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場所を移して、話し合いの席が設けられた。 「サクスの鉄が欲しくてここまで来た。ジェラスにはいい果物が実る。互いに欲しいものを交換しようじゃないか、これが俺たちの望みだ。」 シェロは単刀直入に話した。族長はタウと名乗り、部屋の隅に積み上げた木箱を指差した。 「われらの鉄を手にとってみるがいい。」 「見せてもらう。」 シェロは丈夫な木箱のふたを開けて、こぶし大の鉄塊を手に取った。ずしりと重い。両手に掴んで軽く打ち合わせてみると、澄んだ音色がして強く弾く。 「いい鉄だ。純度も高い。」 シェロは長い顎で大きく頷いた。 族長は大集団を率いる頭目だけあって、胆力と判断力に優れていた。 一般的な船賃と農産物の近年の作柄を尋ねた上で、すぐさま、蜜柑ひと箱につき鉄塊十個の交換比率を示してきた。 「いい取引だ。」 シェロは鉄の塊を握ったまま頷いた。まず妥当な条件だと思われた。サクスは良質の鉄を生産することで知られている。ジェラスにも鉄鉱山はあるが生産量が極端に少なかった。それに、この鉄の品質には遠く及ばない。 「ひとつ尋ねておきたいことがある。」 シェロは族長の腰に下げられた短剣を見ながら言った。 タウは、シェロがトリアスとの関わりを知りたがっていることに気がついていた。 「この短剣が気になるようだな。」 「ああ、気になっている。見せてくれるか。」 族長は鎌のような短剣をシェロに手渡した。シェロはそれを受け取り、鞘を抜いてしみじみと眺めた。華麗な波紋であった。層をなした地鉄が緻密に詰んでいる。シェロは近くにあった木箱にその刃を当てた。 さくり、と切れ込んだ。 「よく切れる。」 シェロは何年か前にアリーのバックルナイフを貰い受けていた。その切れ味にとてもよく似ている。 「我らは鋼を砂鉄から作る。その製法は製鉄を知るものならおよその察しはつくだろう。集めた砂鉄を炉に入れ、石炭を吹子でいこした火を使って熱する。鋼の良さは砂鉄そのものの質によるからこの鋼の良さは誰にも真似ができない。」 タウは丸く固めた鉄の塊を手に取った。 「この鋼を鍛えれば、その剣の切れ味が出せるのだ。」 「このナイフを見てくれ。」 シェロはベルトのバックルに手を伸ばして小さな小刀を取り外した。 「非常に良く切れるが、脆い刃だ。特に、このような寒い土地ではすぐに折れそうだ。」 タウはシェロの差し出す小刀を手に取った。 「俺は、元はピチェの鍛冶なんだ。」 タウは軽く頷いた。 「イラーダから聞いてるよ。ジェラスに渡った従兄だということもな。いずれ、ここに訪ねてくるんじゃないかと思っていた。このナイフに免じて、一つよいことを教えてやろう。こいつを塩と氷の中でじっくりと冷やしてから湯で温めてやるといい。少しは粘りが出る。」 シェロは目を見張る思いがした。 「そんな熱処理方法は聞いたことがない。サクスは鍛冶もやるのか。」 「いいや、儂らは鋼を作るだけだ。鍛冶はトリアに任せる。この鉄に、ここらには無い何かを混ぜて鍛え、特殊な熱処理を施す。大体のことは分かるが、それ以上の詳しい内容は尋ねない。お互いに領分を守ってうまくやっている。」 シェロは熱処理について重ねて尋ねたかったが、タウはあまり詳しくない様子だった。 「俺も今ではすっかりジェラになりきってる。サクスとトリアの付き合いにあれこれ口をはさむ気はないが、以前は台付きの鉄弓など使ってなかっただろう。」 「昔から欲しかったんだが、トリアは決して売ろうとしなかったんだ。それが最近になって、急に物わかりが良くなった。」 「ジェラはトリアとの交易を制限している。トリアは行き場を失なった。」 