6年生社会  「明治の世の中」 文明開化 授業記録

学習課題 明治になって、政府が欧米諸国に追いつくために、どのような方法で急速な近代化を進めたかを調べ、それに対して一般の人々がそれをどのように受け止めたかを考える。
授業の組立て 文明開化に関する資料(絵・写真)と地域に残る「地域資料」を元に、なぜこんなに急速な改革を?と疑問をもたせ、当時の人々が進んでこのような生活の変化を受け入れたのかを追究する。

● 授業の流れ ● 授業日:2000年9月29日 児童数:28名              

Step  提示した写真・絵・資料 T=教師の発問  C=児童の発言や反応
●江戸時代との顕著な変化を把握させるために、1枚の資料を提示し、その変化の違いに気づかせる。
T=
1686年、明治になってから、世の中の様子や生活が急速に変わってきました。特に首都"東京"はすごかったんです。この写真は銀座です。江戸時代と比べて、どんなものがどのように変わったか、まずこの写真から分かることを発表しなさい。
C=建物、通信、交通 などのようす 服装、頭髪、食生活、郵便制度、電話機
(電柱や汽車にまつわるエピソード・郵便=垂れ便など) 
T=必要により、教師作成のカラー写真を使って説明を求める。「服装の変化」と「頭髪の変化」に着目し、後で発展的に学習できるように「板書」しておく。
C=鎖国により遅れていたので欧米に早く追いつきたい。外国との違いについて鎖国を止めてからやっと気づいてきた。外国の法律・決まりを良く知らなかったから、わかってきてあわてた。技術の遅れを早く取り戻したい。不平等条約を早く改正し,なめられない国にするため…などの意見がでる。
●明治政府の「文明開化」政策が、わずか数年間に実施されていることに気づかせ、「なぜ急いだ」のかを追究させる切り口にする。
T=明治維新が1868年 東京〜横浜の間に電信が、ついたのが1869年、それから始まって廃刀令が出される1876年ごろまで、わずか10年足らずで、"新しい変化"が進んでいます。わずか数年間に、明治政府はなぜこのように急いで「文明開化」を実施したのでしょう?
C=《Yes》初めは戸惑っただろうけど・慣れると洋服は便利   《No》すぐにはむり、長い間の習慣だから。急には無理、今までの伝統を守りたいから…など ●急激な生活・習慣の変化を、人々が進んで受け入れたのかを,資料を元にしながら話し合う。
T=
10年というと長いように感じるかも知れませんが、1603年からの江戸時代260年間と比べると「アッ」というわずかな期間です。この急激な多くの変化「例えば、洋服・ちょんまげ」など一番身近なことについて、明治時代の人々は、簡単に受け入れたのでしょうか?

ほるぷ出版
家永日本史より引用
各自が発表した考えを、1872年当時の「町の風景」の絵に出会わすことにより、より深めるとともに、一般の人々にはあまり広がっていないことをつかむ。
T=
皆さんの考えは、「なかなか進んで受け入れなかっただろう」ということですね。この写真は、1871年(明治3年)に断髪令が出てから3〜4年後の東京の様子です。この絵から、あなたたちが今、発表した「予想」を確かめてください。

C=ちょんまげの人が多いな。散切り頭は少ないど。服装もあまり江戸時代と変わっていないみたいだ。やっぱり、人々はあんまりしたくなかったんではないか・・・。
●地域資料により「断髪令」発令時の人々の思いに迫る。
T=この写真は、私たちの町の人が,1871年断髪令が出た時,写真屋さんで、撮ったものです。どんな気持ちで何のために撮ったのだろうね?
(資料出典は、「新宮の百年」新宮町発行から)

C=ちょんまげを切る記念に、切りたくないので最後のお別れに…などの声
●「文明開化」を政府が拡大するために、官吏優先で進めたことを資料により把握させる。
T=
嫌だと言う人も多かったのですが、意外と早く進んだのです。10年もしないうちに都会から田舎へと進んでいきました。それには、訳があります。明治政府がある仕掛けをしました。その秘密は、この2枚の中にあります。さてどんなことをしたから、早く「文明開化」が進んだと思いますか?
*学校の先生の資料では、「学制」について触れる。
T=2枚の写真「郵便局の職員」「学校の先生」の写真を示し、「役人なるためにはある条件が必要です。」と発問し考えさせる。そして「役人になるには、洋風の服装や髪型をしないとなれない」ことを発見させ,政府主導の上からの文明開化であったことを、つかませる。
 しかし,進んだのは主に都市部だけで、農村部には従前どおりの地域が多く全国に広がるにはかなりの時間がかかったことを説明する。
Last  最後に本校の沿革史を取り出し、その中の入学記念写真を取り出し児童に感想を求めた。  地域教材の提示により、明治の改革が、東京などの都市部だけでなく、私たちの身近な村でも進められていたことに目を向けさせる。