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二十年前、
故郷からの便りは一ヶ月前の日付が記されてあった。使者は手紙と血糊がついたままの鉛の杭を届けた。使者が、船で海を渡り、馬によって内陸に入ってくるうち、すでに父の肉体は白い灰と骨に変わっているはずである。羊皮紙に書き込まれた赤い文字は間違いなく三つ年上の従兄弟の筆跡であった。二年前に会って以来、顔を見ていない。 文面は淡々と父の死についての事実関係だけが記されてあった。アリーは最後の数行を何度も読み返した。 「額に鉛の杭が打ち込まれてあり、両眼をえぐり取ってある。今となっては、出来るだけ苦しまずに亡くなったことを願うのみだ。」 最初に目を通したとき、怒りで目の前が真っ暗になった。強い克己心を動員して、ようやく正常な判断を取り戻したときには、アリーの黒い瞳に青白い光が宿っていた。 アリーは専属の教師の一人である祭礼占い師を呼んだ。マイという名だ。生徒よりも若い娘だが、候補者のうちもっとも優れていると目されているアリーに見合う、当代最高の巫女である。 「アリー、夜中に起こすのはやめてほしいの、肌に悪いから。」 「我慢してくれ。継王候補者として最後の召喚になるかもしれない。」 巫女はアリーの様子にただならぬものを感じ取った。アリーの黒い瞳に宿る光は、鮮烈な怒りだった。 「マイ、この杭を見てくれ。」 巫女はアリーの手からずっしりと重い鉛の杭を受け取った。 「きゃっ。」 杭に触れたとたん、巫女の脳裏に陰惨な印象が閃き、反射的に杭を床に放り出した。ごとり、と鈍く重い音が部屋に響いた。 「これは何なの。」 巫女が咎めるように尋ねた。 アリーは無言で従兄弟からの手紙を見せた。文面から、巫女は文字に表されている情報をはるかに越えるものを読みとった。手紙を手に持って床に膝を突き、鉛の杭にも触れた。 巫女の手が鉛の杭をなぞり、そこに刷り込まれた記憶を読み取っていく。頭蓋骨に打ち込まれた杭、ぽっかり開いた眼窩が巫女の意識に映った。 「見える。」 アリーの目が険しくなった。 「何が見える。もっと詳しく言ってくれ。」 アリーは巫女の二の腕をつかんだ。 「痛い。」 アリーは手を離し、絞り出すような声で尋ねた。 「誰がやった。」 巫女は目を閉じて、呪文を唱え、やがて深いトランス状態に入った。 マイは杭に刷り込まれた記憶を追体験し、血の涙を流し始めた。さらに額にも血が滲み始めている。 マイは死者の残した鮮烈な思いを読み取り、そして喉を裂くばかりの絶叫をあげた。 「ぎゃーっ。」 マイの顔が苦悶にゆがんでいる。巫女はまさに、アリーの父の断末魔の叫びを再現しているのだ。アリーは目前の巫女の姿に死の苦しみを受けている父の姿を見た。敬愛する者を最も残酷に奪い取られる恐怖が全身を貫き、アリーは激しく身震いした。 「汚らしい!最低の蛆虫!」 マイは血に染まった目を見開いて恨みの言葉を口にし続け、ついに決定的な言葉を叫んだ。 「ゆるさんぞ、、、アダー!」 アリーの全身から青白い怒りが部屋じゅうに吹き出した。 アダーには会ったことがある。二年前、久しぶりに故郷の空気を吸うために戻った時、にこやかな笑みとともに父の側に控えていた男。 「アダー!トリアスから来た流れ者。奴が父を殺したのか。なぜだ。何のために殺した。」 その答えは、アリー自身が最もよく知っている。マイを召還したとき、アリーは継王候補者の地位を捨て去ることに決めていたのである。 「思った通りだ。北方の陰謀好きな民族のやり口。何もかもトリアだ。首謀者、実行者、決して許さんぞ。」 巫女は若者から放射される激しい怒りによって感応状態から引き剥がされ、弾かれたように床に倒れ込んだ。アリーの視界に巫女はなかった、彼が見ていたものは、アダーの顔であり、トリア族であった。 「憎悪に身を焦がしてはいけない。あなたは王になるべき人よ。