「ふうん、トリアの態度が変わったのはそのせいか。」 タウはジェラとトリアの対立に興味はなさそうだった。 「儂らの供給できる鉄の量は少ない。このような剣もあまり出回っていないはずだ。儂らの鋼とトリアの鍛冶集団が合わさって初めて生まれる切れ味だ。」 「この短剣を俺に譲ってくれ。」 シェロは、独特の鋭い切れ味に惹かれた。 「それはもう何年も使っているから、手に馴染んでいる。我らは鉄をトリアに渡して、色々な道具に打ち変えてもらう。他に小刀があるから、それを譲ってやろう。」 タウは小物入れから目的の物を取り出し、シェロに手渡した。鞘を抜いてみると同じような波紋を持つ小刀だった。人差し指ほどの刃渡りで、長めの柄が付いている。何にでも使えそうな汎用小刀である。木箱で試してみると同様の鋭い切れ味を持っていた。 「これはいい。」 シェロは優れた小道具を手に入れたことを無邪気に喜んだ。新しい小刀を眺めるうち、しばらく忘れていたチサグ鋼の名前を思い出した。仕事に忙殺されて、手つかずになっていたが、鋼には興味があるのだ。 「チサグ鋼という名を聞いたことがないか。」 「その昔、良い砂鉄が取れた川があったという。その川の名をとってチサグ鋼と呼ばれていたようだな。」 族長の話はシェロの興味をかき立てた。 「その話を聞かせてくれ。」 「儂も粘土板を手がかりにずいぶん探したんだが、どうにもわからん。今では干上がってしまった川のようだ。場所さえわかれば、無理にでも掘ってみたいがね。」 「そうか。」 「ただ、儂らは、あちこち場所を変えて鉄を集める。稀に、びっくりするほど良い鉄が取れることがあるんだ。チサグ鋼がどれほどのものかわからんが、剣として残ってこその鉄だからな。われらの鉄が幻の鉄に劣っているとは思わん。」 「なるほど。ひょっとしたら、俺が持っている鉄がチサグ鋼かも知れんわけだ。」 「そう考えてもいいと思う。それに優れた鍛冶の技術がなければものにならない。」 「トリアの鍛冶集団のことか。」 「トリアはいい物を作る。真似ができない技術と絶対にそれを外に漏らさない心構えがある。」 「あんたはトリアに好意的だな。」 「儂らにはトリアの血がずいぶん混じっている。イラーダの村の者もそうだ。ブノワ河の一帯に住む者にトリアの血が流れていない者はない。」 「ピチェは古くからジェラスとも交易があるから、ジェラの血も混じってる。それに俺はジェラスに渡ってから、トリアがすっかり嫌になった。」 タウは苦笑した。 「トリアスは貧しい、儂が考えるに、土に何か余計な物が混じっているように思う、その上寒いし、ジェラスのような豊かさはない。生きるのに必死なんだよ。そのあたりを大目に見てやったらどうだ。」 「陰険な手口で人を陥れるような真似をしなければ、ジェラもトリアを嫌う理由がない。トリアの手口を知ればあんたも気が変わるだろう。」 「全部がそうでもないぞ。儂らの所に来るトリア族にしても、うるさく注文するかわりに、約束は必ず守るという美点がある。現におまえさんもトリアの小刀を気に入っただろうが。」 シェロは痛いところを突かれて口ごもった。 「トリアとも交易をしたらどうだ。儂が取り持ってやるぞ、海からならこの土地を通るのが最も近い。」 族長はジェラとの交易と同時にトリアとの仲介も申し出た。 「いいだろう、この道具は気に入った。この種の鉄製品を交易の品目に加えよう。ただし、俺たちはサクスのタウを交易相手にする。その方がこの村も潤うし、トリアはやはり虫が好かん。」 「それでいいよ。」 タウは机の上の羊皮紙に鉄製品を交換品目として書き加えた。この一行がのちにジェラの鍛冶を一新することになる。 「あんたは粘土板にぎっしりと文字を並べたがる方だろう。」 シェロはタウの几帳面な所を笑った。