中央大陸を東へ、ひたすら歩く旅が始まった。

 なだらかな草原のかなたに険しい山脈が望める。この季節には頂上付近にわずかな万年雪を残すのみで、切り立った斜面には黒い岩肌が見えている。

 マイはラゾから外に出たのが嬉しくてたまらないらしく、さかんに鼻歌を唄っていた。壮大な宮殿が全く見えなくなると、鼻歌はさらに大きくなりアリーもつられて歌い出した。ところが、真昼の陽がふりそそぐ頃ともなると、さすがに疲れの色が濃くなってきた。

「アリー、かかとが痛くなってきたわ。」

「見せてみろ。」

 マイは大きな宝石の填め込まれた靴を脱いで、赤くなった踵を見せた。

「それにのどが渇いた。」

「ああ、夜から歩き通しだからね。靴擦れだな、これは痛いだろう。」

アリーは腰に取り付けてある小型の水筒をマイに手渡した。マイはそれを手に取り二口ばかり飲んだ。

「馬車かなにか、通らないかしら。」

「まだこのあたりで人に会いたくない。トリアの手先である可能性も高い。」

「祭事大臣が大騒ぎをしている頃だわ。何しろ最有力継王候補者がいなくなったんですもの。連れ戻しにくるかも。」

「ドウがうまくやってくれる。あいつは、そういう男だ。」

 アリーはベルトのバックルに取り付けてあった小さなナイフを手に取り、マイの靴の踵の部分を大きく切り取った。次いで、ポシェットから柔らかい革ひも取り出し、器用に踵を包み込む細工を施す。出発にあたって、アリーは歩きやすい靴に履き替えるようマイに言ったのだがこれが一番お気に入りと言って聞かなかった。

「どうだ。」

「楽になったわ。」

「いずれ民家の一軒も見つかるだろう、少し金貨を持ってきている。馬を買い、ついでに食べ物を分けてもらおう、それまで頑張れ。」

「そうよ、馬がいればいいのよ。」

「今は、いないんだよ。」

 アリーはゆったりした毛織りの上着と、そろいのズボンに、なめし革のブーツを身につけている。短剣や小物の入る革のたすきとベルトには小型の水筒や便利な小道具の入ったポシェットが取り付けられていた。旅慣れた軽快な身支度である。それに比べ、マイは大きな宝石と金糸が重いほど縫いつけられた豪華な真紅のスーツを着込んでいた。首飾りや腕飾りにも相当の重量がある。長いスカートだけはアリーの説得でズボンに替わっていたが、上着に負けない豪華さだった。

 二人が再び歩き出したとき、低い地響きが近づいてきた。アリーは反射的に身構え、マイの手を取って近くの茂みに身を潜めた。

まもなく、蹄の音を高らかに踏み鳴らして野生の馬群が勢いよく通り過ぎていった。

「あっ、これよ、これ。」

 マイは弾むように上体を起こして口笛を吹いた。高く低く、唄うような巫女の口笛にアリーは口を開けたまま聞き惚れた。馬の群れが方向を変え、大きな円を描いて二人のまわりを走った。馬たちは次第に速度を落としてアリーたちの近くに集まってきた。

「アリー、胸を張って立派に見えるようにして。」

 マイは一番近くに寄ってきた馬の目を見つめながら、何かぼそぼそと話しかけた。マイに話しかけられた馬は値踏みするようにアリーを見た。他の馬たちもマイの言葉に聞き耳を立てていた。

アリーは言われたとおり胸を張って立った。王の候補者は立派に見える訓練も受けている。見た目というものは存外、権威と関係が深い。ただし、それが馬にまで通用するかとなるとアリーには全く自信がなかった。

 ひときわ大柄な栗毛がアリーの前に立った。

「その子があなたを乗せてくれる。私はこの子に乗るわ。」

 マイは白い馬のたてがみを撫でた。

「そうか、助かるよ。よろしく頼む。」

 アリーが言うと、栗毛は高くいなないた。

 二人を乗せた二頭の馬は群れから離れ軽いトロットで東を目指した。マイは再び機嫌がよくなった。馬の背中でさかんに鼻歌を唄っている。

「馬と話が出来るとは知らなかったな。」

「巫女はいろいろなものと心を通わせることが出来る。鳥やけものたちは二本足で器用に歩く人間を、いつも感心しながら見ているわ。」

「ほう。」

 二頭の馬は快適に距離を稼いだ。途中、街道を外れて小さな森の中に入った。馬は森の中を進んで、小さな泉の前に立った。

「よかった。水が乏しくなっていたところだ。」

 アリーはほとんど空になった水筒を叩いた。

「馬たちはこのあたりのことをよく知っているようだね。」

「大地全部がこの子たちの家なのよ。」

 泉から湧き出す水は冷たく、よく澄んでいた。馬と並んで喉を潤し、手や顔を洗うと心も体も元気を取り戻した。馬たちは自然の水場や森に実った果実の在処をよく知っていた。甘い山葡萄や栗を取って空腹を紛らわせることもできた。人が行き来する街道を通らず、野生馬の道を行って旅をすることはアリーにとって新鮮なものだった。

 森を抜けて広々とした草原に出ると、馬の首が前に伸び、走る速度を上げた。風でアリーの長い黒髪がなびく。耳と頬に風圧を感じ、景色が次々と後ろに飛んで行った。アリーは馬との一体感に心が高鳴った。