私にはあなたが他の候補者よりもはるかに強く光って見える。復讐は宮殿の戦士に任せればいい。」 巫女が這うようにアリーに近づいて言った。 アリーは意志を振り絞って自制を取り戻した。 「王位はドウに譲る。ドウはいい奴だし有能だ。王の務めは十分に果たせる。」 「あなたはどうするの。」 「ラゾを出る。」 「そんな、、、。」 「マイ、これは十分に考えたことだ。手の込んだ人殺しをしておきながら殺害現場に凶器を残しておくのは僕とジェラへの挑戦だ。復讐を誘っているんだ。僕は継王候補の筆頭だ、このまま行けばジェラ族で初めてのアトシスの王になるだろう。でも、僕は王である前にジェラ族でありたい。ラゾに来てから、それをずっと思い知らされてきた。」 巫女はアリーを見つめた。巫女の決断は早かった。 「わかったわ、では私もラゾを出る。」 「マイ、君は継王候補者の教師だ。僕がここを出て、候補者でなくなれば、もう関係がない。」 「関係は大いにある。専属教師になったときに、あなたは最高の王になると確信した。今、ラゾに私以上の巫女はいない。巫女の誇りにかけて、あなたの今後を見届ける義務がある。」 「僕が王になる可能性はもう消えた。」 「さあ、どうかしら。アリー、よく考えなさい。私は何時でも正しい道を示してあげる。」 アリーはマイを見つめた。そばかすの浮き出た象牙色の肌にゆるくウエーブした茶色の髪。緑の印象的な大きな目を覗き込むことさえしなければ、どこにでもいる普通の娘に思える。しかし、当代最高の巫女と呼ばれるラゾの祭礼占い師なのである。 マイの瞳がアリーをまっすぐに見つめた。巫女の力量は輝く瞳に表れる。アリーはその視線に射抜かれる気がした。 「わかった。では、一緒に来てくれ。」 「よし、アリー。今すぐラゾを出るのよ。」 「僕に指図するのか。」 「あなたはもう王位継承候補者じゃない。」 地位を捨て去る決意をしたとき、アリーの全ての特権は消滅しているのだ。 「ああ、わかったよ。マイ、少しだけ待ってくれ、ドウに会っておきたい。」 アリーはラゾの警護者に案内されて、ドウの寝室に入った。 この頃、ドウは見上げるような巨人になっていた。子供の頃はむしろ小さい方だったが、寝台の上に寝そべっていると、ことさらに大きく見える。アリーが寝台の脇に立つと、ドウはすぐに目を覚ました。 「なんだ、こんな夜中に何の用だ。愛の告白なら遠慮してくれ、趣味じゃない。」 警護者はドウが目を覚ますと扉の外に出ていった。 「別れを言いに来た。」 意外な話だった。 「どこへ行くんだ。」 「これを預けておく。」 アリーは羊皮紙の手紙と布にくるんだ鉛の杭を手渡した。 ドウが手に持つと鉛の杭が小さく見えた。若い巨人が枕灯の明かりで、受け取ったものを確認した。 「おい、ただ事じゃないぞ。」 ドウの肩の筋肉が盛り上がった。 「決着を付けてくる。」 「俺も手伝ってやろう。」 「いや、君はここに残れ。次の王は君しかいない。他の候補者には任せられない。それを言いに来た。」 「アリー、俺はとっくに王になんぞなりたくないんだ。前にも言ったろう。おまえが王になって、俺をどこかの水族館長に推薦してくれ。俺はきちんとそれだけの仕事はする。余暇を利用して様々な水棲生物について研究したいと思っている。」 アリーはドウの天真爛漫な笑顔が好きだった。 「それもできなくなった。今日からは言葉遣いも改めろよ。次の王としての自覚を持つんだ。僕はもう行く。」 「おい、アリー。」 ドウはアリーの腕をつかもうとした。巨体に似合わぬ素早い動きだった。アリーは背を向け、ドウは空をつかんだ。 「ドウ、いつかきっと戻ってくる。」 背を向けたまま、そう言い残し、アリーは駆け出した。後ろでドウが自分の名を呼ぶ声を何度も聞いた。 アリーは旅の準備を済ませ、住み慣れた部屋の扉を閉めた。 マイをつれて住み慣れた宮殿の回廊を歩くうち、後ろからひたひたと足音をたててつけてくる者がいた。アリーは暗い廊下を振り返った。 