当のタウはシェロの揶揄を気に留めていなかった。 「いいや、父親が死んだとき、書くことがあまりなかった。ほんの二十行ほどだったな。この村の粘土板はみんなそんなものさ。儂の場合はもう一行増える、ジェラとの交易により冬場の果物を確保したという一行が加わることになる。」 シェロはこの言葉に満足した。相手が約束事の内容を粘土板に書き加えるだろうと言った場合、生涯に渡って約束を守るという意味がある。 ガ・ルーは甲板から浜辺ののろしを見た。しかも、二つ上がっている。これは、すぐに追加の荷物を運べという合図だった。 「よーし、うまく行ったようだ。ボートを降ろして荷物を積み込め。こちらに戻るときには、たとえ少しでも向こうの荷物を積んで戻れ。」 シェロは浜辺に立ち、ただ見ているだけでよかった。普通、交易の始めはもっと手際の悪いものだ。相手が同意の意思表示をしても、肝心の荷物が集まらないとか、集まったとしても約束の物と違っていたり数量が違っていたりと手違いが常につきまとう。ところが、この部族は何かにつけて段取りがいい。指定した品は、きちんと箱に詰められて地下の土蔵に納められてあり、それを運び出すだけでいいのだ。 「ずいぶん手回しがいい。」 シェロが族長に言った。 「トリアがこうしろと言うんだ。実際にやってみると、この方が楽だ。急な客にもこうして対応できる。」 またトリアか、シェロはその言葉を飲み込んだ。 波止場が無いため、荷役には時間がかかった。小舟に積み、それを往復させる方法で運搬するために埠頭に横付けする場合の何十倍も時間がかかる。その日は午後になると風が強くなり、翌日を待つことにした。 夕刻、シェロは船のクルーとともに村の酒宴に招かれた。周囲に高い石垣を組み上げて風を避ける工夫をし、その中に岩と漆喰で建てた集会所があった。村の者が集まっていた。冬の間だけ過ごす場所にしては立派すぎ、普段も使われているようだ。酒が配られ、海獣の肉が焼かれた。船乗りたちは歓待を受けて大いに満足した。 夜が更けると海風が陸からの冷たい風に変わった。気温がぐっと下がって建物の内部でも息が白くなった。湾の周囲が比較的暖かいとはいっても、さすがに大冬の寒さは厳しい。シェロはジェラスの温暖な気候に慣れきっていた。 「寒くなった。」 「そうかね。今日などはずいぶん暖かいほうだ。」 「俺もほんの数年前までは、凍てついた大地に毛皮を敷いて眠ることができた。今ではとても無理だ。」 「ジェラスの冬はもっと暖かいのかね。」 「滅多に氷が張ることもない。」 「ほう。まるで楽園だな。」 「その分、毒虫や蛇が多い。ここらじゃ、見かけない厄介なやつらだ。」 「それは困る。」 「住み慣れたところが一番なのさ。」 酒宴には、女の姿もある。あちこちで黄色い嬌声が上がり始めた。小さなアリーがタウの側にやって来た。イラーダはタウの妻になっていた。 「それにしても立派な冬営地だな。夏の間、ここはどうなっているんだ。」 「ここは年中過ごしやすい。夏は海からの風が涼しい。雨も降る。儂らは、半数がここに残り、半数があちこち移動しながら鉄を採取する。」 「河から運ばれてくる砂鉄を採っているんだろう。同じ場所ではだめなのか。」 小さなアリーが笑った。大人のくせにシェロが何も分かっていないことがおかしかったらしい。アリーは利発な子供で既に部族の大人について歩き、砂鉄の採取についてよく知っている。 「河で砂鉄は集める方法もあるが、それではたくさん集めるのは無理だ。砂鉄を含んだ山土を掘るんだ。それを長い水路を組んで、谷の水を使って洗い流す。重い鉄だけが水路に溜まり、余分な土は流れる。下流の水は泥と鉄分で真っ赤に変わる。」 「そうなのか。」 「赤い水は下流域で嫌われる。