちの準備だ。」 「誰の敵討ちだ。」 「父、それに王だ。」 「おとっつあんというのはわかるが、王とはどういうことだ。」 「僕のことだ。」 シェロは大きな顎をふった。 「おまえの言うことは、さっぱりわからねえ。わかるように言いな。」 「おまえは知りたがりだな。まあ、そういう男もいなければ統率がとれなくなるのは分かる。」 「そういうことだ。」 シェロは当然というように頷いた。アリーは、これまでに考えた結論を整理するように話した。 「いいか、よく聞いておけ。北方の陰謀好きな蛮族がラゾを牛耳ろうとしている。僕はそれに気がついた。奴らは継王候補者について調べるうちに僕を排除する必要性を感じた。ところがラゾの中では手が出せない。第一級の護衛者がひしめいているからな。それに手の込んだ仕掛けが奴らの好むところだ。奴らは僕の父に巧みに近づいて殺し、さらに僕をおびき出して命を奪うつもりなんだ。」 「ほーお、おまえは王になるはずだった男か。しかも、その王位を捨てて、わざわざ罠に飛び込むのか。」 シェロはあらためてアリーを見つめ、次いでマイの顔をのぞき込んだ。ある種の確認がしたかったのである。 「アリーは次の王になるべき人だったのよ。」 「なぜそうまでして戻るんだ。」 シェロは再びアリーに尋ねた。 「ジェラスは僕の故郷だ。ジェラ族は僕の帰りを待っている。」 シェロはそれきり、黙り込んだ。凶暴だけが取り柄の盗賊集団ではなさそうだと、アリーは思った。 いくつかの丘を越えてからも一行は駆け続けた。ブノワ河に出ると大河に沿って走り、まばらに灌木の生えた場所にいくつものテントが設置されているのが見えてきた。テントの周りには羊の群れが草をはんでいる。 「立派な村じゃないか。おまえたちは盗賊ではなかったのか。」 「盗賊には違いない。だが俺たちは不正な蓄財に対してだけ略奪を行う武装集団だと考えて欲しいものだ。」 急にしゃべり方が変わったシェロを、アリーは怪訝な顔で見つめた。 「俺は相手の知的レベルに合わせてしゃべることにしている。普段は荒くれの阿呆どもの中にいるから約二千語の語彙のみを使って会話をするように心がけている。」 「みょうな男だ。」 「少しも妙ではない。おまえはいつも第一級の人間に囲まれてきた。おまえが話せば必ず相手は耳を傾け、十分な理解を示してきたはずだ。会話は話す側と聞く側に同程度の教養を必要とする。一つ良いことを教えておいてやる。パオに着いたら一言か二言でしゃべるようにしろ。何か楽しいことがあれば、にたにた笑っていればいい。その気持ちを言葉で表現しようとするな。気に入らないことがあれば、その理由を説明しようとするな。うるせえ、ぶん殴るぞ、でいい。もう少し強く気分を害するようなことがあれば、ぶち殺すぞという言葉を付け加えると効果的だ。」 「よくわかった。」 「目やにだらけのきたない婆さんがいるが、粗略にするなよ。」 シェロは離れていった。テントの周りの羊を集めたり馬の世話など、色々と用事があるようだ。他の男たちもそれに習った。 一足先に到着した女頭目が、アリーとマイを出迎えた。 「おまえたちは捕虜だ。勝手に出歩くと殺す。」 マイは馬の上から胸を張って言った。 「服の埃を落としたいわ、肌着も洗いたい。お風呂もね。それから靴、歩きやすい靴が欲しい。ただでとは言わない、私の靴をあげる。」 女頭目は、欲しければ奪うと言いながらも大きな宝石をあしらった素敵な靴に視線を奪われていた。これだけの靴には、ちょっとお目にかかれない。 「踵のところをアリーが切ってしまったの。でも、上手に修理すれば、わからなくなるわ。」 「馬の鞍の職人がいる。」 女頭目はすっかり靴で釣られてしまった。 「そう。足の形に合わせて直してもらうといい。内側の革を張り替える手もあるし。」 マイはそういいながら、馬から下りて靴を脱いだ。女賊は、そっと片足をマイの靴に入れてみた。 「似合うじゃない。」 女賊の日焼けした顔に白い歯並みがこぼれた。服が粗末でも靴が良いと見栄えがよくなるものだ。それに女賊は生まれながらの美しさを持っていた。 「よし、この靴はもらっておく。取引だ、おまえの言うとおりのものを準備しよう。ついてこい。」 