特徴
10月 第3土日
祭礼日
練り場で屋台を練っている様が、芋を洗っているように見えるため「小芋まつり」ともいわれる。

屋台を担いでの階段のぼりの後、拝殿に参拝、そして御旅へとの道のりが見物である。
まつり絵馬
JR 「英賀保」駅から東北東へ30分
神社案内
「旧郷社 荒川神社」
 氏子の荒川地区は八世紀の「播磨風土記」にみえる「伊和里」にあり、十世紀前半の「倭名類聚抄」にみえる
伊和郷がのち東西分郷されて成立した伊和西(岩西)郷にほぼ相当する。
天皇家知行国だった播磨国衙領は鎌倉末期に後嵯峨院から持明院統に譲られ、伊和西郷は応永五年(1398)
伏見宮家領となった。江戸時代は姫路藩領で岩西社荒川大明神は町坪・玉手・岡田・西脇(現西庄)・井ノ口・
中地六ケ村の氏宮であった。
 神社はもと三和山(手柄山)西麓にあって承安二年(1172)平清盛の崇敬を伝え、嘉暦三年(1328)町坪に
遷座、永享四年洪水流失、天文二年(1533)現在地に遷座、戦乱荒廃し元禄二年(1689)法輪寺朱印地内
に再建といい、正徳元年(1711)現在地に遷座し、時の姫路藩主榊原氏は境内地を除地(無税地)とした。
 境内には享保八年(1723)手水鉢、享和二年(1802)狛犬があり、扁額は元姫路藩好古堂教授だった
亀山雲平の書。
 旧郷社で水波能女神・手置帆負神・彦左知神を祀る。
「荒川神社例祭風流」
平成16年9月1日付、姫路市指定重要無形民族文化財に指定
      
           湯立祭       八朔田実祭      秋季例大祭
        (田休みの祭り)     (風鎮祭)       (小芋まつり)
    
  近世近代の稲作の過程に対応した祭礼とそれにともなう風流をよく残しているものとして指定
       荒川神社祭礼行事保存会が認定保持団体

「田休みの祭り(夏祭り)」   稲の順調な生育を願う時期に行い、現在は7月17日、災厄を祓い豊作等を
                      祈願して茅の輪くぐりと湯立てを行う。

「八朔祭り(田の実の節句)」 風鎮祭ともいい稲穂が出揃う時期に行い、現在9月1日。

「秋祭り(小芋祭り)」      稲の収穫期に行い、現在10月第3土日。
                   例大祭は10月17日

 このほかにも現在は廃絶しているが「荒川相撲」「地下(じげ)芝居」が行われていた。

    「荒川相撲」 天保七年(1836)の相撲絵馬が残っている。

    「地下祭り」 弘化三年(1846)の「神代巻」二幅で絵説を行い法楽と風水害のないことを祈願する。