「それっ。」

 アリーのかけ声で、栗毛はさらに速度をあげた。前夜からこわばりがちだった頬と口元がゆるんでいき、馬との一体感のなかでアリーは爽やかな笑みを浮かべた。

昼過ぎまでにはかなりの距離を稼ぐことができた。

 森と草原を抜け、大きな丘陵が迫ってくると馬たちは急に速度を落として立ち止まった。

「ここから先には行けないと言っているわ。」

 マイが馬の気持ちを代わって言った。

 アリーは馬を下りて栗毛を撫でた。

「ありがとう。気を付けて帰るのよ。」

 マイはそう言って馬を下りた。

 二頭の馬は快活に走り去っていった。

「あの馬たちにお礼をしてやりたかったけれど、彼らに与えてやるべきものは持ち合わせていない。」

「馬は楽しんでいたわ、お礼は要らない。それより今後のことを考えましょう。」

 マイは緑色の瞳をアリーの端正な横顔に向けた。

「それなら十分に考えているよ。あの丘陵地を越えればブノワ河に出る。漁の舟が行き来しているはずだ。それに乗り込むんだ。」

「ここがどこなのか、ちゃんとわかっているのね。」

「もちろんだ、君はどこを走っているのか知らずにいたのか。」

「全然、それで、河まではどうやっていくの。」

「これを使うんだ。」

 アリーは自分の腿を軽くたたいた。

 

 砥石に三日月形の短剣を当て、黙々と研ぎあげている男がいた。この肉厚で頑丈な短剣には両側に鋭い刃がついており、突くだけでなく引き切ったり薙ぎ斬ることもできる。殺人という機能を極限まで追求した禍々しい雰囲気を持った代物であった。

 暗い雰囲気が異様に幅広い背中に漂っていた。ヒュンデミである。暗殺と陰謀が専門の冷血漢で、アリーをラゾの外に連れ出して殺す命令を受けていた。背後からラゾの護衛者がつけてきていたことは全くの誤算だった。あのまま、アリーに剣を突きつけることをせず、なに食わぬ顔をしていれば、あるいは当初の予定通り事が進んだかも知れない。憎むべきはあの祭礼占い師であった。予想外の行動に対し、反射的に行動をとってしまったのである。

 ヒュンデミは当初の計画を変更する必要に迫られていた。

 

 高い丘をいくつか越えれば大河に出る。アリーはマイの体力が持ちこたえることを願っていた。丘には道らしいものはなく柔らかい土に足を取られそうになる。

「アリー、足全部が痛くなってきたわ。」

 太陽はとっくに傾いている。

「少し休もう、もうじき頂上だ。」

「頂上まで行ったら河が見えるかしら。」

「たぶん見えるはずだ。でもまだまだ登ったり下りたりしないといけないよ。」

 マイの顔が曇った。

「まだ歩くの。」

「ああ、日暮れまで頑張るんだ。野宿する場所も探さないといけない。」

「それより、靴とか服の行商が通らないかしら、もっと動きやすいものに替えれば楽になると思うわ。」

 だから言ったろう、その言葉をアリーはかろうじて飲み込んだ。責めても仕方のないことだ、マイは徒歩の旅などしたことがない。

 二人が休んでいると、丘の上から駆け下りてくる一団が見えた。全員が馬に乗り、全部で二十人はいる。 

「来た、来た。ふっとそんな気がしたのよ。靴を手に入れないとね。」

 マイの目はアリーほど鋭くない、彼の目には遠目からでもかなり剣呑な集団に見えた。逃げることは出来ない、走っても馬には勝てないし数も多い。アリーは短剣の位置を再確認した。ベルトに小ぶりな短剣がもう一本残っている。上着のうえから掛けた革のたすきにさらに一本。アリーは急速に近づいてくる一団を見つめながら、効果的な攻撃方法を考え始めた。先制攻撃で活路を見いだす、うまく行けば馬が手にはいる。

「だめよ、アリー。座って。」

 二人は騎馬集団に取り囲まれた。アリーが思ったとおり、凶悪な雰囲気を発散する盗賊集団であった。異様に顎の長い男が顔をつきだした。

「ど派手な女だな。何者だ。」

「女は生かしておいて、連れの方は早くぶち殺しましょうや。」

 顎の隣にいた男が馬上で短剣を構えた。 

「俺に指図するんじゃねえ。」

 頭目らしい顎男がいきなり隣の男を殴った。めり、という妙な音が聞こえた。殴られた男は馬から転げ落ち、それを見た周りの者がへらへらと笑った。集団の中には女も何人か混じっている。

「私は祭礼占い師のマイ、そして彼はアリー。」

「ラゾの巫女か。まあ、その服を見ればただもんじゃねえことぐらいはわかる。男の方はジェラ族だな。色は黒いが、やけにいい男ぶりだ。」

顎は感心した様子を見せながらも、一瞬たりとも気を抜いていない。

「この土地は俺たちの場所だ。誰も通さない決まりになっている。それを破る者はぶち殺す。だが、その前に一つ答えろ。ここに何の用だ。」

 アリーはゆっくりと周りを見回しながら答えた。

「用はない。僕はジェラスに帰るところだ。だから、ここで殺されてやるわけにはいかない。見たところ本当の頭目はおまえではない。そいつだ。そいつを真っ先に殺す。」

 アリーはさっきから話している顎男の斜め後ろにいる美しい女賊を指さした。アリーの手にはいつのまにか手品のように短剣が光っていた。

 

 

 

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