アリーとマイはテントのあいだを歩いた。子供たちが珍しそうに見に来た。羊の毛を編んだ袖無しの子供服は粗末ではあったが清潔だった。子供たちは男も女も腰に小さな短剣を身に付けていた。武器というよりも明らかに道具として親しんでいる。紐を切ったり、木を削ったりしながら刃物本来の用途を覚えていくのだ。 「マイ、君は大したものだな。宮殿の最強の戦士よりもはるかに強力だ。戦うことなく必要なものを次々に手に入れてしまう。」 「巫女だからそれぐらいはできるわ。」 マイの言葉はどこかぶっきらぼうだった。 「どうかしたのか。」 羊の革で出来た大型のテントをパオという。その中から青白いほどに白い肌の老婆が出てきた。目からじくじくと涙のようなものを絶えず流しておりそのために目の周りが赤くただれている。 「けけけ、よい男じゃな。」 老婆は一、二本だけ残った大きな歯を見せて笑った。アリーを下から見上げたり、後ろに回って腿の肉を触ってみたり、さかんに品定めをする。これがシェロの言っていた老婆だと思ったが、靴を脱がせて足の指のあいだを見たり、口を開けさせて中をのぞき込んだりし始めるとアリーもさすがに不快を隠せなくなってきた。 「婆さん。いい加減にしておけ。無性に腹が立ってきたぞ。」 「その剣で、この年寄りを殺すか、え、若造。」 「ここまで我慢したから、もう少しだけ待ってやる。あと何を調べたいんだ。」 「けけけ、言いおるわ。そうじゃな、尻の穴と男のしるしを調べておきたい。」 「見せてやってもいいが、ラゾの医師はどこにも悪いところはないと言っていたぞ。」 「ふん、あとは孫に任せる。この儂ではたたんじゃろうしな。」 老婆はにやにや笑いながら鼻を鳴らした。 「まだ命が惜しいのか。」 「おお、惜しいとも。ラゾの阿呆どもはすぐに死にたがる。名誉の死と言うて特に護衛につく戦士が一番の死にたがりじゃ。儂から見れば救いようのない阿呆じゃ。」 「ラゾにいたことがあるのか。」 「あるとも。」 老婆はその先を語ろうとはしなかった。その首にマイのものと同じような大きな宝石を沢山あしらった首飾りをかけている。 「アーダ、洗ってやれ。」 老婆は女頭目に向かって言った。女頭目は妖艶な笑みを浮かべてアリーの前を歩いた。 「ついて来な、女はあっちだよ。」 マイはアリーとは別の方に連れていかれた。 陽はすでに傾いていた。西日に照らされたパオの影が草原と灌木のあいだに伸び、女たちは石を組んだ炉に火を入れた。アリーと女頭目はやや小振りなパオに入った。中には他にも若い女が二人いた。敷物や飾り付けに若い娘の部屋を思わせる華やかさがあった。 「風呂に入るんだよ。」 アリーは内部を見回した。湯を張った浴槽らしいものはない。入り口の脇に外に張り出した小部屋のようなものがある。そこに入るべき壁面にはぴったりとしたフェルトのカーテンが掛けられてあった。 「蒸し風呂か。」 「あたしたちは、湯の中に浸かったりしない。ラゾでもそうなんだろう。」 「ああ、バウドスでもシャパスでも風呂といえば蒸し風呂だ。でも僕だけはジェラスの習慣のまま浴槽に湯を張って入っていた。」 「贅沢だ。薪も水も沢山使う。」 「ジェラスは雨が多くて木々もよく育つ。水も豊富なんだ。習慣が変えられなくてね。」 外から焼けた石が鉄のかごに入れて運ばれてきた。娘たちが革のカーテンを開いて小さな部屋の中にそれを運び込んだ。さらに、たっぷりと水の入った革のバケツがいくつか運ばれてくる。水の中に見慣れない香草が放り込んであった。二人の娘が服を脱ぎ、小部屋の中に入った。 焼けた石に水をかける音が聞こえてきた。 「おまえも服を脱げ。」 アーダは身につけたものを素早く脱いだ。しなやかな肢体に半球のような乳房、日焼けした首筋から下は驚くほど白かった。トリア族やバウドとの混血であることが伺える。アリーも言われるままに服を脱いだ。 カーテンを開くと熱い水蒸気が顔を包み、香草の匂いが鼻腔を満たした。 「早く入って、湯気が逃げてしまう。」 先に入っていた娘の言葉に、アリーは身をかがめて素早く中に入った。アーダも続いて入ってくる。焼けた石に注がれる水が、じゅうじゅうと水蒸気をあげていた。