濾しても水の味が悪くなるから我らを追い払おうとする者がいる。そういう者と戦いながら居座っていると、いろいろと不具合が起こる。」 シェロは族長の話に聞き入った。 「我らの間で昔から語り継がれてきた話だ。赤い水を同じ場所で流し続けると、河の霊が怒るのだという。儂らはしきたりを重んじる。一度、それを破ったことがあった。ブノワ河の支流をずっと上ったところに、鉄鋼石を産する場所があり、そこでは露天掘りをやっても十分に鉄が採れる。儂らはそこは掘らんのだ。そのもう少し下流に大量の砂鉄を含んだ土地がある。儂らはその場所で頑張った。谷川の水は真っ赤になった。儂らは河の霊に詫びながらも、仕事を続けた。」 シェロは杯をテーブルの上に置いた。 「ある日、仲間の一人が目の前で倒れた。腰から下に無数の蛭がたかっていた。儂の体にもぴょんぴょんと飛びついてきて次第にからだが痺れてきた。もう逃げるしかなかった。よく見ると水路に沿って、蛭がびっしりとたかっているのが見え、他にも仲間が何人も倒れた。」 シェロは想像しただけで鳥肌が立った。シェロにはわずかに精神感応の力があったうえに、蛭やそれに近い生き物が大の苦手だった。 「ぞっとする話だな。」 「うむ。蛭に血を吸われた者はひどい熱を出した。死んだものもいる。儂も何日も苦しんだ。」 「赤い水は蛭を呼ぶのか。」 「ああ、儂は仲間を連れて粘土板の保管所に行った。手分けして調べていると、古老も知らなかった色々な事件があったことが分かった。とにかく、同じ場所に居座ると好ましくない事が必ず起きているんだ。」 「大体どれぐらいで移動するんだ。」 「およそ三月。それも出来るだけ水を濁さぬように工夫する。水路の末端にちょっとした沈殿池を作るようにしたら、濁り自体はましになるが同じ過ちは繰り返したくない。この習いは今後も続けることだ。」 タウは最後の言葉をむしろアリーに向かって語った。 「ここでは誰でも粘土板を読むことが出来るのか。」 「子供のうちに字を習う。冬の間、家の中で他にすることはない。粘土板を読む時は、みんなで保管庫へ見に行く。古いトリアの文字が書かれた粘土板を読むこともある。昔は、トリアもずっと東にまで来ていたらしく、探してみると沢山見つかった。今よりもずっと親交が深かったようだ。」 「何が書かれてあったか教えてくれ。」 「なにぶん古い文字だったから大体の意味しか分からなかったが、儂らが行っている鉄の作り方が書かれてあった。儂らはずっと昔にトリアから鉄の作り方を教わったのだ。昔のトリアの粘土板には秘密の技術を惜しげもなく書き込んであったりするのかもしれんな。」 「最近のトリアでは粘土板を作らない者が増えているらしい。」 「トリアは新しい物を創るのも巧みだが、くだらぬ考えを生み出す。」 「そうだろうとも。」 シェロは族長から初めてトリアの批判を聞いて気をよくした。シェロはアリー・ジェラと行動を共にすることで完全に反トリアとなっていた。 「ジェラスにも一つ尋ねたい。果物や野菜を作って売り歩くのもいいが、土が痩せていく事はないのかね。儂らは砂鉄を集めるときにいつも大地の貯えというものを勘定する。」 「土は肥えている上に、肥料も欠かさない。」 「それならいい。」 大地の貯えという言葉がシェロの心にちくりと刺さった。栽培品種の増産は耕作地の開墾が相次いでいることに支えられている。 話が一段落したところで、周りのものが族長とシェロに酒杯を渡し、互いに酌み交わした。 知りたがりのシェロは、次に酒の味に興味を持った。何杯か飲むうち、生来さほど強くないためまもなく泥酔してしまった。 「これは売りに出さないの。」 小さなアリーが懐から、短い鉄の筒に木のハンドルが取り付けられた道具を取り出した。 タウの目が厳しくなった。 