「だれだ。」 見ると、ジェラスから手紙を届けてきた使者であった。 「ジェラスまで、私がお供します。」 使者は異常に肩幅が広く蟹のような体型をしていた。男はヒュンデミと名乗った。 「うむ、ではそうしてくれ。」 深夜の宮殿はひとけもなく、暗く闇に沈んでいた。どこまでも続く広い石の回廊が三人の足音を響かせた。所々に掛けられた常夜灯だけを頼りに、無言のまま長大な回廊を歩いて行く。 「ラゾは広いですね。この分だと夜明けまでかかりそうです。」 ヒュンデミは伏し目がちな非常にへりくだった態度でアリーに話しかけた。 「夜が明ければ、馬車の手配もできるのだが祭事博士たちは僕を行かせてくれないだろう。」 「ごもっともです。」 マイは不機嫌に黙り込んでいた。 途中何人もの宮殿の護衛者に出会ったが、祭礼占い師が同行していることで誰も不審に思うことがなかった。巫女の行動は常に不可解とされていたのである。 夜が白みかけたころ、三人はやっとラゾのはずれにたどりついた。回廊の屋根がなくなり視界が開けた。急速に明るさを増していく空を背景に、遠くの山が黒くそそり立っている。草原に朝靄がかかり草が露をのせていた。 マイが、何の前触れもなく、急に石の回廊を走った。 「マイ、どうした。」 そう言って横を向いた刹那、アリーは首筋にひやりとしたものを感じた。 「動くんじゃねえぞ。」 ヒュンデミがアリーの首に、三日月形の短剣を押し当てていた。 「このまま外に出ろ。」 アリーは自らの不覚に気がついた。首を曲げて男の顔を見ると、朝靄の明かりで男の瞳が濃い青であることがわかった。この男もトリア族に違いなかった。夜のラゾの中では、男の瞳の色は黒く見えた。 「首謀者は誰だ。僕を殺すんだろう、最後にそれぐらい聞かせろ。」 「ふん、どうするかな。教えてやろうか。」 男がもったいぶって剣を握る力を緩めた。その刹那、アリーは何者かに突き飛ばされ床に転がった。 「ちっ。」 ヒュンデミが舌打ちをして飛び退いた。アリーが顔を上げると、目の前に鷹のような顔つきのラゾの護衛者が立っていた。 護衛者は短剣を構え、滑るようにヒュンデミに近づいた。 「ちいっ。」 ヒュンデミは蟹のような体を床に這わせるほどに屈み、三日月形の短剣を構えた。 戦士は蟹の頭上を高々と飛び越え、空中から短剣を投げつけた。 きん、と音がして短剣が石の床に当たり、折れ飛んだ。ヒュンデミはその場所にいなかった。廊下の端で恨めしそうな顔で戦士をにらみ、転がるように走り去った。 「危ないところでした。」 宮殿の護衛者は人なつっこい笑顔を見せた。アリーは肩をさすりながら戦士の名を尋ねた。 「ウルと申します。あの蟹みたいな奴がどうも気にくわなかった。それで、気配を消して跡をつけました。」 「気づかなかった。」 「あの祭礼占い師は気がついていたようですぞ。私もまだ修練が足りない。」 「とにかく礼を言う。おお、そうだ。命の礼ではないが、御主にこれをやる。」 アリーはベルトに差していた短剣を戦士に差し出した。それは華麗な宝剣であった。この護衛者はアリーが最有力の継王候補者であることをよく知っていた。 「このような宝剣を。」 戦士にはもらい受ける理由がなかった。王の候補者を守ることは、護衛者のごくあたりまえの任務である。 「よいのだ。僕は思うところがあってラゾを去る。」 護衛者は戸惑った。 「私ごときが、お引き留めしても無駄でしょうな。」 「いつかラゾに帰ってくる。さあ、この短剣を受け取ってくれ。」 護衛者は唇を硬く結んで宝剣を拝領した。 「では、遠慮なく。あの蟹のような男にお気をつけて。奴はなかなかの使い手だ。あの鎌のような短剣は北方の種族がよく使う。この先も、あなたを狙ってくると思われます。もし、伴をせよと命じていただけるのなら地の果てまでもついていきますが。」 「その権限はすでに失った。」 戦士はその言葉の意味を悟った。 アリーとマイは戦士に別れを告げラゾを後にした。 |