密閉された小部屋の中は熱い蒸気で満たされており、布を透ってくる光で、ぼんやりと三人の娘の裸体が見えた。 赤銅色のアリーの肌から大量の汗が流れはじめた。娘たちがアリーにすり寄ってきて少量の水を手に取っては、柔らかく、揉むように擦りはじめた。 「さあ、おまえも私の体を流して。」 アーダはアリーに豊かな胸を押しつけてきた。湯気の匂いと女の匂い、さらに甘い香草の匂いが混じり合ってアリーを刺激した。 アリーはアーダの体を引き寄せた。 しばらくして革一枚隔てたパオの内側から、しわがれた声が聞こえた。 「アーダの具合はよかったか。」 アリーは顔をしかめた。高まっていたものが急にしぼんでゆくのは、放出が終わったせいだけではなかった。 「おい、婆さん。そこで聞き耳を立てていたのか。」 アリーのうんざりした声に、老婆は嗤った。 「ひひひ。ぬるぬると熱いところで交わるのもよいものだろう、さっぱりと洗い流してから出てこい。」 興をそがれたのはアリーだけではなかったようで、娘たちもそそくさと身繕いを始めた。 洗いざらした服に着替えると、老婆はパオの中央に椅子を置いて腰掛けていた。 「僕を種馬に使ったな。」 「優れた血が欲しい。おまえの子ならば、秀でた頭と体を持って生まれるだろう。きっと大事に育てる。この場の怒りにまかせて、アーダを殺すことだけはやめよ。」 「そのようなことは考えていない。しかし、ラゾでは王の子など有り難がる者は居ない。」 「儂らにはラゾの習慣などどうでもよいのじゃ。親が子を可愛がり、持てる全てのものを与えて何が悪い。」 老婆は吐き捨てるように続けた。 「冷徹な道理で情を押さえ込むのがラゾじゃ。儂はつくづくラゾが嫌いじゃ。」 「ここはカーグスの村か。」 「いいや、カーグスを名乗る者たちはもっと南方に移動した。儂らはピチェと呼ばれている。」 ピチェは古い習慣のままに中央大陸の北から南までを移動する少数部族である。 「今日は暑い。夕食は河で冷やした瓜にしよう。」 アリーは老婆の言いたいことが他にあることに気がついた。 「婆さん、何か言いたいことがあるならはっきりというがいい。」 老婆は目やにを拭いてアリーを見た。 「敵討ちと聞いた。トリア族と戦争を始めるつもりか。トリアはおまえを狙っているようだが、実際のところは、根底にジェラを怖れる気持ちがある、トリアは貧しいところじゃ、なぜか作物の実りが悪い。ジェラはその貧しさを知らん。沢山の血が流れるぞ、そのようなことは止めておけ。おまえさえよければ、この部族をおまえに任せてもよいのだ。儂の言葉が今のおまえの心に届くことはあるまい。しかし、忘れるな、ここならば心の重荷をおろして思うままに生きていられる。」 「僕は思うままに生きている。」 「いいや、おまえはラゾに人生を奪われた奴隷じゃ。」 「まるで僕のことを全て知っているかのような口ぶりだな。」 「知っておるとも、王の候補者など鋳型に流し込まれた金の置物じゃ。どれもこれも、よう似ておる。儂は当代一といわれた祭礼占い師のなれの果てじゃからな。」 アリーは改めて老婆の首飾りを見た。宝石には不思議な力があるという。老婆の首飾りも祭礼占い師として務めた頃のものと思われた。 「マイと同じか。」 「違う。あの巫女はいうならばラゾの化身じゃ、信念だけがあって自分というものがない。おまえさえ望めば何時でも自分の全てを捧げるが、儂のように自分の情欲を持っていない。孫のアーダは若い頃の儂と比べて、百分の一の力もないが同じ種類のものを持っておる。アーダを見よ。一度抱いたから、もうその目に情念の火がともった。」 老婆に言われて、アリーはじっと自分を見ているアーダを見た。その目には粘り着くような光が宿っていた。 「何度かアーダと寝れば、並の男ならば心をとろかされてしまうじゃろう。しかし、おまえには効かんようじゃ。昔の儂ならば、おまえを骨抜きにすることぐらい訳もないのだが。」 老婆はそう言って、軽いため息をついた。 「アーダ、その妹のナーダ、それに従姉妹のイラーダじゃ。三人とも儂の孫じゃ。三日でよい、おまえの時間をくれ。娘たちを抱くのじゃ。」 老婆は席を立った。 「あんたの名を聞かせてくれ。」 「シェビーダ。シェロも孫じゃよ。」 老婆はそう言って出ていった。 |