「それはしまっておけ。」 アリーは慌てて懐にしまった。タウは別人のような鋭い目つきでまわりを見回した。小さなアリーの取り出した道具に気付いた者はいない。それを確認した上で、タウは言った。 「その道具はお前が身を守るために使うのだ。その時以外は決して人に見せるんじゃない。」 サクスとの交易は順調に滑り出した。シェロの感じた限り、信用に足る部族であったし友好的だ。ガ・ルーも良質の鋼を入手出来るようになったことを喜んだ。他部族との交易は珍しい品物を手に入れることが出来る。 「こんなにすんなり行ったのは珍しい、とりあえず祝っておこう。」 ガ・ルーは船に戻ったシェロに言った。年に三度この湾にやってきて欲しいものを交換する。この約束はこの先トリアとジェラの衝突が起きた後も守られた。 マイはジェラスの巫女となり、ジャバとともにジェラスの祭事に関する最高責任者となっていた。マイはジャバの求めによって様々な事を占った。マイが最も頻繁に占ったのはこの頃バジリコ王の継王として王位についたドウ王の、次の王候補者に関してであった。 ジャバはジェラ族の中から継王を輩出したがった。本来ならアリーがジェラ族から初めてアトシスの王位につくはずだった。それがトリアの思いがけない妨害によって挫折したことがどうにも我慢が出来なかったのだ。 ジャバはジェラ族の子供の中で王となるべき資質を持った者を探し出し、ジェラートの影響力を使ってラゾに送り込むことを考えていた。 「巫女、例の占いをお願いします。」 ジャバはマイのうんざりした表情を無視した。この頃ジャバの候補者に対する思いは執念を越えるものになっていた。 「あまり占いすぎると、ラゾの候補者探しにも支障をきたすようになるのですよ。」 マイはすっかり大人の女に変わっていた。アリーとともにジェラスに来てから既に十年の時が経っていた。 「いつも申し上げている通り、それが罪であるとすれば、その咎めは私が一身に背負います。是非、お願いいたします。」 ジャバは鷲を連想させる目でマイを見つめ、心から頼み込んだ。いつもの事だった。こうなるとマイには断りきれない。ジャバは祭事に関しては常に真剣そのものであり、老いたとはいえ強固な目的意識は衰えることがなかった。 マイはかねてから考えていたことを語った。その口調は巫女としての威厳に満ちていた。 「いいでしょう、この占いは今年で十年、占った回数は百回となります。それでも候補者を探し当てることは出来なかった。こうなると占いというよりは引き寄せの修法となります。今回は占いではなく、ジェラスの王を選び出す修法を行いましょう。ジェラの子供の中から王の資質に最も近い者を一人だけ選ぶのです。ただし、その候補者は我らの手で教育を施し、ジェラスの為政者としなければなりません。アトシスの王を選ぶのは、あくまでもラゾです。」 マイの言葉にジャバは狂喜した。アリーが戻ってからというもの、農業以外にこれといって見るべきもののなかったジェラスにかつてない豊かさが溢れていた。アリーの打ち出す政策はことごとく的を射ており、急激な変化による弊害も最小限に食い止められている。 ジャバはジェラ族の未来について考えている。この先、アリーのもたらした変化とその反動を次世代のジェラ族がいかに吸収するか。これは大きな問題であった。候補者に執着する理由はそこにもあった。アリー自身もその点について心配している。表面的には質素に見えて、その奥に深みのある豊かさを秘めているといった生活態度がジェラ族にとって最も望ましい。ジェラスの繁栄がうわついたものになることをジャバは恐れた。アリーとジャバの考えがその点で一致していた。 「よろしくお願いいたします。」 ジャバは納得した。ジェラスからアトシスの王を輩出するのは次の世代でもよい。むしろ、アリーの後継者が必要だった。 マイとジャバ、それに多数の巫女が集まってジェラスの継王を探し出す修法が始められた。 河の上に太い丸太を組み上げて祭壇を造り、その上に花や果実を敷き詰めてある。マイを中心に十人余りの巫女がその上に登って、水の精霊に祈りを捧げた。 岸からジャバと他の祭事官たちが憑かれたように見つめていた。ジャバは鷲のくちばしのような鼻に汗を浮かべていた。 「水面に奇瑞が現れる。それを見逃してはならん。しっかりと見定め、心に焼きつけるのだ。」 ジャバの言葉にジェラスの祭事官は一様に頷いた。祭壇の巫女が歌うようなまじないを唱え、その声が水面を渡り祭事官たちの耳に届いた。 河の波が小さくおさまってゆき、大きな水鏡となって空の色と雲を映し出した。 やがて細かな波が起き、陽光の反射が様々な映像を見せ始めた。水面全体が巨大なスクリーンとなって、輝く星、獅子のたてがみ、鹿の角といった明瞭な像を結んでいった。ジャバの額から汗が流れ落ちた。これほど明らかな瑞相が見えるのは珍しい。祭事官たちも肌にあわを生じさせている。映像は次々に現れ、すべて消え去った。しかし、祭壇の巫女たちと岸の祭事官たちの間には決定的な心象が残った。低い位置から大人の顔を見上げている映像。まだ若い母親の顔、大きな緑色の目が印象的であった。その傍らに立つのはおそらく父親である、顔を横切る大きな刀傷がみえる。この緑の目を持つ女性を見上げている本人こそ王の候補者に間違いなかった。その女性はそこにいる誰もが知っていた。 マイとガ・ルーの間に男の子が生まれたのは六年前のことであった。ガ・ルーは、欲しいものは必ず手に入れるという信念の持ち主であった。三年の時間をかけてガムはマイをものにした。二人の間に産まれた男の子はガイと名付けられ、祭殿の厄介ないたずら小僧として有名な存在でもあった。 ジャバは頭を抱えた。つい二、三日前にもガイはジャバの居眠りしている間に書斎に入り、机に広げた書物に墨で絵を描いた。数世紀前の貴重な書物であった。ガイを呼びつけて叱ったが、叱られる理由がどうしても分からないようだった。祭殿の腕を前に突きだしている塑像にぶら下がって引き倒し、ジェラスの初代長官を写した立像を粉々にしたこともある。とにかく古そうなもの、貴重と呼ばれる物はガイの手で次々に葬られた。叱ると首をうなだれて泣くが、目を離すとすぐに同じことを繰り返した。ものおぼえが悪いわけではない。言葉も十分に話せる。しかし、決定的に大事な何かが欠けているとしか言いようがない。 王の候補者となるべき者は小さなうちから極めて利発であることが知られている。 祭事官たちは互いに顔を見交わした。ジャバは鼻にしわを寄せて呻いた。 「まさか、ガイとは。」 「何らかの間違いが起きたのではあるまいか。マイ様はガイの事を案じている。それが、今のような結果を引き起こしたのではないか。」 「いいや、手応えはあった。」 巫女たちも岸に戻ってきた。マイの顔色が青くなっていた。 「私も何かの間違いと思いたい。しかし、祭礼占い師としての最善の力を尽くしました。私は母として胸を痛めているのです。ガイはとても王となるべき教育には耐えられない。」 ジャバは意を決して口を開いた。 「ガイを教育しよう。祭事に関わる者として神託を一瞬でも疑ったことに対して、私は深く悔いている。皆もそうせよ。そして、マイ様。あなたをガイの祭事担当教師に任命します。今日から、母としての感情を封じるべきことを地方長官としてここに命じる。私は、形而上学を担当するが、少なくとも今のガイには全く理解できないだろう。当面は生活態度を学ばせる。他にも、しかるべき教師をジェラス中から選び出す。」 その場の誰もが悲壮な決意で頷いた。 |